008 小さいのも好きです。


 ──ガラガラガラ。


 俺は教室の扉を開けて、中に入った。

 放課後の教室は静かだ。動くものが一つもない。

 まるで時間が止まっているような錯覚を覚える。

 一見、誰もいないように思えた。

 しかし、たしかに人がいる。

 俺の席に突っ伏して眠る諏訪。


「ここ、俺の席なんだけど? 間違ってるぞ」


 俺は近づいて諏訪の頭に声を掛けた。

 諏訪はピクリと体を振るわせた後、ゆっくりと体を起こした。


「上野ちゃんだ。おはよーん。はわー」


 目にたまった涙をふき取り、あくびをする諏訪。

 なんだか少し目が赤い気がする。

 もしかして泣いていたのだろうか?


「おはよう。つって、もう夕方だけどな」

「ああ、本当だー」

「これ、お前のだよな」


 俺は諏訪からの手紙を取り出して見せた。


「うわ! すごい! ヨクあたしが書いたって分かったねん」

「教室に残ってるの、諏訪しかいねーし」

「正解した上野ちゃんには、これをプレゼントします。あーん」


 そう言って諏訪はグミを取り出し俺に差し出す。

 俺はそのグミを手で受け取り、口に入れる。


「さんきゅ」

「むぅ、上野ちゃんにあーん、したかったのに……」


 残念がる諏訪。

 前回はあーんしたが、今回やらない。

 真白と話していたせいで、諏訪にはかなりの時間を待たせてしまった。

 そのことを素直に謝る。


「悪いな。結構、待たせちまったな」

「鞄忘れて、帰っちゃのかと思ったよん」


 机には俺の登校用鞄が掛かっている。

 鞄を持ち帰る必要もないが、手ぶらだとなんだか気持ち悪い。

 なので、ほぼ空の鞄を持って登下校する。


「上野ちゃん、部活やってないよね? 何してたのん?」

「ああ、それは、うんこだよ。腹の調子が悪くてな」

「一時間も?」

「ああ、ギネス級のが出たぜ。ブリブリブリってな」

「上野ちゃん、キタナイ」


 諏訪は不快そうに眉をひそめた。

 いつもヘラヘラしている諏訪が嫌な顔をするは稀だ。


「あはは、すまん」

「上野ちゃん、どうして?」

「なにが?」

「どうして、あたしに嫌われようとしてるの?」

「…………」


 俺は言葉を失う。

 そして諏訪は、いつになく真剣な表情をしている。


「上野ちゃんは、あたしに好きになられたら、嫌なのん?」

「嫌ではない。むしろ嬉しい」

「そっか、良かったー。あたし上野ちゃんのこと大好きだから」


 そう笑顔で告白をする諏訪。

 これは友達としてではなく。異性としての告白だろう。


「ありがとう。嬉しいよ。俺も諏訪は好きだ。友達として」

「……トモダチ」

「ああ、友達だ。それ以上はない」

「上野ちゃんは、真白ちゃんみたいな子が良いの?」

「なぜそこで真白がでてくる?」

「真白ちゃんと、一緒に教室でていくの見たよ。

 今まで、真白ちゃんと一緒にいたんでしょ?」


 俺の嘘は、とっくに見破られていたようだ。

 さて、もう回りくどいのはやめよう。


「たしかに、今まで真白と一緒にいた。

 だが、それは相談事があったからだ。

 諏訪も分かってるんだろ?

