010 二人は可愛い妹です。


「……お兄様」


 部室に続く廊下で真白が口を開いた。


「なんだ?」

「いえ、ただ呼んでみただけです」

「……そっか」


 真白は、諏訪の前では、上野さんと俺を呼んでいた。

 お兄様と呼ぶのを我慢していたのだろう。

 それが二人きりなって、我慢できなくなった。

 なんて、可愛いのだろう。

 今すぐ、抱きしめたくなったが我慢する。

 それは部室に入ってからだ。

 廊下だと、誰かに見られる可能性がある。


「あのさ、これからのことなんだが」

「これから、ですか?」

「ああ、やっぱ入った方が良いのかな?」


 幻想部に入って一緒に、勇者探しを手伝うべきか。

 それともこのままでいいのか。

 まあ、勇者が誰かはすでに知っているので探す必要がない。

 だけど一応、真白の意見を聞いておきたかった。


「お兄様さすがです。そんな先のことまで考えていらっしゃるなんて」


 真白はなぜだか、感動している。

 そんなに部活に入って欲しいのだろうか。


「やっぱ、一緒に居た方が良いかなと思って」

「もちろん一緒が良いに決まってます。

 ですが、お兄様に入っていだたくのではなく。

 私が入ります」

「…………」


 俺じゃなくて、真白が入る?

 あれ、真白はすでに幻想部に入ってると思ったのだが、違うのだろうか?

 それとも、俺と同じ帰宅部になると言っているのか。


「桜璃って今、幻想部に所属だよな?」

「はい、そうですけど。それが?」

「俺は幻想部に入った方が良いのか?」

「そうですね。出来れば、お願いします」


 真白は軽く答える。

 あれ、今まで熱く語っていたのに、随分とあっけない。


「ああ、そう。うん、わかった」

「それで、お兄様! 話の続きなんですけど」


 再び真白は熱く語りだす。

 あれ、今その話まとまらなかった?


「続きって、なんの話だ?」

「それは一緒になるという話ですよ」

「だから、今部活に入るっていっただろ?」

「違います。そのことではなく。結婚の話です」


「……え? いつそんな話した?

 それで誰が結婚するんだ?」

「もうお兄様ったら。そんなの決まってるじゃないですか。

 もちろん私とお兄様ですよ」

「…………」


 意味が分からない。

 部活に入る話がなぜ結婚の話になっている?


「ちょ、まて。俺達が結婚する話に、いつなった?」

「え? お兄様が婿養子に入るとおっしゃって。

 申し訳ないので、私がお兄様の籍に入ることになったじゃないですか」

「俺が入るっていったのは、部活のことだよ。

 結婚のことじゃねーよ」

「え? では、結婚は……」


 真白は悲しそうな顔をする。

 俺が嘘を付けば、妹の悲しみを癒せる。

 しかし、ここで安易な嘘をつけば、後で余計に傷つけてしまう。

 はっきりと、言うべきだ。


「結婚はしない。俺達はまだ高校生だ。

 まだそういうことを考えるのは早い」

「わ、わかりました」


 今にも泣きそうな顔で、頷く真白。

 俺は自然と真白の頭を撫でた。


「ごめんな」

「いえ、私が早とちりしただけです。

 お兄様は悪くありません」


 兄想いの可愛い妹を悲しませてしまった。

 俺の中に罪悪感が芽生える。

 どうにかして、妹の笑顔を取り戻してやりたい。

 部室の前に来て、真白が扉に手を伸ばす。

 俺は真白を後ろから、抱きしめた。


「え? お、お兄様。な、なにを?」


 いきなり抱きつかれて、驚く真白。

 俺は真白の求める言葉を耳元で紡ぐ。

 妹として、愛する兄から貰いたい言葉を。


「……愛してるよ。桜璃」

「お兄様……。私もです」


 兄妹の愛を確認するように、お互いの体温を確かめ合う。

 あまり他人を抱きしめたことがないので、思いのほか熱いことに驚く。

 いつもクールな真白。

 抱きしめたらひんやりするのかと思ったが、そんなことはない。

 ちゃんと温かい。

 少しだけ感情を出すのが苦手な、普通の女の子だ。


 俺には、前世の記憶がない。

 だが、真白の言動から、妹想いの良い兄だったのは間違いない。

 おそらくそれには遠く及ばないが、出来る限り真白の中の兄に近づきたいと思った。


 しばらくの間、兄妹の愛を部室の前で確かめ合った。

 すると突然、目の前の扉が開いた。


「ひゃ!? なな、なにしてるのよ! あんたたち!」


 部室から顔をだしたのは結城だった。

 なんで結城がここにいるんだ?

