027 非情で合理的な決断です。


 うめき声を漏らしていた女生徒がゆっくりと身を起こす。

 やはりゾンビ化が再発している。


「結城こっちだ! またゾンビ化しているぞ!」

「え? なんでよ!」


 結城を呼び、再び女生徒のゾンビ化を治す。

 廊下で横になる女生徒を見下ろしながら、俺と結城は話し合う。


「見ての通り、ゾンビ化が再発した。

 おそらくこの霧が原因だ。

 この霧をどうにかしないと、魔物化事件は解決しない」

「でもこの霧がどこから出ているのか分からないよ」


「生徒の人数は250以上。

 先生や施設内の人を合わせると、だいたい300人。

 この中から発生源を見つけ出すのは至難のわざだな」

「どうしよう、お兄ちゃん。……あっ! 今のは違うの小虎さん。

 上野って言い間違えただけだからね」


 結城は不安そうな表情を見せ、俺のことをついお兄ちゃんと呼んでしまい慌てて小虎に弁解する。

 小虎は結城に話しかけられているにも関わらず無反応。

 相変わらず俺に抱きついたまま離れない。


「小虎さん? ……えっ? なにして……」


 結城が横から小虎を覗き込んで何かに驚いていた。


「どうした?」

「小虎さんが、乳首を舐めてる」

「……ああ、どうりでさっきから乳首がくすぐったいと思った」


 俺は結城の言葉で納得する。

 妙に乳首がむずがゆいなと思ったら、小虎が舐めていたのだ。


「って、小虎なにしてんだよ!」


 一瞬だけ受け入れたが、明らかにおかしいことに気付き驚く。

 俺が大きい声を上げると、小虎はチロチロと舐めていた舌を引っ込こませ、乳首に噛み付いてきた。


「痛い痛い! 噛まれてる! 俺の乳首が! 乳首がああああぁぁぁぁ!」

「なになに? どうしたの? どうすれば良い?」


 結城は乳首を噛まれている俺を目の前に、あたふたとしている。

 小虎に乳首責めの性癖が無い限り、俺の乳首を好んで舐めたり噛んだりすことはない。

 だとすれば考えられるのはゾンビ化。


「ゾンビ化だ。小虎が半分ゾンビ化している。剣で切れ!」

「う、うん、分かった!」


 結城は少しだけためらった後、光の剣で小虎を切る。

 小虎は意識を失い、ようやく俺は乳首責めから解放される。

 責められていた乳首は、すっかり赤くなっていた。


「小虎さんは?」


 俺に抱きかかえられている小虎を、結城は心配そうに覗き込む。

 その後ろからは、藩出と諏訪もやってくる。


「大丈夫。意識を失っただけだ。

 それより俺の部屋にいくのは中止にしよう。

 ゾンビがいることが証明された今、行く意味はない。

 これ以上、進むのは危険だし、部屋に戻った方が良い」


 俺は自分の意見を表明し、全員の顔を見渡す。

 誰からも反対の意見は出ない。どうやら俺の意見が受け入れられたようだ。


「よし、決まりだ。元の部屋に戻る。

 あと諏訪と藩出は、なるべく結城の近くにいるように」

「上野ちゃん、ちょっと良い?」

「なんだ諏訪? トイレか?」

「違うよ。結城ちゃんの手から光る棒がでてるけど、あれはなんなん?」

「ああ、あれか。結城、なんなんだ?」


 俺は諏訪の質問をそのまま結城に振る。

 勇者であることを結城は隠しているため、俺が勝手に答えて良い質問ではない。


「諏訪さん、光る棒じゃなくて、勇者の剣よ」

「勇者の剣? 結城ちゃんは勇者なん?」

「そうよ私は勇者。魔王を討つもの。このゾンビ達も魔王の仕業よ」


 結城はあっさりと自分が勇者だとバラしていた。

 諏訪も藩出も一度、魔物化しているので、魔王ではないと分かっている。

 そこまで考えて、結城が言葉を発しているとはとても思えないが、本人が良いなら特に文句はない。


「結城が勇者なのは、本当だ。

 だから、俺は結城に会いに来たんだ。

 ゾンビ退治を頼むために」

「私の剣なら、ゾンビ化を治せるのよ」


 結城は自慢げに胸を張る。


「そういうわけだから、結城がゾンビを全て退治するまで、俺達は部屋で待機する。

 よいしょっと。じゃあ、部屋に戻るか」


 俺は小虎の膝に手を回し抱きかかえた。

 小虎は小柄なので、このまま運んでいけるだろう。


「倒れてる人たちは、どうする?」


 結城が倒れている女生徒三人を見回した。

 結城、諏訪、藩出の三人で、それぞれを引きずれば、部屋まで連れて行くことは可能。

 しかし意識を失った人間を運ぶのは、かなりの重労働だ。

 部屋に戻る時間も余計に掛かってしまう。


「その三人は、置いて行く」


 俺は非情な決断を下した。

 三人が俺の言葉に驚きの表情を見せる。

 見捨てるなんて言い出すとは、夢にも思ってもいなかった感じだ。


