第9話 最後の記念写真

「ところで、《キャロライン》王。写真を撮りませんか!」

 マシェリが唐突に切りだし、わたしと義兄に歩み寄った。

「私たちがここに集まった記念にいただけませんかねぇ」

 彼女の部下がわたしたちを導き、《キャロライン》の女中がソファや三脚をいそいそと準備している。義兄は額にしわを寄せながら、黙って案内されたソファに腰を下ろす。部下に写真の角度や枚数の指示を終えたマシェリは、わたしのそばに寄り耳打ちした。

「約束通り、俺が交渉してみるから、もう少し待ってて」

 わたしは彼女のくすんだ瞳を見上げた。そんなこと、本当にできるとは思えなかったけれど、自信満々な表情を見ると信じられるような気がしてくる。


 三脚の上に小さなタブレットが設置されると、レンズがピントの合ったタイミングで自動的にシャッターを切る。わたしたちは同盟の象徴となる写真を撮った。

 わたしの悲願、「《キャロライン》を出てフィーネと2人で暮らすこと」。

 フィーネは 《キャロライン》は大切な母国だと言うだろうけど……

 父も母もいないこの国に。

 狭くて苦しい王家のなかに。

 戦火が広がる宇宙船国家間に。

 わたしの居場所は見いだせない。

 数々の恒星が輝く宇宙はこんなにもきれいなのに、わたしはそこへ行くことを許されない。王家の檻に閉じこめられて一生を過ごすなんて――絶対に嫌。


「王、私は本日合同軍事演習を滞りなく実行できることに、大きな喜びを抱いています」

 写真を撮り終えてしばらくしても、わたしたちは動かなかった。前列で、ソファに座った義兄とマシェリが話していたから。わたしは後列に立ち、中央より少し義兄に寄った位置にいる。マシェリの部下はわたしと同じ後列に並ぶ。うち一人が三脚の向こう側に戻り、撮れた写真を確認しながらわたしたちを見つめている。

「軍事演習はたしか……10時からでしたよね? 王」

「そうだ」

 義兄は彼女をいぶかしげに尋ねる。

「今は9時58分。ということは、我々の軍は既にここから遠く離れた場所に布陣しているわけです。もちろん今日だけはヒトガタもそこに。一方我々は、万が一にも流れ弾に当たらない場所にいるわけです」

 彼女はわたしをチラリと見る。わたしは彼女の意図を図りかね、戸惑っていた、それを彼女は目ざとく見つけていたはずだ。

「なにが言いたい、マシェリ殿」

「……そこの世間知らずな姫君ならまだしも、聡いあなたならお分かり頂けると思いますよ」


 カタ。

 小さな音が、耳元で打ち鳴らされたように大きく聞こえた。

 《マリー》第三王子が、銃のまねをした人差し指を義兄の胸に突き付けていた。

 これは……恐喝? 彼女はわたしの自由を恐喝によって得ようとしているのだろうか。

 わたしが動けないでいると、横にいたマシェリの部下が突然にわたしを抱きしめた。

「きゃっ」

 自分より大きく力もある男性の腕にすっぽりと収まってしまうと、わたしはジタバタしようとすることしかできない。慌てふためいているうちに、スカートがたくしあげられ、パニエのなかからホルスターが顔をのぞかせる。マシェリに言われ、護身用にと身に着けていた銃を彼は奪った。


「待って、なにするの」

 わたしが止める間もなく、彼は小さな拳銃をマシェリに渡す。マシェリがまねっこの銃から本物の銃に持ち替える。そのあいだに、わたしは両腕を掴まれ、別の部下が隠し持っていた手錠をかけられる。

「姫様は本当に可愛らしいお方ですね。少し優しい言葉をかけられただけで、他国の私の言葉を信じてこんなものを持ってきてくれる」

 作戦を実行するときにはなにが起こるかわからないから、次に会うときは身につけていて。マシェリはそう言った。武器を持たずに堂々と《キャロライン》に乗りこみ、武器を得てわたしたちを脅すためにわたしを利用したのだ。

