029 彼女の為の優しい嘘です。


「ちょっと上野。なに、ニヤついてるのよ。こんな時に変なこと考えないでよね」


 突然、結城が俺に批難の声をぶつけてくる。


「なんのことだ?」


 俺は訳がわからず視線を結城に向けた。

 そこには、服がボロボロにやぶけてる結城の姿があった。

 下は小虎と同様パンツが丸出しで、上はTシャツがやぶかれて、素肌がかなり露出してしまっている。

 ゾンビにもみくちゃにされた際に、服がやぶかれたのだ。

 他の三人も結城と同じだ。

 服をワイルドにやぶかれて、とてもセクシーな格好になっている。


 俺も普通の男なので、女子達のセクシー姿には興奮する。

 しかし、男の俺よりも興奮している女がいることで、俺は逆に冷静になっていた。

 その人物とは大仲だ。

 大仲は諏訪の胸を興奮気味に凝視している。

 他の女子達は男の俺を気にしているせいか、大仲の異常性には気付いていない。

 俺の冷静さを取り戻してくれた大仲に、心のなかで感謝をしようと思った。

 だが今の状況をもたらした元凶が大仲自身であることに気付き感謝は取りやめる。


 そもそもゾンビの大群に追われているのは大仲のせいだ。

 大仲がいろんな女子部屋に侵入したせいで、ゾンビ達が部屋からあふれ出てしまった。

 ゾンビを部屋に閉じ込めておけば、結城が各部屋ごとに探索と処理をできた。

 そうすればゾンビ化事件もスムーズに解決できたかもしれない。

 それを台無しにしやがってと、今は大仲を恨む気持ちでいっぱいだ。


 今思えば、大仲との取引を拒否したことが間違いだったのかもしれない。

 もし取引をして、諏訪の胸を揉ませておけば、大仲は満足して素直に自分の部屋に戻っていた可能性が高い。

 いまさら自分のミスに気付いて、少しだけ嫌な気持ちになった。



「どうしたの? 怖い顔になってる」

「いや、お前がニヤくつなって言うから、真面目な顔を作っただけだ。

 それより早くこの場を離れよう。ゾンビ達が来る」


 俺は廊下の奥を見やる。

 後ろからはゾンビの波が迫っている。

 全員がゾンビ達の存在を思い出し、真剣な表情を作る。

 服がボロボロで恥ずかしいが、今は恥ずかしがっている場合ではない。


「どうした?」


 立ち止まったままの結城達に声を掛ける。

 このままだとゾンビの波に飲み込まれてしまう。


「おに、上野が先頭で行って」


 結城はボロボロのTシャツを下にひっぱって、少しでもパンツを隠そうとしている。


「後ろから俺に見られるのが、恥ずかしいのか?」

「うん、そうよ! だから先に行って!」

「……頼むから恥らうのは、今だけにしてくれよ」

「分かってる。ゾンビが出たら、ちゃんとやるから」

「ああ、そうしてくれ。結城だけが頼りだからな」

「うん、まかせて」

「よし、それじゃ行くぞ。小虎はこのままでいいのか?」

「……はい、悠真ゆうまくん」


 俺の手を握ったまま離さない小虎が、下の名前を呼ぶ。

 その瞬間、周りの女子達から、殺気のようなものを感じる。

 恐る恐る見渡すが、みんなは笑顔だ。特に異変はない。

 一瞬感じた殺気は、どうやら俺の勘違いだったようだ。

 俺は気を取り直して、小虎と一緒に先頭を切った。



 俺達は廊下を進み、階段を上がって二階にやってきた。

 ゾンビは階段を登るのが苦手らしく、足を踏み外しては転げ落ちていく。

 それでも大量のゾンビが群れているので、折り重なりつつもジリジリと這い上がってくる。

 ゾンビ達が二階に到達するのも時間の問題だ。


「ゾンビが上がってくるまで、少し時間がある。

 どこか鍵が開いている部屋がないか探して、そこで一先ひとまず休もう」

「分かった。それじゃ手分けして、開いている部屋を探しましょ」


 俺の提案に、結城はすかさず同意する。

 他のメンバーも異論はないようだ。


「部屋の中にゾンビがいる可能性もゼロじゃない。

 注意して、開いている部屋を探してくれ」


 みんなは頷くと、開いている部屋をそれぞれ探し始める。

 二階は主に会議室や多目的室などになっている。


「さて、俺たちも行くぞ? サボってたら怒られちまう」


 俺は手を繋いでいる小虎に語りかけ、歩き出す。

 しかし、小虎は俺の手を離して、その場に立ち尽くしてしまう。

 今までずっと繋いでいた手。

 小虎がしっかりと握っていた俺の手。

 これからも二人の手が繋がっているとばかり思っていた。

