030 握り締めた手の中にあるのは、彼女の想いです。


 ――サッ。


 後ろで足音が小さく聞こえた。

 結城達の誰かが、探索から戻って来たのだろう。

 探索をサボって小虎と抱き合っているところを見られてしまった。


「勘違いすんなよ。別に探索をサボって小虎といちゃついてたわけじゃ……」


 俺は言い訳を口にしつつ後ろを振り返る。だが言い終わる前に言葉が喉につまった。

 後ろにいるのは結城達の誰かだろうと思っていた。

 しかし、後ろにいたのは、その誰でもなかった。

 いたのは、ゾンビ。


 二階のどこかに潜んでいたのか、それとも階段を器用に登ってきたのかは分からないが、目の前にゾンビが一体いる。


「…………」


 ゾンビはうめき声を漏らすと、俺達に飛び掛ってきた。

 俺一人ならゾンビを避けることは出来ただろう。

 しかし今は、意識を失った小虎を抱きしめている。

 ゾンビ化しているとはいえ、小虎を突き飛ばして一人で逃げることは俺には出来ない。


「……くっ。……って、うわぁっ!?」


 俺はゾンビの攻撃を受ける覚悟で身を硬くした。

 しかし気がついたら俺は、小虎に横へ突き飛ばされて、床に倒れていた。

 目の前では、俺の代わりに小虎がゾンビともみ合っている。


「……もしかして俺を助けてくれたのか? もう意識はないはずなのに」


 小虎も既にゾンビ化している。普通ならゾンビと一緒に俺を襲うはず。

 それなのに俺をかばって、ゾンビと取っ組み合いをしている。


「……ウガアア」


 小虎が俺を見て、うめき声を発する。

 その声は言葉ではない。

 しかし小虎が俺に逃げろと言っているような気がした。


「嵐舞、悪いがそれは出来ない。恋人を置いて、一人で逃げられるわけないだろ」


 俺は立ち上がり、小虎に抱きつくゾンビに殴りかかろうとする。

 小虎は笑っているような、泣いているような表情を見せる。

 そしてゾンビと位置をくるっと逆転させた。


「な、なにを?」


 小虎に背中を見せられて、俺は立ち止まった。

 このままでは小虎が盾になって、ゾンビを殴り飛ばせない。

 小虎は何かをしようとしている。

 だが、なにを?


「……ウガアア」


 小虎が俺に「さよなら」と言っている気がした。

 俺の背筋に悪寒おかんが走る。その瞬間、小虎に手を伸ばしていた。


 小虎はゾンビを押し込み、手すりから一緒に身を投げる。


「やめろ!」


 小虎のパンツに俺の指が引っかかる。

 しかし、小虎とゾンビは手すりの向こうに落ちていく。

 落下とともに腰から足首まで、いっきにパンツが滑る。

 俺は指に力を込めて小虎のパンツを握る。直後、ガクッと腕全体に衝撃が走った。

 足首に掛かったパンツで、なんとか小虎を支えることができた。

 一先ず、落下を阻止できたが、危機的状況は変わっていない。

 逆さ吊りの小虎をどうにかして引き上げる必要がある。


「……くっ、ダメだ。足が抜ける」


 パンツに掛かった小虎の足が、自重に耐えられずに少しずつ穴から抜ける。

 完全に抜ければ、小虎はまっさかさまに落下してしまう。

 そこに結城が探索を終えて戻ってきた。


「ちょ、何、何が起きてるのよ?」

「嵐舞が落ちた。今、ぎりぎりで持ってる。手伝ってくれ」

「ら、らんま? いつから名前で呼ぶようになったのよ?」

「今は、そんなことどうでも良い! 早くしろ!」

「そ、そうね」


 結城が俺の横から身を乗り出す。

 しかし一足遅かった。

 パンツからスルリと足首が抜け、小虎は落下していった。


「「あっ」」


 俺と結城の、間の抜けた声が重なった。


 小虎を助けられなかったのは残念だ。

 しかし小虎がゾンビ化していたことはある意味、不幸中の幸い。

 魔物化中に負った怪我は魔物化が治る時に、なかったことになる。

 だから、二階から落ちて小虎が怪我をしていても、その怪我はなかったことに出来る。


 ゾンビ化しているにも関わらず俺を助けてくれた小虎。

 彼女のためにも魔物化事件を解決させる。

 俺はそう決意を新たにする。彼女のパンツを握り締めながら。


 ……必ず小虎に、このパンツを返してやる!


