第15話 女神、半狂乱する

 ローラがダリルに要らぬ告白をした翌朝。寝坊したせいで花柄ピンクのフリルが付いたパジャマ姿のまま、ローラは食堂のいつもの席で朝食を取っていた。寝惚けていたのだろう。パタパタと揺らしている足は裸足だ。


 そんなローラは既に覚醒しており、食後のハーブティーを啜りながら、ダリルとセナの様子を盗み見るように瞳を右へ左へと動かして観察していた。


(昨日の話で、わたしが無茶をしていることをダリルは納得してくれたみたいだけど、お母様はどうなのかしら? 空間魔法のときもそうだったし、案外怖いのよね、お母様って……魔法眼等のスキルと違って帝国への報告は必要ないらしいけど、どうやら継承者はそれよりも珍しい存在らしいし、黙っていたことを怒っていなければいいなー)


 ローラは、ニコニコと優しい笑顔を浮かべたセナから厳しく問い詰められた日のことを思い出し、遠い目をする。


 それも全て、その場の思い付きで適当にやり過ごそうとしてきたローラが悪いのだが、そのことに当の本人であるローラは全く気付いていない。神の知識を使ったことで神眼のそれを魔法眼と勘違いされ、適当な理由付けのせいで継承者であると、ダリルに認識されてしまった。


 ――身から出た錆……とまではいわないが、それに近いかもしれない。


 結局、そのまま待っても、ローラの予想していた展開にはならず、時間ばかりが過ぎていく。


「はぁ~」


 嘆息してからローラがカップを持ち上げる。その中身も残りあとわずか。最後の一口をローラが口に含み、名残惜しそうにカップの底を見つめる。そこには、ゴールドとミスリルを混ぜ合わせた染料でラベンダーが描かれていた。


 磁器の白に描かれた金と白銀が鮮やかで、いつまでも見ていられるほど美しい。調度品類が少ないフォックスマン家ではあるが、食器などはかなり高価な部類の非常に良い物を使用している。


 その実、セナの実家であるドリーセン伯爵からの贈り物で、売ることが出来ないというのが正解かもしれない。


 セナは、上級貴族の令嬢であり、宮廷魔法士を務めていた経歴の持ち主。ただ、専門分野は光魔法で補助魔法士部隊所属だったらしい。それほど戦場に出る機会もなく、ほとんどの時間を研究に費やしていたという。


 その当時、空間魔法を研究していた部下に、ディビーの母親であるテレーナがいたのだとか。


 正直、ローラとしては、どうでもよいことだった。それでも、今回ばかりは、その偶然のせいでテレーナが研究していた空間魔法の呪文をローラが盗み見たのではないか、という疑いを掛けられていたのだ。


 ただそれも、ローラに継承者の特徴があることから、その疑いは既に晴れている。が、その特殊な体質であることが新たに判明した訳で、セナがそのことについて追及してくると、ローラは考えていた。


 いまのところその様子はみられない。時間を延ばすことに限界を感じたローラが静かにソーサーへカップを戻し、フキンで口元を拭く。そして、いつものように席を立とうと椅子を引いたとき。


「あぁ、部屋に戻る前に話があるからちょっと待ってくれ」


 ダリルがローラに待ったを掛けた。


 ダリルの声にその動作を停止させたローラは、やっときたわね! と瞳を閉じる。それからローラは、声を掛けてきた本人ではなく、左前方にいるセナの顔を見上げるのだった。


 昨日のことよね? という、確認の意味で窺う視線を向けたのだが、セナは何を勘違いしたのか、「大丈夫よ」と、一言だけいって微笑んでいた。


 いつもの柔らかい母親らしい微笑み。


 ローラが訝しむように眉根を顰めたせいか、そんな返事をしたのだろう。


「はい。わかりました、お母様」


 終始笑顔のセナの様子に首を傾げながらもローラは、大人しく座り直す。


(むむ、セナお母様はいつも通りニコニコしているけど、そういうことよね、うん。あのダリルがお母様に話していないハズもないし……まさか、あのときみたいに怒っているんじゃ……)


 当時の記憶が再び蘇り、わなわなと小刻みに震えながらローラが二度見をする。


 普段通りのセナの笑顔が、そこには変わらずあった。


「…………」


 ローラは、昨日の固い決意が揺るぎ始めるのを感じた。


 それは、どんなことをいわれても大丈夫なように、寝る前に予習をしており、


『まあ、この時代で空間魔法は、ロストマジックといわれるほど珍しい魔法なのに、本で呪文を見たなんっていえば、そりゃあ疑いもするわよね』


 と適当に誤魔化したことを反省し、


『あーあ、いつも完璧なわたしとしたことが、ついぬかったわね』


 などと、完璧? いつも適当じゃないのよ、とミリアから突っ込みが入りそうなセリフを吐き、


『女神のわたしは分け隔てなく民を愛していると伝わっているらしいし、女神のように帝国騎士としてではなく、冒険者としてみんなのためにその力を振るうといって押し通してやるわ!』


