第05話 女神、はじめての訓練をする

 ダリルは、ローラにはおしとやかに過ごしてほしいと願っていたようだが、セナには敵わなかった。ダリルだけが最後まで抵抗した家族会議は、セナの口添えのおかげで、ローラの望む結果となった。


 午後には、ローラ専用の防具を作るために職人が呼び出された。ダリルの切り替えの早さは、さすがだ。五歳児に過ぎないローラは、ちょっとしたことで大怪我をしてしまう恐れがある。一度ローラに訓練をさせると決めたからには、全力でバックアップすると決めたようだ。


 一方、ローラは、午後から早速訓練をはじめるつもりだった。いくら魔力操作の術を知っていても、身体強化のプロテクションを掛け続けることはできない。瞬発系の魔法と違い、持続系の魔法には、それ相応の魔力が必要である。


 ローラは、現在のステータスを把握しており、防具の採寸と言われれば、それもやむなし。ダリルが毎回立ち会うのだから、はじめから危険なことはしないだろう。いや、絶対させない。それでも、備えをすることの重要性は、ローラも理解している。


 今日は、家族会議に、防具用に採寸したりと、あっという間に夜を迎えた。


 ローラの部屋の扉が開かれ、バスローブ姿のローラが入ってくる。頭に巻いたタオルから垂れる金髪が、少し湿っており、魔導ランプの光を受けて煌めいた。すぐ後に、メイド長のマリナが続いて部屋に入る。


「よいしょ」


 ピンクのシーツが掛けられたベッドに腰掛けたローラが、両手をハタハタと振ってほてった顔に風を送る。


「さあ、着替えて今夜は早くお休みください。明日は、早いのですから」

「はーい」


 ローラがベッドから降りて両腕を広げる。マリナによってローラは、すぐに花柄の可愛いピンクのパジャマ姿に変わる。最後は自分でリブ編みのショートソックスを履き込み、ローラがベッドに潜り込む。


「それでは、ローラ様。おやすみなさいませ」

「おやすみなさい、マリナ」


 マリナが退出したのを確認してローラが、反対側へ頭をごろんとさせ、外を眺める。優しい月の光が部屋に入り込んでいるが、月は見えない。


 ローラは、転生してからこのかた神へと戻る方法を探っていた。それでも、行動範囲がフォックスマン家の敷地内に限られるとなると、今ではすっかりできることが無くなっていた。それ故に、ローラは一日の殆どを窓越しから外の様子を眺めるだけ、といった無下とも平和ともいえる日々を過ごしていた。それが、明日から訓練を行うことになったのだ。


「こんなにも次の日が待ち遠しいと思ったのは、いつ以来かしら?」


 久し振りの高揚感にワクワクが止まらないローラであったが、はやる気持ちを抑え、瞼を閉じるのだった。



――――――



 翌、訓練当日の朝ぼらけ。


 修練場入口のベンチに座りながら寝惚け眼を擦っているダリル。それとは対照的に、「さあ、早くやりましょう!」とやる気をたぎらせたローラが、修練場の中央で目を見開いてラルフを見上げる。


 ラルフは、代々フォックスマン家に仕える従者の家系で、ダリルの副官を担う従者。それに加え、子供たちの剣術指南役も引き受けている。


「さっそく本日より私、ラルフが、ローラ様の訓練のお相手をいたしましょう」

「ラルフ、よろしくね」


 元気よくローラが答える。


(年齢を聞いたことないけど、おそらく四〇歳くらいかしら?)

 

 金髪のためあまり目立たないが、白髪がちらほら見える。


(それにしても良い体つきをしているわ)


 ラルフの肉体は、筋肉が鎧と言ってもいいほどに鍛えられている。腕や太ももは、丸太のように太い。そんな風に勝手にラルフのことをローラが評価していると、


「早速ですが、身体を動かす訓練からはじめてみましょう」


 とラルフがローラの聞き慣れない言葉を言った。


「からだをうごかす……くんれん?」


 ラルフに首を傾げながら聞いたローラが、自分の身体を見下ろす。


(何よそれ? 身体を動かせなかったら何もできないじゃない。この貧弱な身体を鍛えたいんだけど……)


 ローラがマッチ棒のように細い腕や足を見て、己の身体の脆弱ぜいじゃくさを酷評する。


 そんなローラの思いを知らないラルフはというと、


「それは口で説明するより、やってみた方が早いですかね」


 唐突に模擬剣で地面に一本の線を引きはじめた。


「それではローラ様、この線の前に立っていただき、できるだけ遠くに飛んでみてください」

「うん、わかった」


 適当に答えてから膝を曲げ、ローラが跳躍姿勢を取る。


(なんかよくわからないけど、飛べばいいの、よね?)