 それより、まずいところを見られてしまった。

 どうにかして、ごまかさないと。


「違うんだ! これは痴漢に襲われたときの練習。

 さ、最近、ぶっそうだからな。

 後ろから抱きつかれたとき、どう逃げ出すか。

 まずは相手のつま先を踏む。

 もしくは相手のスネをかかとで蹴る。

 あとは、体をずらして肘鉄を放つ。

 よし、真白。やってみろ」

「はい!」


 威勢の良い返事をして、真白は体をずらして肘鉄を放つ。

 俺は腹に肘を受け、息を詰まらせる。

 腕から力が抜ける。

 その瞬間に真白はするりと抜け出す。

 そして俺の腕をひねって、押さえつけた。


「あたた、よし。いいぞ。良くやった。

 教えてもいないのに、すごいな」

「ありがとうござます」


 どうやら真白は護身術の知識があるようだ。

 俺が教えるまでもなかった。

 まあ、真白が見事な護身術を披露したので、とっさについた嘘に真実味が増した。

 結城は感心したように、パチパチと手を叩いている。


「おおー、すごいすごい」

「どうだ、結城もやってみるか?」

「は? なんであんたに抱きつかれなくちゃならないわけ。

 キモいんだけど」


 結城は俺の誘いをにべもなく断った。

 まあ、今の結城は俺を兄だと知らないのだで当然の反応だ。

 横では真白が、ほっとした表情を浮かべている。

 俺が結城に抱きつくのが、嫌だったのだろう。


「そっか、まあ結城はどっちが背中か分からないから。

 痴漢も抱きつきにくいだろう。防犯はばっちりだな」

「は? あんた殴られたいの?」


 結城は握りこぶしを作る。

 俺は痛いのは嫌なので、すぐに言い訳をする。


「待て待て、俺は褒めたんだよ」

「どこがよ?」

「俺は貧乳もいけるぞ」

「ふん、あんたに好かれても、ぜんぜん嬉しくない」


 結城はぷいっと、そっぽを向く。

 作った握りこぶしを解いたので、難は逃れたらしい。


「…………」


 横を見ると真白が、自分の胸に手を当てて悲しそうにしている。

 俺が貧乳だけを好きだと勘違いしている。

 俺は巨乳も好きだ。

 すべての胸を愛するオールラウンダー。

 そのことを説明しても良いが、長くなりそうなのでやめておこう。


「そんなことより、なんで結城が幻想部にいるんだよ?

 真白になんか用でもあったのか?」

「は? 何言ってるの?

