031 二つのオーブです。



 会議室に入ると、その眩しさに目がくらんだ。

 ずっと暗い廊下を歩いていたので、すっかり瞳孔が開いてしまっていた。

 やがて明るさに慣れて、落ち着きを取り戻す。

 部屋の隅に、机と椅子が重なって片付けられていた。

 椅子だけを取り出し、円形に人数分だけ設置する。


 部屋にいるのは俺、結城、諏訪、藩出、大仲の五人。

 それぞれが椅子に座って、一息つく。

 暗闇の中でゾンビに襲われ、全員が心身ともに疲れきっていた。


 五人以外の人間は、すべてゾンビ化したと考えて良いだろう。

 約300体のゾンビが、この施設内にいる。

 もし魔物化事件を解決できなかったら、大変なことになる。


 ゾンビが山を降りて、人々を襲い始める。

 さらに霧が広がれば、日本中がゾンビだらけに。

 最悪、世界が滅亡することだって考えられる。

 俺が経験した魔物化事件の中では、一番規模のでかい話だ。

 なんとしても、解決しなければならない。


「上野くん、この後はどうするんですか?」


 藩出が俺に質問を投げ、全員の視線が俺に向いた。


「おそらくだが、ゾンビの中に霧を生み出している親玉がいる。

 それを見つけ出して、結城に剣で切ってもらう。

 親玉さえ倒せれば、他のザコゾンビ達も元に戻る。

 そうだよな結城?」


「ええ、ウィスプさえ退治できれば、万事解決ばんじかいけつよ。

 ゾンビ化の感染はウイルスじゃなくて、呪いのようなもの。

 だから、大本おおもとさえどうにかでれば、大丈夫」


 結城の言葉に、みんなの顔が明るくなった。

 事件解決の見込みがあると分かって、安心したのだ。

 もし事件が解決しなければ、ゾンビが溢れた世界で延々とサバイバル生活を送る羽目はめになる。

 そんなのは、まっぴらごめんだ。


「どうやって、その親玉をみつけるん?」


 諏訪の素朴な疑問に、俺と結城は押し黙った。


 親玉さえ特定できれば、ほぼ事件は解決する。

 だが問題は、その親玉の見当が一切ついていないこと。

 だからといって、容疑者300人全員を剣で切るのは、現実的ではない。

 結城が一度に相手が出来る数は、せいぜい一桁まで。

 それ以上は、数の暴力で負ける。


 ――バンッバンッバンッ!


 ゾンビが扉を、外側から乱暴に叩いている。

 どうやら大群が二階に上がって追いついてしまったようだ。


「あのさ、言いづらいんだけど。

 もしかして私たちって、もう逃げ場ないんじゃない?」


 大仲は、そうぽつりと口にした。


 廊下にはゾンビが溢れかえっており、もし扉を開いてしまったら、一斉にゾンビ達がなだれ込んでくる。

 つまり扉は使えない。さらにここは二階。窓から外に出ることも難しい。

 大仲の言うとおり、俺達はふくろねずみ状態に陥ってしまっていた。


 この部屋に閉じこもっていても事件は解決できない。

 さらに食料もないので二、三日でゲームオーバー。

 廊下のゾンビが、どこかに消えるのを待つという持久戦も難しい。


「大丈夫! 私は勇者よ! 必ずみんなを助けてみせる!

