028 ゾンビの大群です。



「……ん、んん、あれ? 私、どうして?」

「ああ小虎、起きたか」


 俺は腕の中の小虎に視線を向けた。


「上野くん? どうして私、上野くんに抱きかかえられてるの?」

「ゾンビ化を治した際に、気を失ったんだよ」

「ゾンビ化? そうだ! 私、ゾンビに教われて、それで、それで……」

「大丈夫だ、落ち着け小虎。今は近くにゾンビはいない」


 取り乱す小虎をなだめるように声を掛けた。

 落ち着きを取り戻した小虎は周りを見る。


「……それで、ここは?」

「ここは廊下。今は部屋に戻る途中だ」

「……あの降ろしてくれる? 自分で歩けるから」

「わかった」


 俺はゆっくりと小虎を降ろす。

 小虎は自分の足で立つと、すぐに膝を抱えるようにしゃがんでしまった。


「どうした小虎? もしかして足でもひねってたか?」

「こっち見ないで!」


 小虎は突然、金切り声を上げた。

 俺は訳が分からず動揺する。

 小虎の顔が赤くなっているように見えたが、何が理由かはさっぱり特定できない。


「ど、どうした急に大声をだして? 今は静かに頼む」

「おに、上野。小虎さんに何したの?」


 前を歩いていた結城が振り返ると、俺を睨みつけてきた。


「俺は何もしてない。ただ小虎を降ろしただけだ。

 そしたら突然、しゃがみこんで、こっちを見るなって……」

「……どうしたの? 小虎さん」

「…………」


 結城は膝を折って、小虎に身を寄せる。

 小虎と結城は小声で何かを話している。


「上野、少しあっち向いてて」

「……分かった」


 俺は結城に指示されたとおりに、廊下の奥へ視線を移す。

 小虎達の方から衣擦れの音が聞こえる。

 結城が持っていたズボンを小虎が穿こうとしているみたいだ。

 どうやら小虎はパンツまるだしだったことが、恥ずかしかったらしい。

 ゾンビの恐怖で忘れていた羞恥心が、冷静になった今、湧き上がってきたのだろう。


 俺自身が長いことパンイチなので、パンツを他人に見られることが恥ずかしいという当たり前の常識をすっかり忘れていた。

 霧が充満した暗い廊下を眺めながら、そんなことを思っていると、違和感に気付く。

 廊下の奥で、何かが動いている気配がする。

 最初は見間違えかと思ったが、人間がこちらに向かって走ってきている。


「おい、誰かが走って来るぞ」

「こっち、見ないで! キャッ」


 俺が小虎に視線を向けると、小虎はズボンを半分穿いた状態で、ころんと廊下に転がってしまう。再び可愛らしいパンツがあらわになるが、今はそれどころではない。


「ゾンビが来るの?」


 結城が廊下に視線を向ける。


「いや、人間っぽいな。……大仲?」


 廊下の奥から走って来たのは大仲未音だった。

 それも服がボロボロにやぶけて、その隙間から下着が見えている。

 明らかに、ただことではない。


「――あなた達も逃げて!」


 大仲はそのまま止まらずに俺達の横を猛スピードで駆け抜けていった。

 俺達はそんな大仲を、あっけに取られながら見送った。


「なんだ? ……って、やばい! みんな逃げろ!」


 大仲の背中を見送った後、視線を大仲が走ってきた廊下に向けると、そこには大量のゾンビの群れがあった。

 ゾンビの群れは津波のように廊下を埋め尽くしながら迫り来る。

 たとえ結城でも対処不能の数だ。

 数に圧倒されて、もみくちゃにされる。


 俺達も大仲の後を追って逃げる。そこに小虎の泣きそうな声が響いた。


「待って、置いていかないで~」


 小虎は半脱ぎのズボンに足を取られて、立ち上がれず芋虫のように這いずっていた。


「小虎は俺が助ける。みんなは先にいけ」


 立ち止まった結城達に言い放ち、俺は倒れている小虎に駆け寄る。

 小虎は涙目で俺の名を呼ぶ。


「……上野くん」

