第10話 宙の乙女たち
マシェリは破れたジャケットを脱ぎ捨て、レバーを引いた。宇宙船がゆっくりと傾き、船内は緊張と焦燥に包まれる。簡易滑走路が浮き上がっていく感覚。エスカレーターのように滑走路自体が動き、船を離陸ポットに閉じ込める。
宇宙船が三重の密閉空間を作り出し、宇宙の真空と無重力と放射線からわたしたちを守る準備を整える。システム起動シークエンス発動。チェック。グリーン。わたしたちは刻一刻と、真空の世界へ近づいていく。
ポットの圧力が下がり、宇宙船を飛び立たせる準備が整っていく。進行方向の扉が、金属同士をこすりながら開く。
「発進、三、二、一……テイク・オフ」
《マリー》の小型船は、猛烈な音をたてて《キャロライン》を飛びだした。
わたしは揺れる船内で歯を食いしばった。ひっくり返るんじゃないかと思うほど荒い運転。油断していると舌を噛みそう。それに、今にも酔いそうな感覚がお腹から喉へ押し寄せてくる。
吐き気を飲みこみながら、様子をうかがう。けれど、手錠をかけられ、男たちに睨まれている状況でできることなどなにもない。
胸にこみ上げる後悔ばかりが、ほろほろとこぼれていく。あんなに強がって、助けたいなんて言っておいてこのざま。自分が心底情けなくて、嫌いで仕方なくて。わたしが弱いことで傷つけるのはわたしだけではなくて、フィーネも巻きこんでしまうのだと今更思い知る。
「これで、《マリー》本船と合流すれば任務完了だ。父上も俺の考えをお認めになるだろう。もう母上に苦労をかけなくて済む。兄貴たちだって俺をそう馬鹿にもできなくなる……」
わたしの隣に座っている部下が頷いている。
「ヒトガタさえ手に入れれば」
銅色の肩が、操縦桿を握る手とその身体を繋いでいる。
「サラ、俺の嫁になりな」
酔っている上に悪寒が走った。
「絶っっっ対にお断りよ……」
「別に第二夫人がお望みならそれでもいいぞ。ちゃんと人質にさえなってもらえりゃ俺はそれでいいからな。生活に不自由させるつもりはねぇし。別にとって食おうなんて……するとしたら、あと数年後かなー」
もう勝った気になって、上機嫌にうそぶいている彼女に付き合う気力もない。第二夫人になったら、寝首をかくくらいのことはできるかな、なんて考えて、やっぱりフィーネと会えなくなることへの絶望ばかりが深まっていく。嫌になる。涙が止まらなくなる。
「王子、ほどほどになさいませ」
「へいへい。安定したら手錠外してやってよ」
部下のたしなめを受け流し、彼女は操縦に集中する。そのとき……
――ビィー!
船内に警告音が響いた。異常を知らせた機械に飛びつき、読みとった部下が叫ぶ。
「王子! ヒトガタの反応です!」
「はあ⁉ 嘘だろ」
あまりのことに涙が止まった。頭を振り、まぶたにたまった雫をふるい落とす。
フィーネが、来た……まさか!