 ループ中の記憶があるお前なら。

 俺が前回と違う行動を取ってるってな」

「やっぱり上野ちゃんは、前回を覚えてるんだ」


「ああ、そうだ。

 お前は自分の願いを叶えるために、今日を繰り返している」

「そこまで、分かってるんだ。すごいね上野ちゃんは……」

「俺は記憶を保持している。

 だから、諏訪がいくら今日を繰り返そうと、願いが叶うことはない」

「そっか。あたしは上野ちゃんの恋人になれないんだ」


 諏訪は事実を受け入れ肩を落とした。

 そこに何者かが乱入してきた。


「ちょっと、まったぁぁぁぁ!」


 キュ! っと床に上履き擦れる音が響き現れたのは結城紗瑠ゆうきしゃる


「結城!」「結城ちゃん!」


 俺と諏訪は、目を丸くする。

 まさか乱入者がいるなど夢にも思わない。


「諏訪さん。上野の詭弁にだまされないで。

 今日を繰り返してるなんて、へんてこな妄想を信じちゃダメよ」


 結城は必死に諏訪へ呼びかける。

 ループを認識していない結城にとっては、俺と諏訪の会話はただの妄言にしか思えない。


「で、結城は何をしたいんだ?」

「私は諏訪さんの恋を成就じょうじゅさせたい」


 恋する乙女を応援する。実に勇者らしい行動だといえよう。

 だが、お節介が過ぎる。


「いいか結城。恋人になるには一人じゃダメなんだ。

 二人の人間が必要で、なおかつお互いが好き同士。

 これが条件だ。

 俺の気持ちが変わらない限り、諏訪の恋は成就しないんだよ」

「いいえ、上野。あんたは諏訪さんが好きよ。大好きなのよ!」

「まあ、好きだけど、それは友達として……」

「いっつも胸見てる!」


 俺の言葉を遮るように結城は宣言する。

 あながち間違いではないので、言葉に詰まる。


「なっ……」

「こいつは、諏訪さんの胸をいっつも見てるのよ。

 それって女として、好きってことでしょ?」

「たしかに、俺は諏訪の胸を見ている。

 しかし、これは不可抗力なんだ。

 目の前に山があったら登ってしまうように。

 目の前に胸があったら、見てしまう。

 それが男なんだよ」

「ふーん、男を言い訳に、自分の気持ちをごまかすんだ?」


 ここで変に嘘を付けば話がややこしくなる。

 正直に自分をさらけ出そう。


「俺は諏訪が好きだから胸を見てるわけじゃない。

 結城に胸があれば、俺は見る。

 だが、残念なことにみる胸はないが……」

「はあ? あんた今、私が貧乳だっていった?」


「いや、言ってない。いつも背中を向けてるから、みたことないだけだ」

「こっちが正面。あんたが今見てるのが正面よ」

「そ、そうか」

「なに、悲しそうな顔してるのよ」

「俺は貧乳も好きだぞ」

「ちょ、なに告白してるのよ。

 私はあんたのことなんて、全然好きじゃないんだからね!」


 顔を赤くしてあわてる結城。


「上野ちゃん。結城ちゃんが好きなの?」


 目に涙を浮かべる諏訪。

 話がズレ始めている。


「いや、俺は結城が好きなわけじゃなくて。

 貧乳もいけるってだけ。

 でも、やっぱり大きい方が好きだ」

「ほら、いま好きっていった。諏訪さんのこと好きって言った!」


 鬼の首でも取ったように騒ぐ結城。


「言ってねーよ。俺は胸が好きって言ったんだよ」

「じゃあ、胸の大きい諏訪さんは?」

「……好きだよ」

「ほら、好きなんじゃない!」

「……もう二人共、ムネムネ言い過ぎだよん。

 なんだかあたしネムネムに、なって来ちゃったぁ……」


 俺と結城の会話が、なぜか諏訪を眠りに誘ってしまった。

 さて、どうしたものか。

 結城の登場で、話がこんがらがってしまった。

 俺がここに来た理由は、諏訪が起こしているループ現象を止めるためだ。

 その方法は、成就か説得かの二択。


 諏訪の俺への想いは本物だ。

 それに対して、俺が諏訪を本気で好きかと、問われれば疑問が残る。

 ちょっと好きだから、諏訪の告白をOKするのは、不誠実な気がする。

 諏訪に誠実でありたいと思うのは、自分勝手な思いなのだろうか?


 一番優先すべきことはループの解決。

 俺が誠実かどうかは二の次。


 ──受け入れよう。


 諏訪の告白を受け入れて、恋人になる。

 それでループが解決される。

 諏訪の願いが成就され、ループする意味がなくなる。



「よし、分かった」

「何が分かったのよ?」


 ケンカ腰に結城が俺を睨む。

 それを俺は笑顔で返し、諏訪の肩を叩いて起こす。


「諏訪。付き合おう」

「ふえ? ……いい、いま、なんて?」


 諏訪の眠たそうな顔から一気に、眠気が消える。

 結城は口を押さえて一歩下がる。そして事の成り行きを静かに見守っている。


「俺は諏訪。いや、来夢が好きだ。恋人になろう」

「……上野ちゃん」


 諏訪の目から、ポロポロと涙が零れる。

 だが、その顔は笑顔だ。泣きながら笑っている。


「上野ちゃん。ほんと? 嘘ついてない?」

「嘘じゃないよ」

「じゃあ、証明してよん。好きだってこと」

「証明? ってなにすれば……」


 諏訪は座ったまま、顔を上げて目を閉じる。

 俺は諏訪の肩に手を置く。その肩は微かに震えていた。

 ゆっくりと、顔を近づける。

 目を閉じて、俺は諏訪の唇に、自分の唇を合わせた。


 やわらかい。

 そして、温かい。

 諏訪の体温が唇を通して、俺に流れ込んでくるようだ。

 甘い吐息と、少しだけ涙の味がする。

 肩の震えは、いつの間にか収まっている。

 やがて、諏訪の体から何か温かいものが抜け出るのが分かった。

 目を閉じているのではっきりしないが、おそらく光の玉。オーブだろう。

 これで、ループは解決だ。


 俺は諏訪から、口を離そうとする。

 だが、諏訪は俺の頭を手で掴みそれを阻止する。


「んっ!?」


 俺は驚いて目を開く。

 すると、光の玉が諏訪の体に入っていくのが見えた。

 光の玉が出戻ってきたのかと思った。

 しかし、それは間違いだと気付く。


 諏訪の唇が、そのやわらかさを一層増す。

 顔色は真っ青になり、俺の頭を掴む手からはベトベトの粘液が垂れる。


 ──スライム。


 諏訪来夢は再び、スライムに変身していた。

 全身が青色で粘液の化け物。

 俺はスライムに捕食されていた。

 顔はすでにスライムの中にめり込んでいる。

 呼吸は出来ない。

 だが、すぐそばに結城がいる。

 結城は勇者だ。前みたいに俺をスライムから助けてくれる。


 俺は結城を横目に見る。

 そこには結城がいた。

 しかし結城が動く様子はない。

 なぜなら、結城は顔を手で覆って、俺たちを見ないようにしているからだ。

 気遣いができる良い子。だが今は、それが裏目っている。


 俺は上履きを半脱ぎして、結城にけり飛ばした。

 上履きは結城のスネにぶつかる。


「あ、いッたぁぁぁぁ! もう、なによ!」


 結城はスネを手で押さえて、片足でピョンピョン飛び跳ねる。


「え? スライム? 上野が喰われてる?」

「……ボボボボボ!」


 俺は必死に叫ぶ。

 しかし声はただの気泡になってしまう。

 そこで俺の意識は途絶えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る