 と一人、自室でローラは息まいていたのだった。


 だからという訳でもないが、食後のハーブティーをのんびりと香りを楽しむようにして、いまかいまかとその話題になるのを待っていたのだ。が、待てど暮らせど二人からその話題が出ることはなく、他愛の無い話ばかりであった。故に、考えすぎなのかしら? とローラは席を辞することにしたのだった。


 結果、呼び止められはしたものの、ダリルが何かを切り出すこともない。


 ローラが焦れてダリルの方を見ても、「まあ、待て、もう直ぐだから」というばかりである。


 何を待っているのかしら? とローラは、何もすることがなく持て余した時間を、ハーブティーをお代わりして過ごす外なかった。そして、三杯目のお代わりをアリエッタがローラの前に置いたとき、食堂の扉が叩かれた。


 ローラが扉に視線を向けると、執事であるスコットが入ってきた。


「失礼します。皆様がご到着いたしました」

「ご苦労、それでは入ってもらえ」


 ダリルに会釈してからスコットが廊下の方を向いて手招きした。


「えっ、あんたたちどうしたのよ!」


 どうしたもなにも、ダリルに呼ばれたのだろう。しかし、聞かずにはいられなかったのだ。


 ミリア、ディビー、そしてユリアの三人が訓練のときと同じ革鎧という出で立ちで、頭をペコペコ下げながら食堂に入ってくる。


 ローラがすかさずダリルの方を見た。


「そうだよ。俺が呼んだんだ」


 なぜ? とは、聞かない。ミリアたちが呼ばれたのは予想外だったが、そのことがローラの予想を確定付けるものとなった。むしろ、それはローラにとって願ってもないことだったりする。


 おかげで簡単にことを進められそうね、とほくそ笑んだくらいだ。


(この四人で世界を渡り歩く冒険者となって、平和を守る話でもすればいいんじゃないのよ!)


 ローラは、再び適当なことを思い付いてしまった。


 が、


「そうだな……ローラはモーラの席に、セナもこちらへ」


 不思議に思いながらもローラは、いわれた通りにダリルの左手側の席に移動する。


 セナは、テイラーの席であるダリルの右側に席を変えた。


「さあ、いつまでもそんなところに突っ立ていないで、も座りなさい」


 ローラがダリルの言葉に違和感を覚える。


「し、失礼します」


 恐縮した様子でミリアがお辞儀をし、ローラがさっきまで座っていた席に座した。それに続くように、ディビーとユリアも挨拶をしてから、順に席に着く。


 長机なのだから長辺側に座って向かい合えば楽なのだが、それはしない。ダリルは、騎士爵といえども貴族である上に、ミリアたちにとって領主様である。同じ席に着くだけでも、村娘に過ぎない彼女たちにとって恐れ多い存在であり、上座からダリルが移動することはあり得ないのだ。


 となれば、下座側にミリアたちを座らせたのも道理である。


 いくら子供でも、それくらいの作法をミリアたちも知っているのだろう。素直にそうしていた。


 その一方でローラは、先程の楽観的な思考が吹き飛び、嫌な予感が込み上げたのだった。


(も、もしかして、ダリルのやつ、貴族だなんだのといって騎士団を解散させる気なんじゃ!)


 そう、ただの子供であれば騎士団と名乗っても何ら問題はないだろう。それでも、ローラが魔法眼持ちであり、継承者という情報を周りが知ったらどうだろうか? たちまち、ローラと他の三人たちの身分差が問われることになる。


 女神であったローラからしたら、そんなことは些末事だ。それでも、周りが放っては置かないし、許されない。


 サーデン帝国は、基本実力主義であるものの、貴族主義的思考の影響力が強い。故に、ローラは記憶に新しい数週間前の出来事を思い出したのだ。


 それは、モーラが翼竜騎士団に入団することを決断して祝賀会を兼ねたお別れ会のときだ。


 モーラの従者として騎士学校に通っていたアンネに対し、ダリルが従者の任を解いて屋敷で働くようにと伝えた。いつもは、「アン」とダリルは呼んでいたにも拘わらず、そのときは、「アンネ」と呼んでいたのだ。


 その理由は、貴族の精鋭が集まる翼竜騎士団に入団するモーラに、平民であるアンネを随伴させることが危険だと判断したからだとダリルが説明していたのだ。


(そ、そうよ! いつもちゃん付けで呼んでいるくせに、きみたちとかいってたし……)


 それに気付いたローラは、表現し難い悪寒が身体中を駆け巡るのを感じてゾッとした。


 途端、ローラが椅子を蹴上げるような勢いで立ち上がり、めいっぱい叫んだ。


「だめだめだめっ! そんなの嫌っ、絶対だめぇええーー!!」

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