「悪いがズボンは諦めてくれ」


 小虎を抱きかかえると、半脱ぎだったズボンがするりと足から抜け落ちていった。


「あっ……」


 小虎は少しだけ悲しげな表情を見せた。

 一瞬だけ俺と目が合うと顔を真っ赤にして、視線を下に向けた。


「よし、逃げるぞ」


 俺は小虎を抱きかかえて走った。

 幸いなことにゾンビ達の移動速度は速くない。

 ゾンビの群れを振り切り、すぐに結城達に追いついた。

 大仲、結城、諏訪、藩出の四人が廊下で立ち止まっていた。


「なんで立ち止まってるんだ?」

「前にゾンビがいるのよ」


 俺の質問に大仲が答えた。

 奥を見ると三体のゾンビが廊下を塞いでいた。

 先ほど、トイレ前で見捨てた三人だ。


「結城、三体。いけるだろ?」

「うん、任せて」


 俺の問いに力強く答え、結城は一歩前に踏み出す。

 そこに事情を知らない大仲が、取り乱したように割って入り、近くの部屋の扉に手をかける。


「無理よ。一旦、手近な部屋に逃げ込みましょ。

 ほら、この部屋、開いてる。ここに……」

「待て! 無闇に部屋の扉を開けるな!」


 俺は大仲の行動を止めようと忠告する。

 しかし、大仲は俺の言葉を無視して、近くの部屋の扉を開けて中に入ってしまう。

 そしてすぐに部屋から飛び出してくる。六体のゾンビと共に。


「きゃああああ!」


 突然、横からゾンビ達に襲われて、俺達はパニック状態に陥る。

 三体なら対処可能だったが、予想外の追加ゾンビで結城も対処不能になっている。

 俺達はゾンビにもみくちゃにされる。

 ゾンビ達に服を捕まれて破かれ、あられもない姿を晒す。

 俺は小虎を床に降ろし、その上に覆いかぶさるように防御体勢をとった。


「……上野くん」

「大丈夫だ小虎。お前は俺が守る。だから俺だけを見ろ」


 不安げな表情の小虎に、俺は無理に作った笑顔で答える。

 俺は服を着ていないので、ゾンビ達に背中を爪でひっかかれる。

 時折くる激痛を耐え、不安で震える小虎に、俺は笑顔を見せ続けた。


「ど、どうして上野くんは、そこまでしてくれるの?」

「お前を守ることが、今の俺の役目だから」

「……それって、上野くんは私のことが……」


 不安げだった小虎の顔がほんのり赤く染まった。

 小虎が何を思っているか分からないが、とりあえず頷いて同意する。

 今は、とにかく小虎の不安を取り除くことが最重要。


 俺にはゾンビを倒す力はない。

 義妹達とは違い、光の剣も闇の盾も使えない。

 できることは、せいぜいアシストをするぐらいだ。

 そして今は、小虎を安心させて叫ばせない・・・・・ようにする。

 小虎の絶叫で結城が体勢を崩せば、全滅する可能性が高まる。

 反対に小虎の絶叫を防ぐことができれば、きっと結城がゾンビを倒してくれる。

 そう信じて、俺は全力で小虎を守護した。


 やがて騒がしかった廊下が静かになる。

 トントンと肩を叩かれ頭を上げると、そこには結城の顔があった。


「おに、上野。ひとまず片付けたよ」

「ああ、よくやってくれた。助かった。……あれ?」


 体を起こそうとするが、首に重さを感じて途中で止まる。

 下を見ると、小虎が俺の首に腕を回して、ぼうっと俺の顔を見つめていた。


「あの小虎? 起き上がれないから、手を離してもらえるか?」

「……え? ああ、ごめんね上野くん、私ったら、つい」


 小虎は慌てて、俺の首から手を離した。

 俺は身を起こすと、小虎の手を取ってすぐ立たせた。

 小虎は頬を染めたまま、俺の手を離そうとはせず、ぎゅっと握り込んでくる。

 俺は警戒心の強い野良猫がやっと心を開いてなついてくれた時のような、そんな優しい気持ちになった。


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