第20話 リア神と素直な気持ち



 夏が近づき蒸し暑くなりつつある最近の夜。


 しかし、俺は暑くは感じていない。

 目の前のリア神から向けられる凍てつくような視線に、晒されているからだ。



「その表情から察しますところ、私の予想通りでしょうか?」


「予想通り?」


「“私を避けた常盤木さんが1時間早めにバイトを終えて帰る”という予想です」


「ピンポイントな予想だな、おい。けど、全く違う……そういう理由ではない」


「そうですか」



 嘘だ。

 まさにドンピシャ。

 予想的中である。



「ひとまず、家に上がらせていただいてもいいですか? 買った食材が腐ってしまうので」


「ああ……」



 俺は短く返事をし、若宮を招き入れた。

 家に上がった若宮は、冷蔵庫に食材を入れていく。



「……お金は後で払う。毎回は悪いしな」


「その話は、後日で構いません。それよりも、お座り下さい」



 彼女はそう言うと、椅子に座り俺にも座るように促してきた。

 俺は、素直に若宮と向かい合う形で座る。


 若宮は伏し目がちにお茶をすすると、おもむろに話し出した。



「私が怒っている理由はわかりますよね?」


「ああ、まぁ……な」


「そうですか……私から言いたいことは多々あります。ただ、先に常盤木さんの話を聞いてからと思っていますので教えて下さい。理由もなく、あんな態度はとらないと思いますので」


「別に……」


「建前とかいらないので、逃げようとか思わないで下さいね」



 若宮の目が「話すまで逃がしません」と訴えているようだ。


 逃げ切れないか……。

 俺は息をのみ、話す覚悟を決める。



「こうやって話すのは……今日までにしよう」


「理由を聞いても?」


「これ以上関わっていたら、若宮が俺なんかと知り合いと思われるだろ」


「それは、ダメなことですか?」



 言ったことが腑に落ちないようで、若宮は首を傾げた。

 自分の立場や状況をわかっていないのか?



「ああ、ダメなことだ。この時期の高校生は色恋沙汰の話題が大好きだからな、格好の餌食にされてしまう。『あいつと付き合ってるの?』『仲良いの?』みたいにこれ以上、変に誤解されたら面倒だ」


「面倒……ですか」


「ここまで若宮さんにしてもらっているのにさ……。これ以上は迷惑をかけられない。だから、人前ではなるべく話さない方がいいと思う」



 昼休みのちょっとしたやりとりでさえ、すぐに噂が広がったんだ。

 これが続いたら噂が確信に変わっていくだろう。

 そして広まり続ければ、噂を消すことは不可能に近くなる。


 そうなる前にどうにかしないといけない。

 だからこその判断。

 最善の選択だ。



「前にも言いましたが噂は気にしませんよ?」


「噂だけなら、まぁ無視すればいいかもしれない。だがな、直接聞かれたり、しつこいのは嫌だろ? 妙な気を遣うのも疲れるしな……」


「確かに、しつこいのは困りますね……」


「だろ? それに、例えばある人、ここではA君としておこう。A君のことを100人が『あいつはクソだ』と言ったとしよう。そして、自分1人が『クソだ』とは思っていない。けど、それを前面に押し出して『A君は良い奴だ』と言い続けて、100人という大衆に挑むっていうのは無謀ってもんだ。数の暴力を気にしないっていう方が無理がある」


「なるほど……たしかにそういうのはあるかもしれませんね」


「ああ、噂は怖い。だから手遅れになる前に断ち切らないといけない……」



 正直甘え過ぎた……若宮の優しさに。


 自分は独りが慣れている。

 独りが好きだと思っていたが……存外、人の温もりが恋しかったのかもしれない。


 現に、この数日間は充実していたのだから。



 だからこそ……。



 甘えが大きくなる前に。

 気持ちが肥大化する前に。

 勘違いが加速する前に。

 居心地の良さに至福を感じ過ぎてしまう前に。


 俺は断ち切らなくてはいけない。

 後で、後悔しないためにも。



「そう言われると少し残念です」



 彼女は寂しそうに呟く。

 そして、席を立つと俺の方に近づいてきた。



「常盤木さんの目に私がどのように映っているか、存じ上げません。もし、私を完璧で月みたいな存在、自分とは別次元の人間だと思っているのであれば……」



「うん?」俺は首をかしげる。

 若宮は拳を握り、こっちから見ても力が入っているのがわかるほどだ。



「甚だ不本意ですっ!」



 いつも抑揚のない声で話す彼女からは、想像できない怒気のこもった声が発せられた。


 その声に驚いた俺は、身体をビクッと震わせる。



「私は完璧でなければ、別次元の人間でもありません。常盤木さんと同じ所にいる極普通の女の子に過ぎません。わがまま言います、拘りも強いです、押し付けもしますし、嫌なことは嫌です」


「……っ!?」



 両方の頰を引っ張られる。

 俺が何か言おうにも上手く喋れない。



「そして、自分が付き合う人間は自分で決めます。そこに周りの評価、評判が入る余地はありませんし、影響もされません。純粋に私の目で見て、一緒にいたい、話をしたい、そう思ったからこうしてここにいるのです」


「………………」


「もし、常盤木さんが私から無理に離れて、距離を置こうとしても無駄ですからね。それは先に宣言しておきます。私のために離れようとか話さないようにしようとは、思わないでください。そんなこと、私は望んでいませんから」


「ひや、だふぇど(いや、だけど)!」


「それでも、常盤木さんが態度を変えるようでしたら……」


「なっ!? わ、若宮さん!?!?」


「人前でこうしますから。外でも、学校でも、勿論バイト先でも」



 抱きついてきたわけでも。

 キスをしようとしたわけでも当然ない。


 ただ、俺の袖を掴んだだけだ。

 甘えたような上目遣いで、目に涙を滲ませて……。



 正直に言おう。



 破壊力が半端ない。

 普段、感情を乱すことのない落ち着いている若宮だ。


 そんな彼女が見せたこの姿。

 もう見せたというよりと言った方がいいかもしれない。


 これを人前でやるだと?

 事実上の死刑宣告じゃねぇか!!


 返事を待つように、袖を掴みながら俺を見つめる若宮。



「あーっ! くそっ! わかったわかった。俺の負けだ、だからやめてくれ……人前でそれは……死ぬ」



 俺は肩を竦め、降参の意を示す。

 自分の顔が燃えるように熱い。


 横目で若宮を見る。

 若宮は頰を赤く染め、満足そうな微笑んでいた。

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