 ラルフの意味不明な指示に、ローラは従う外なかった。


「えいっ!」

「はい、ここまでですね」


 元気良い声とは裏腹に、一メートルも飛べていなかった。ローラが飛んだ位置にもう一本、ラルフが最初と同じように線を引く。


「それでは、もう一度戻りまして、さっきの半分の力で飛んでみてください」


 またもや謎の指示に首を捻りながらも、ローラは言われた通りにする。


「えいっ」


 先ほどと同じことをラルフが繰り返した。ラルフの不思議な行動を眺めながら、ローラが不安から尋ねる。


「これでだいじょうぶ?」

「大丈夫ですよ。ローラ様、この線の間隔を見てください。半分になっていますか?」


 半分の力で飛んだはずなのだが、全力で飛んだときの三分の一ほどの距離しか飛べていないことに気が付いた。「えっ?」と、ローラがハッとしてラルフを見上げる。ラルフはニコニコ顔で、そこから考えを読むことは出来なかった。


「これは……」


 納得がいかず、ローラが呟く。


「これが身体の動かし方ですよ」


(だからわからないってっ!)


 説明してほしいと目で訴える。それをローラの表情から察したラルフが、丁寧に説明をしてくれる。


「ローラ様、この結果が悪いのではありませんよ。私が言いたいのは、ローラ様が半分の力で飛んだつもりでも、実はそうではなかったということです」


(むむ……あっ、なるほど!)


 説明を聞きながら線を見つめていたローラが、再びラルフを見上げた。


「おや、どうやらお気付きになられたのですね?」


 表情の変化をラルフは見逃さなかった。むしろ、素晴らしい、と感心した様子だ。

 

「うん、わたしがわたしのからだを、うまくうごかせなかったのね」

「そういうことです。これは――」

「しんたいそうさのくんれんね!」


 ラルフが言わんとしていることを理解したローラは、つい被せてしまった。「あ、やべっ!」と、気まずくなってラルフを見たが、彼は嬉しそうに口元をほころばせている。


「おほほぅ、さすがは、ローラ様です。理解が早くて優秀ですね。これならすぐにでも立派な騎士になれるでしょう」


 すると、ラルフの後ろの方から声が飛んでくる。


「そんなの当たり前だ、ラルフよ。なんといっても俺のローラだからなっ」


(ドヤ顔で言うのはいいけどさー、自分のことでもないのに、なぜそんなにダリルは自信満々なのかしら? 親バカは仕方ないにしても、バカ親にはなってほしくないわ)


 ローラは、ジト目で見るようにして冷めていた。父親からそう言われれば、ふつうの子供なら喜んだことだろう。可哀そうなダリルである。ダリルは、愛妻家であり、なおかつ、子供たちもこよなく愛する良い父親だ。ただ、格別にローラを可愛がっていることは、領地テレサの村中で有名な話。


 そんな親バカなダリルにラルフが丁寧に説明をする。


「ダリル様、それもありますが、五歳の子供には、一回の説明で理解できませんよ、ふつうは。なんとなく理解できても身体操作のことに言及できたのは、ローラ様の才能が大きいと思います」

「うむ、まあ、それもそうか」


 顎を擦りながら頷くダリルが、最後に大きな欠伸をした。本当にわかっているかどうかは、怪しそうだった。


「ラルフ、ありがとう。わたし、とてもうれしいわ」

(あっ、ラルフごめん。実は、何万年も神やってるのよ……わたし)


 そんな二人の遣り取りを傍観しながらローラが、ラルフの称賛ととれる言葉に感謝を述べたが、心の中では、うしろめたさから同時に謝罪していた。しかも、満面の笑みのおまけ付き。


「ああ、ローラ様……」


 ローラのはにかんだ様子に心を奪われたように、ラルフが胸の前で両手を組んた姿勢のままフリーズしてしまった。


(コラコラ、拝まなくてもいいわよ)


 呆れたローラが、ラルフのすねを蹴飛ばしてやる。結構本気で蹴った。


「これは失礼しました。まさに、愛と戦の女神ローラ様を彷彿とさせる才能と自愛の笑みに意識を奪われてしまいましたよ」


 今の能力では気付かせるのが精一杯だった。

 ラルフのセリフに一瞬ドキッとするローラだが、正体がバレたのかもしれないということにではない。その真逆かもしれないという懸念からだった。

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