 だから、この部屋で待ってて!」


 結城は勢いよく立ち上がり、そう宣言する。

 そして扉に向かって、スタスタと歩き出す。


「ちょっと待って、あんな大群無理よ。

 五、六体でも、めちゃくちゃにされたでしょ」


紗瑠しゃるさん、一旦落ち着きましょう。

 何か良い案がきっと浮かびますから、ね?」


 大仲と藩出が、廊下に出ようとする結城を止めに入る。

 そして扉の前でごちゃごちゃと押し問答をしている。

 その様子を傍目はために、俺と諏訪は椅子に座ったまま動かない。


「ねえ、上野ちゃん、止めなくて良いのん?」


 隣の諏訪が不安げな瞳で、俺に呼びかける。

 それに俺は「ああ」とうわそらで返事をする。


 俺の視線は、結城が座っていた椅子に釘付けになっていた。

 そこには、光の玉が二つ。ふわりふわりと浮かんでいる。

 その光の玉は、オーブだ。


 勇者が無意識に放出するオーブ。

 それが人の体に入ると、奇跡を起こしてしまう。

 諏訪の場合は、同じ日を繰り返すループ。

 藩出の場合は、自分の体に俺のコピーを入れ、さらに時間をあべこべにスイッチさせる。


 このオーブは、魔王である真白と俺だけが視認できる。

 一般人と勇者である結城は、見ることができない。

 つまり今この部屋では、俺以外にオーブは見えていない。


 俺は立ち上がり、結城の椅子に近づく。

 そしてシャボン玉を掴むように優しく二つのオーブを手のひらで包んだ。


「……今、何したのん?」


 自分の椅子に戻った俺に、諏訪は不審の目を向ける。

 オーブを見えない諏訪にすれば、俺の行動は変態そのものだ。

 結城の座っていた椅子の残り香を、にぎりっぺのごとく手のひらで包んで、持ち帰ってきたように見えている。


「一応聞くけど、これが見えるか?」


 俺は小虎のパンツに包んだオーブを諏訪に見せる。


「うん、ハンカチだよね。女物おんなものの。それ、結城ちゃんの?」


 諏訪の表情が少しだけ和らいだ。

 俺が結城の残り香ではなく、ハンカチを持ち帰ってきたと誤解してくれたのだ。

 本当はハンカチではなくパンツなのだが、ここは黙っておこう。


 そして諏訪には、オーブが見えてない。

 見えているものならば、説明しやすいのだが、見えていないものを他人に説明するのは難しい。

 人間は見えるものしか信じようとしない生き物だから。


「いや、小虎のだ」

「……そう」


 諏訪は俺に気を使ったのか、それ以上何も追求してこなかった。

 俺は諏訪に感謝しつつ、思考を続ける。


 この二つのオーブは、役に立つかもしれない。

 今の絶望的な状況を打開するには、奇跡を起こすしかない。

 そして、このオーブならば、奇跡を起こせる。


 しかし奇跡といっても、自由自在に願いが叶うわけではない。

 諏訪ならループ。藩出ならスイッチ。

 という具合に、特定の現象が起きるだけだ。

 それ単体だと、何も問題は解決しない。


 もし再び諏訪にオーブが入ったら、何が起きる?

 同じループ現象が起きるのか、それとも違う奇跡が起きるのか。

 二回入ったことがないから分からない。

 だが、ウィスプならばある。


 諏訪は二回、魔物化して、そのどちらもスライムだった。

 つまりウィスプには、再現性がある。同じ人間ならば、同じ魔物になる。

 オーブとウィスプは別物だが、人の体に入って何かを起こすことに関しては同じ。

 オーブにもウィスプと同様の再現性があると考えて良いだろう。


 今、諏訪にオーブを入れれば、ループ現象を起こすことが出来る。

 それが、何を意味するのか。

 一言で言えば、セーブ&ロード。

 例え全滅したとしても、セーブ地点からやり直せる。

 失敗をすべてなかったことにして、成功するまで何回でもチャレンジが出来る。


 まさにチートだ。

 この能力を使わない手は無い。保険としての意味も含めて。



「……諏訪、頼みがある。……聞いてくれるか?」


 俺は片方のオーブを右手に掴んで、諏訪に訊ねた。


「うん、もちろん良いよん」


 諏訪は、二つ返事で頷いた。


「出来れば、内容を聞いてから、返事をして欲しいんだが……」


「上野ちゃんには、いつもお世話になってるから、どんなお願いでも聞いてあげる。

 それに上野ちゃんは、変なお願いはしない。

 もし変なお願いでも、何か意味があるんだって、分かってる」


「……ありがとう。俺を信じてくれて」


 諏訪が俺に信頼のまなざしを向ける。

 俺はそれが嬉しくて、少しだけ気恥ずかしくなった。


「それで、お願いって何?」

「ああ、胸を触らせて欲しい」


「――――――――」


 俺に全幅の信頼のまなざしを向けていた諏訪が、一瞬で真顔になった。

 こんな状況なのに何を言っているの? と諏訪の目が怒っている。


 俺は諏訪の言葉を信じて口にしたのに、そんな目を向けられるなんて、ヒドイ。

 でも、諏訪の怒った顔はレアなので、少しだけ嬉しくなってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る