応援コメント

八.賛否両論の三w」への応援コメント

  • 古い作品のリメイクで「昔だから許されていた矛盾」を解消しようとするのは、大好きです。
    その点、私は2202を見ていて『スタートレック:エンタープライズ』を思い出しました。あれはリメイクではありませんが、スタートレック原案者が亡くなって中心スタッフがすっかり変わってしまった中、初代の作品とその後のシリーズをつなぐ過程で出てきた『矛盾』(クリンゴンの描写など)を解き明かそうとするエピソードがありました。その点は、大好きでした。
    この『賛』の部分は、ヤマトの2202でも(2199でも)色々と感じた点です(どこがどう、というのは、具体的には書けないのですが)。
    でも『エンタープライズ』の最終回を見た時(当時アメリカで暮らしていました)、スタッフに対して「お前ら結局、初代スタートレックよりも自分たちが作った『新スタートレック(TNG)』以降の方が好きだろ?」とツッコミを入れたくなりました。初代に対するリスペクトが足りない、と感じてしまったのです。
    この『否』と似たようなことを(少し違うのですが)、2202でも感じました(2199では感じませんでした)。SF的に「面白い物語だなあ、すごい設定だなあ」とプラスに思える部分があったのですが(時間断層の話じゃないです、それはむしろ地球復興をうまく説明するということで上記の『賛』の方です)、なればこそ「そういうのはヤマトでやらずに、オリジナル作品でやれ!」と思ってしまったのです。
    ……と、私個人の『否』を記したところで。このエッセイの作者様が、どこを『否』とするのか、楽しみにしながら続きを読みます。

    作者からの返信

    そういやスタトレ、オリジナルのクリンゴンは見た目普通でしたよね。後の映画で異形になったのを見てびっくりした覚えがw

    2199では、初代を時代に合わせてリファインし、矛盾を解消するというシンプルなコンセプトだったと思います。
    対して2202は、2199から繋ぎ、続編が作れるように軌道修正し、2199で拾えなかった昔のファンや、新しいファンを引き込もうとするなど、狙いが多すぎて色々なところで地雷を踏んだような気がしますw

    「俺ならこうする」はクリエイターの生みの親な気がしますが、行き過ぎれば「オリジナルで」になってしまうのですよね~。