「反応多数! どれも近づいてきます。恐らくはすべて攪乱魚雷かと」
「ははは、この船を攻撃できない証拠だ。ヒトガタの幻影をちらつかせれば姫様を返すとでも思ってんのかね」
別の部下がモニターを切り替える。
「電子防壁だけは十全にしろ、船を乗っ取られたらかなわねぇ」
その瞬間、激しい衝撃が船全体を襲った。天井にぶつかるかと思うほどの揺れ。わたしの座席は床から外れかかっている。本人が慌てふためいているところを見るに、マシェリの豪快な操縦によるものではない。
「くっそ、なんでいるんだよ!」
モニターが補足していたのは、宙を舞う白銀の人影――《キャロライン》の誇る巨大人型兵器「ヒトガタ」だった。それは背に土星の輪のような光輪を負い、宇宙船にしがみついている。
マシェリは部下のサポートを受けながら慌ただしく操縦桿を操作。船を上下に揺さぶりヒトガタを振り払おうとしている。
お尻が座席から何度も浮き上がり、激しく叩きつけられる。酔いが最高点に達し、胃の中のものが全部出てきそうだ。
でも、フィーネは助けに来てくれた。どこかからヒトガタを操作して、わたしを《マリー》に行かせまいとしてくれている。だから恐怖も、苦しさも、ぜんぶ飲みこむ。
船内には鼓膜を突き破るような轟音が響く。ヒトガタと船が火花を散らしてぶつかり合う。何度目かで、ヒトガタの指がゆるんだ隙を狙い大きくターンした宇宙船は、なんとか手を剥がすことに成功した。
ジグザクに飛び狙いを避けながら、距離を開け、マシェリは叫ぶ。
「本船の援護はまだか!」
「だめです! ……応答がありません」
マシェリは舌打ちした。部下が睨んでいるレーダーに目を凝らすと、そこには無数のヒトガタが飛んでいるのが示されている。一帯の宇宙空間には、レーダーでは判別ができないヒトガタの偽情報を発する囮が飛んでいるということ。《マリー》本船はそのせいで攻撃ができないのか、それとも……。
モニターには宇宙船の背後にぴたりとついてくるヒトガタが映る。何度もとりつこうとするが、タイミングを掴んだマシェリは指の間をすり抜けていく。
攻防が続く。しびれを切らしたように、モニターの中でヒトガタがぶるりと震えた。
右腕の関節が一瞬にして分解、改めて組み直され、それはブレード状に変形している。
「本物の情報は送ってる! まさか、俺らを見殺しにするつもりか……!」
モニターには宇宙船の背後にぴたりとついてくるヒトガタが映る。何度もとりつこうとするが、コツを掴んだマシェリは指の間をすり抜けていく。
攻防が続く。しびれを切らしたように、モニターの中でヒトガタがぶるりと震えた。右腕の関節が一瞬にして分解、改めて組み直され、それはブレード状に変形している。
「自分のお姫様まで木っ端みじんにする気かよ……!」
毒づくマシェリをまるで無視して、ヒトガタはブレードを振りかざした。同時に宇宙船が左方へ直角に傾く。モニターからヒトガタが消える。
次の瞬間、足元から金属を引き裂くような地鳴りが襲った。モニターが別のカメラへと切り替わり、ヒトガタが宇宙船の底面へとブレードを突き立てているのが映った。
フィーネはどうしても、ヒトガタを船にくっつけておくつもりのようだ。
「こうなったら……」
警報はさきほどからずっと鳴り響いている。赤いランプが船内を照らすなか、マシェリは部下と運転を交代し、自分は別の機材に手をかけた。
「なにしてるの!」
「決まってんだろ、ぶっ飛ばしてやるんだよっ」
底面から起き上がった砲台がヒトガタに向けられ、彼女が見つめるモニターの端で、ウィンドウが赤く変色する。マシェリは武器をフルオートからアシストモードへと切り替え、慎重に狙いをつけた。
「壊すのは無理でも、ひっぺがすくらいなら!」
3、2、1――カウントが刻まれると同時に、ヒトガタのブレード上部、右肩の関節部分をめがけて至近距離の光線が撃ちこまれる。ヒトガタはどくんと一度バウンドすると、打ちこんだ右腕を残してそのまま後方へと放り出されていった。
「はっ! ざまあみろってんだ」
額の汗をぬぐい、マシェリは息をついた。
「フィー……」
わたしの呟きは口の中で消えていく。あまりにあっけない終わりに呆然とする。
船内では、緊急事態を知らせる警告音が相変わらず鳴っている。宇宙船を操縦していない二人の部下は、点滅する機内地図を確認しつつ声を掛け合い、破損部位の確認に向かっていった。コックピットには、わたしとマシェリ、そして2人の男が取り残された。
宇宙船は船体を水平に戻し、安定した自律航行を始めていた。マシェリは座席に身体を投げ出し脱力している。
「誰がざまあみろだって?」
そのとき、凛とした声が船内を通りぬけた。
コックピットにいた誰もが振り返る。
拘束され動けないわたしは、声の方向を見定めようと必死に首を伸ばした。
力強い響き。声を聞くだけで心に光が射す。わたしの、わたしの大好きな……!