 私は部員なんだから、いるのは当然じゃない」

「そうなのか?」


 俺は結城ではなく、真白に訊ねる。


「はい、その通りです。紗瑠しゃるは幻想部の部員です」

「ほらね」


 結城はドヤ顔で、無い胸を張る。


 さて、ここで確認しよう。

 結城紗瑠ゆうきしゃるは幻想部部員。そして勇者。

 真白桜璃ましろおうりは幻想部部員。そして魔王。

 勇者は魔王を探している。そして魔王は勇者を探している。

 お互いのかたきが、すぐ目の前にいるのに気付かない二人。

 ああ、なんて可愛い奴らなんだ。

 俺は二人の妹がたまらなく愛おしいと感じた。


「なに、ニヤついてるのよ。キモいんだけど?」

「ああ、すまん。お前らは可愛いなと思って」

「な、なによいきなり。褒めても何もでないわよ」

「…………」


 顔を赤くしてあわてる結城。

 真白は嬉しそうに少し笑ったが、すぐにムっ表情を堅くする。

 おそらく自分以外の人物を可愛いと評したことが気に入らなかったのだろう。

 口汚く罵ってくる妹も、ちょっとしたことで嫉妬する妹も、どちらも可愛い。


「んで、結城は帰るのか?」

「うん、そうだけど」

「そか、気をつけて帰れよ」

「…………。それじゃバイバイ桜璃」

「はい、さようなら紗瑠」


 結城は俺を無視して、真白にだけ挨拶をして帰っていった。

 俺と真白は、部室に入る。

 扉が閉まると同時に、真白は俺の胸に飛び込んできた。


「どうした真白?」

「名前。私のことは名前で呼んでください。お兄様」

「ああ、二人きりの時は、名前で呼ぶって約束だったな。

 でも、それは今日限定だからな」

「……わかりました」


 真白は俺の胸に顔をうずめながら、しぶしぶ了承する。

 本当は、今日限定なことに不満なのだろう。

 しかし、相手の呼び方をシチュエーションごとに変えるという器用なことを俺が続けられるはずがない。

 いつかヘマをするが目に見えている。

 真白と俺の関係が第三者にバレれば、魔王だということが結城にバレる確立が高くなる。

 そうなれば、魔王と勇者の直接対決がはじまる。

 可愛い妹同士が戦うのは、兄として避けるべきだろう。

 ここは真白に我慢をしてもらい、安全第一でいくべきだ。


「悪いが、我慢してくれ。桜璃」


 俺は真白の頭を撫でる。

 真白は気持ちよさそうに、目を細めたあと口を開く。


「お兄様、ひとつお願いがあるのですが……」

「ああ、なんだ?」

「目を閉じて、少しだけ屈んでください」

「わかった」


 俺は真白に言われたとおりに目を閉じて、少しだけ膝を曲げた。

 顔のすぐ近くで、真白の息遣いが聞こえる。


 ──チュッ。


 俺の頬に、少し湿ったやわらかいモノが触れた。


「お兄様、もう結構です」


 真白に言われて俺は目を開く。真白は頬を赤く染めて、うつむいている。


「いまのは?」


 俺は頬を手で押さえて質問をする。


「ループを解決してくださったお兄様への私からの御礼です」

「そ、そうか。ありがとう」


 初めは何をされたのかよく分からなかった。

 だが、真白が恥らっていることから、頬にキスをされたのだと理解して、急激に恥ずかしくなった。

 お互いに少し意識しすぎて、ぎこちなかったが、ループ事件の話をすることで、そのぎこちなさは、いつのまにか消え去っていった。


 真白に本当のことは話せない。

 もし本当のことを話せば、勇者の正体がバレる。

 俺はなんとか辻褄のあったウソの報告を考えて、それを報告した。

 それは以下のような感じだ。


 教室で諏訪に告白されたが、きっぱりと断った。

 諏訪にループをやめるよう説得し、ループを解決させた。

 その後、諏訪は寝ぼけて服を脱ぎ出し、俺はそれを止めようとしてもつれて倒れた。

 そこに真白がやってきた。


 だが、実際はこうだ。

 教室で諏訪の告白を受け入れ、恋人になり願いを成就させループを解決。

 直後、再び諏訪が魔物化する。

 偶然に居合わせた結城が魔物化を解決し、その場を去る。

 裸の諏訪と俺は教室に取り残され、意識を取り戻したところに真白が登場。

 諏訪は魔物化の影響で、俺と恋人になったことを忘れてしまった。


 真白は、諏訪の告白を俺が断り切れないのではと懸念していたらしい。

 しかし俺がきっぱりと断ったことに、感動していた。

 実際は、懸念どおりに断りきれずに告白を受けれてしまった。

 だが魔物化が発生し、告白のくだりがうやむやになった。


 災いを転じて福となす。


 魔物化のおかげで、真白の中のお兄様像を壊さずにすんだ。

 ウソで兄の株を上げたことは、少しだけ心が痛い。

 しかし辻褄合わせの仕方ないウソなので、俺は悪くない。

 悪いのは、妹想いの優しい兄心。


 まったく可愛い妹が二人もいる兄は大変だ。

 こうして勇者の奇跡が起こしたループ事件は解決を迎えた。

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