 気合をみなぎらせて立ち上がると、ちょうど諏訪、藩出、大仲も戻ってきたところだった。

 俺と結城の異変に気付いた諏訪が質問を投げる。


「なにかあったん?」

「……小虎がゾンビ化して、ここから落ちた」


 三人が驚いた表情を見せた。

 俺はみんなを刺激しないように、さっさと話題を変更する。


「どこか開いている部屋はあったのか?」

「奥の会議室が開いてました」

「よし、そこに行こう。藩出、案内してくれ」

「わ、分かりました」


 藩出を先頭に俺達は歩き出す。

 しかし結城は手すりの側にへたり込んだままだ。

 小虎を助けられなかったことが、勇者として許せないのだろう。

 俺は結城に近寄り、慰めの言葉を掛ける。


「小虎はゾンビ化していた。だから落ちても問題ない。

 いや、むしろ落ちてくれて良かった。

 ヘタに助けて引き上げていたら、今頃俺達は小虎に襲われていた」


「……襲われても、私の剣なら元に戻せた」


「ああ、そうだ。だけど、またゾンビ化する。

 その度に、剣で切るのか?

 小虎は完全にゾンビ化するまで意識が残っていた。

 自分の体がだんだんとゾンビ化する恐怖に震えていた。

 俺は、その恐怖を何回も小虎に味あわせたくない。

 ……だから、これで良かったんだ」


「なら、どうして助けようとしてたの?

 私に手伝いを求めたのは何?

 本当は小虎さんを助けたかったんでしょ?」


「あの時はテンパってたから、頭が回らなかった。

 だから、つい助けようとしちまった。

 それが間違いだって。ただの自己満足だって自覚できなかった。

 つまり俺が未熟だったってだけの話だ」


「……そう。上野は納得してるんだね。

 なら、私も切り替えなくちゃね」


 結城は自分の頬を両手でパチっと叩いて気合を入れた。


「二人とも早く来てくださーい」

「すまん、すぐ行く」


 藩出の呼びかけに答えて、俺と結城は歩き出す。

 隣を歩く結城が小声で話しかけてくる。


「ねえ、どっちが先に告白したの?」

「……はっきりと言葉にしたのは俺が先だ。

 でもそれは小虎が俺のことを好きだと分かったから、口にしたまで」


「それって、つまり……」


「小虎を安心させるために嘘の告白をした。

 そもそも小虎も、俺のことを本気で好きになったわけじゃない。

 ゾンビに対する恐怖のドキドキが、俺へのドキドキだと勘違いして、俺を好きだと誤解してしまった。

 いわゆる吊り橋効果ってやつだ。

 誤解とはいえ、俺と小虎は恋人になった。

 でも、それは魔物化事件が解決すれば、なかったことになる」


「……上野はそれで良いの?」

「良いも何もない。初めからそのつもりで告白したんだから」


「上野はやさしいね。

 相手のために、嘘の告白をしてあげるなんて。

 すごいよ」


「なんだよそれ、皮肉か?」


「ううん、違うよ。

 私が上野の立場だったら、同じこと出来ないと思う。

 嘘の告白は悪いことだって思っちゃうから。

 相手のためだって、分かってても自分を許せない」


「結城はそれで良いと思うぞ。

 まっすぐに正義を貫くところが、一番の長所でもあるし。

 それをやり遂げることも、また難しいからな。

 どっちが正解ってわけでもない。

 自分に出来る正義をやれば良いんだ」


「うん、そうだね。私は私のできることをやる。

 だから一刻も早く魔王を見つけて倒さないと」


 結城は握りこぶしを作って、やる気をみなぎらせていた。

 俺は横を歩きながら、その姿を黙って見つめた。

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