 それが、突然に離されて俺は驚く。


 俺は繋がっていた手を見る。

 手のひらは、汗でぐちょぐちょになっていた。

 さらに、汗とは違う何かネバネバしたものがくっついていることに気付く。


「ああ、ごめん。手汗が気持ち悪かったんだな。

 気付かなくてすまん。

 俺、手汗がひどいんだよ。あはは」

「……ちがう」


 小虎は首を振って否定する。

 俺の中に嫌な予感がふつふつと湧き上がってくる。

 だんだん気持ち悪くなり吐き気が起きる。

 俺は無理やりに笑顔を作り、吐き気を誤魔化す。


「とりあえず、俺たちも行こうぜ?」

「……ごめんね、私は行けない」

「どうした? 疲れたのか?」

「…………」


 小虎は答えない。ただ悲しい笑顔を浮かべるだけ。

 小虎を置いて、俺だけが行くことはできる。

 しかし、目を離したら小虎が消えてしまう気がして、その場を離れられなかった。


「悠真くんは行って。私はここにいるから」

「いや、俺もここにいる」


 他のメンバーにサボリだと批難されるかもしれないが、俺は小虎と一緒にいることを選んだ。

 俺は一歩、小虎に近づく。すると小虎は後ずさりして、手すりに身を預けた。

 手すりの向こうは空中。もし乗り越えると一階に落下してしまう。


「お願いだから、近づかないで。

 私は悠真くんを傷つけたくないから」


 俺を拒絶するように小虎は手のひらを向ける。

 その手は、皮膚がボロボロになってただれていた。

 結城の近くにいたとはいえ、小虎は霧を浴びすぎた。

 もうゾンビ化が始まっている。

 光の剣で再び人間に戻すことは出来る。

 しかし、このままゾンビ化させて、恐怖から開放させてあげる方が、小虎にとっては良いことだろう。


「近づくなって、拒否られる方が、男としてはよっぽど傷つくんだぞ。

 それに恐怖で震えてる女の子を一人にさせて、平然としていられるほど、俺は強くない。

 悪いがそのお願いは聞けない」


 俺は小虎に歩み寄り、そのまま体を抱きしめた。

 小虎の体は、ビックリするほど冷たかった。まるで体温を感じない。


「……こんなことされたら、私、勘違いしちゃうよ。

 悠真くんが私のことを好きなんじゃないかって」


「勘違いじゃないぞ。俺は小虎が大好きだ」


 俺は嘘をついた。

 今、俺がやるべきことは、自分の気持ちを正直に話すことではない。

 小虎の不安と恐怖を和らげて、安らかに意識がなくなるのを待つこと。

 そのためなら、俺はどんな嘘でもつく。彼女のために。


 さいわいなことに魔物化事件が解決すれば、その際の記憶がなくなる。

 だから、今どんな嘘をつこうがなかったことに出来る。

 もし記憶が残っていたら、彼女を傷つけてしまうが、その必要がないので、遠慮はいならい。

 ただし結城に見られると、ちょっとだけ気まずい。

 勇者である結城だけは、魔物化事件の記憶が残るので、そこだけは注意しておこう。


「……本当に?」

「ああ、本当だ。俺は小虎のことが大好きだ」

「……嬉しい。私たち両思いなんだ。それなら恋人になれるよね?」

「もちろん! この事件が解決したら、晴れて俺達は恋人だ」


「……デートしようね?」

「ああ、たくさんしよう。いっぱい二人の思い出を作ろう」

「……なんだか夢みたい。幸せすぎるよ。ねえ悠真くん、これって夢じゃないよね?」

「勝手に夢にするな。ちゃんと現実だ。今さらなかったことにはならないから安心しろ」


 俺にとっては現実だが、小虎にとっては夢みたいなもの。

 だから、この会話を小虎はすべて忘れる。

 嘘をつくごとに、俺の中に罪悪感が芽生え、胸がチクリと痛む。

 しかし、この痛みは小虎の恐怖にすれば些細なこと。


「……良かった。ねえ、お願いがあるんだけど良いかな?」

「俺にできることなら、なんでも叶えてやるぞ」

「名前で、私のことを名前で呼んで欲しい」

「そうか。恋人になるんだから呼び方も変わるな」


「うん。だから、名前を呼んで」

「ああ。……嵐舞らんま、大好きだよ」

「私も、悠真くんのこと……」

「……嵐舞?」


 そこで小虎の言葉が途切れた。呼びかけても応答はない。

 おそらくゾンビ化が進行して意識を失ったのだろう。

 小虎がゾンビになっている間、良い夢が見られることを願うばかりだ。

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