「それ、本気で言ってる?」


 結城の目が鋭く俺を射抜く。

 見捨てることは絶対に許さないと、その瞳が語る。

 正義感の強さは、さすが勇者といったところ。


「ああ、本気だ。助けたとしても、またゾンビ化する可能性が高い。

 連れて行って部屋の中でゾンビ化したら、迷惑だ」

「……迷惑? 私の近くにいれば平気なはず」


 さらに結城の目が鋭くなる。

 しかし俺は自分の意見を曲げる気は一ミリもない。


「その通りだ。勇者である結城の近くにいれば、霧が祓われてゾンビ化しない。

 でも部屋に戻ったあと、結城は事件解決のために施設内にいる原因を探しまわることになる。

 つまり、部屋の中でずっと一緒にいるってわけにはいかない。

 その際に部屋の全員がゾンビ化するなら、問題ない。

 ゾンビ同士は争わないから、安全だ。

 危険なのは一部だけがゾンビ化して、ゾンビ化してない人間が襲われること。

 おそらく諏訪と藩出はゾンビ化しない。するとしてもかなり霧を浴びないとならない。

 二人は一度、魔物化したことがあるから耐性があるんだと思う。

 俺は諏訪と藩出の安全確保のために、ゾンビ化する可能性が高い三人を置き去りにすると言っている」


「…………」


 結城は俺の言葉の意味をゆっくりと消化しているようだ。

 諏訪と藩出の表情もやわらかくなっている。

 俺の理由が納得いくもので、安心したのだろう。


「…………」


 俺は結城が言葉を消化しきるのをじっと待つ。

 俺の意見は合理的だ。

 わざわざ苦労をしてまで自分達を危険に晒すのはバカのすること。

 しかし、そんなバカなことも勇者はやりたいと思ってしまう。

 理屈は理解できるが、心が納得できない、といったところだろう。


 人を助けずにはいられない勇者の心。

 それは神の祝福ではなく、神の呪縛なのかもしれない。

 ふと、そんなことを思った。


「……分かった」


 たっぷりと時間をかけて、結城は頷いた。

 納得はしたものの、結城は倒れている三人を悲しい目で見つめている。

 俺は慰めるように言葉を掛ける。


「大丈夫だ。事件が解決すれば、三人は助かる。

 それに人間のままでいるより、ゾンビ化した方が安全なのは間違いない。

 俺もできればゾンビ化して、事件解決までのんびりと待ちたい。

 けど、どうせ俺はゾンビ化できない。できる奴が羨ましいよ」


「あはは、ゾンビ化が羨ましいなんて、上野は変なこと言うんだね」

「ゾンビ化しても、勇者が必ず助けてくれるって、俺は知ってる。

 だから、安心してゾンビになれる。そうだろ?」


「おに、上野……」


 兄の厚い信頼を受けて、結城は感動したように目をうるうるさせていた。

 そこに少し不機嫌に藩出が割り込む。


「あのあの! こんなところでのんびりと会話をしている場合じゃないと思うんですけど! 早く部屋に戻りましょう。

 そうですよね上野くん?」


「お、おう。そうだな。……藩出、なんか怒ってる?」

「なんで僕が怒るんですか? 怒る理由はありませんよね?」


 藩出は笑顔だが、目は笑っていなかった。

 たしかに藩出が怒る要素は一つもない。

 だとすると、ゾンビに対する恐怖心を怒りと勘違いしてしまったのかもしれない。


「ねえ上野ちゃん?」

「ん? なんだ諏訪」

「ゾンビ化するのが一番安全なら、チョモちゃんは置いていった方がいいじゃないのん?」


 諏訪は俺が抱きかかえる小虎に視線を向ける。


「たしかに、その通りだ。

 でも倒れている三人とは違い小虎は小柄だから、俺が運んでいける。

 部屋に連れて行ってゾンビ化する可能性はあるが、一人だけなら取り押さえられると思う。

 それでも諏訪と藩出が小虎を置いていけというなら、俺はそれに従う。

 どうする?」


 俺は諏訪と藩出に問う。

 諏訪と藩出はお互いの意志を視線で確認し合い軽く頷くと、ほぼ同時に答えた。


「連れて行こう」「連れて行きましょう」


「よし、決まりだ。

 小虎を部屋に連れて行って、俺がされてたみたいに簀巻きにすれば、ゾンビ化しても暴れられないだろう」


「それじゃあ、部屋に戻りましょ」


 小虎のズボンを拾った結城が言い、俺達は元の部屋に戻ることになった。

 少し歩くと、後ろでうめき声が聞こえた。

 トイレ前に置いてきた三人が、再びゾンビ化したのだろう。

 そこそこの距離もあるし、大きい音を立てない限り、こちらに気付いて襲ってはこないはず。

 俺達は後ろを無視して、なるべく結城に身を寄せて廊下を進んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る