「フィー!」
太陽のような赤い髪が揺れて、まるで彼女の背後から光が射したように明るく見えた。事実、灰色のボディスーツが透けるほど、彼女の肌は輝いていた。ヒトガタとリンクしているときに浮き出る銀色のラインが、額のみならず腕や脚、胸に至るまで張り巡らされている。
それは希望の光。
わたしの、たった1人の王子様。
彼女は緊張した面持ちで、けれど余裕のある表情を見せる。わたしの無事を見とめ、笑顔をくれる。
「長いこと乗せてもらってたんで、その間に潜りこませてもらったよ」
「まさかヒトガタに乗っていたとはな」
男たちがマシェリを守ろうと進み出た。
「サラを返してもらう!」
フィーネは自分より体格の大きな男たちにも、臆することなく向かっていった。殴りかかろうとする1人目の腕をひねりあげて倒したとき、彼女の腕はさらに輝きを増す。隙を見て飛びかかった2人目をかわし、背後に回る。太ももに光が集中したと思うと、彼女は強烈な蹴りを繰り出した。それから、起き上がりかけていた1人目に駆け寄り、とどめに股間を力いっぱい蹴り上げる。
わたしは唖然として、その様子を見ていた。コックピットを出ていった男たちが戻って来て、フィーネに掴みかかる。彼女は狭い船内を思うままに跳びまわり、敵たちを翻弄する。あっという間に男たちは床を舐めることになった。
いったいどこでどんな訓練をしたらそのような技能が身につくのか、わたしには想像もつかない。
マシェリは舌打ちをして操縦席を立ち、ショルダーホルスターから《キャロライン》の印が刻まれた銃を抜き構える。それに気づいたフィーネもレッグホルスターから小銃を引き抜き、狙いを定めている。
一瞬、時が止まり、2つの銃口が叫んだ。
互いの銃弾は、互いが狙った箇所を違わず撃ち込まれた。ひとつはフィーネの脚を、もうひとつは船の操縦桿を。
フィーネが膝をつくと同時に、船は大きく傾く。
マシェリはバランスを崩して後ろ向きに倒れ、ヒトガタの腕が映ったモニターに頭を打ちつけた。その後、毬のように転がって、壁面で点滅する無数のボタンに叩きつけられ動かなくなった。
フィーネはしゃがみこみ、わたしの胸のベルトに手のひらを当てる。銀色の光が手のひらに集まり、錠がひとりでに数値を刻む。
「フィー、脚が」
「動かないで」
カチャリ、という音とともに外れた金属の錠を投げ捨てる。それからうずくまるわたしの手錠にピンを差しこみ、あっという間に外してしまった。
わたしが脚に一生懸命に力を入れ、立ち上がろうとする間、フィーネは腰のベルトを外して太ももを縛りつけようとしていた。わたしはスカートの裾を引きちぎり、差し出す。
彼女は黙って受け取った。
布きれはみるみるうちに赤く染まり、フィーネの頬から血の気が引いていく。
それでも彼女はわたしの肩を抱いた。わたしは息をのみ、彼女を見つめた。
「来て」
フィーネは彼女だけの相棒を呼ぶ。不思議な呪文が、音楽のように流れ出す。
宇宙船の非常用脱出ポッドは生きていた。
鈍色の球体に乗りこむと、センサーが人を感知し待機状態を解除、流れるようにさまざまな機材が起動状態に入る。モニターが点灯する。先ほど見たヒトガタの光輪が徐々に大きくなってくるのが映った。白銀の巨大な騎士はこちらへまっすぐに近づいてきている。フィーネがレバーを引くと、ポッドが宇宙船から切り離された。
宇宙に飛び出したわたしたちは、ふわりと浮かぶ。点滅する機械たちに見守られながら肩を寄せ合う。
「フィー、ごめん……ごめんなさい」
わたしは囁く。
フィーネは悲しい目でわたしを見つめている。
「うん」
「ごめんなさい」
「本当にね」
「ごめん」
「サラ。心配したんだから」
瞳を閉じた彼女の睫毛から、雫がこぼれだした。
透明な雫はちりぢりに分かれ、また集まり、再び分裂しながらポッドの内部を漂っている。
「……馬鹿。あたしは絶対にサラのもとへ帰ってくるって、約束したじゃん。待っててよ……」
「ごめんなさい。ごめんなさい、フィー」
謝りながら、わたしの視界も涙でぼやけていく。
わたしたちの雫は重なり、互いの頬を、髪を、肩を濡らしていく。
「馬鹿。サラの馬鹿。……もう離さないから……」
フィーネはわたしを力いっぱい抱きしめた。わたしも彼女の背に腕を回す。
「わたしも、もう離れないわ、絶対に……」
わたしたちのそばで、モニターが画面いっぱいに銀色の機体を映している。騎士は手を伸ばす。わたしたちは、白い光に包まれていく。
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