「貴殿は最初からこのつもりで、我々に近づいたのか」

「ええ、私はね。父は違ったかもしれませんが」

 義兄はその返答を聞くか否か、突きつけられた拳銃を跳ね飛ばしマシェリに掴みかかった。襟が伸び、引きちぎられる。さすがに男性に押し倒されては、どうにもならない――と思ったのもつかの間、彼女は義兄の胸倉を掴み返し、そのまま宙へ持ち上げた。


 無惨に敗れたスーツの隙間から、彼女の肩が晒されている。それは健康的な肌色ではなくて、幾重にも重なった金属の鱗のよう。見た目とは裏腹に、微細な筋肉の動きも滑らかに伝える。

「《マリー》の技術か」

「ええ。……とある後発船団国家と共同開発したものです」

 義兄は彼女の拳を引きはがそうと、必死に力を込めるがびくともしない。

 マシェリが周囲を見渡す。

 背筋がぞくりとした。原因はそう……誰も、彼女を止めようとしていないのだ。

 《マリー》使節団はもちろん、応接間にいる《キャロライン》王家に仕える者たち――王の側近も、王家の使用人も――毎日わたしの身の回りの世話をしている女中でさえ、この事態を静観している。それを見て思い至る。この女中が、わたしのベッドにあの手紙を置いたに違いない。

 手錠を渡した男性が床に落ちたわたしの銃を拾うと、マシェリは義兄を床に落とした。

「お前たち。手筈通り宇宙船 《キャロライン》を乗っ取り、隠せ。俺は本国に帰り『ヒトガタ』と交渉する」

 彼女の号令で《キャロライン》の裏切り者たちは動き始める。

女中たちは応接間を去り、側近だった男たちが義兄を引っ立てる。


「そいつは殺しておけ」

 マシェリは冷ややかに言い放つと、部下に指示してわたしをこの場から連れ出す。

 扉が閉まる直前、義兄と目が合った。

 義兄はなにを思ったのだろう、裏切り者に仕立てられた馬鹿な義妹に対して……。義兄のことは殺してやりたいほど憎いと思っていたけれど、わたしにだってそれを実行しないだけの分別はあった。

 でも、もう、クーデターは実行されてしまった。

 わたしが思いもよらない形で。

「う、うう……」

 涙が溢れだし、止まらない。


「サラ。君は宇宙船 《マリー》へ迎え入れることになっているんだ。我が《マリー》は、人口は《キャロライン》の倍、豊かな資源も持っているし便利な技術だってたくさん開発されている。地球との貿易も盛んだから、今よりもっと良い暮らしができるよ」

「わたしの夢は……」

「《キャロライン》から逃げ出すという君の夢は叶えてあげるじゃないか。《キャロライン》の情報を流し、寝返る可能性のある人をピックアップして、俺たちを導き、武器を渡してくれたのは君だよ、サラ。今後は人質として《マリー》で不自由ない暮らしをさせてあげよう」

ああ。

 わたしはし損ねたんだ。

 マシェリは逃げだそうともがくわたしの腕を、強引に掴んだ。涙で濡れた頬に唇を寄せ、囁く。

「大人しくしろ」

 わたしは肩をこわばらせた。低い吐息が耳を震わす。怖い。義兄はどうなったのだろう、わたしはどうなるのだろう。


「王子、お急ぎください」

 《マリー》使節団と、わたし。総勢六名。わたしたちはどんどん《キャロライン》内部の簡易滑走路へと向かっていく。

 そこには彼女たちが乗ってきた《マリー》所属の小型宇宙船がある。それに乗ってしまえば、もう二度とフィーネのそばにはいられなくなってしまう。

 《キャロライン》を出てもわたしは人質で、フィーネと幸せに暮らすどころかもっと戦いを強いることしかできない。足を引っ張ってばかりのわたし。なにもできないくせに、わがままばかりのわたし。

 頭の中が揺れる、揺れて、思考はかき混ぜられていく。暗い闇の中、混乱と絶望がぽっかり口を開けて、わたしを待ち構えている。


 マシェリとその部下たちは足をひきずるわたしにしびれを切らし、担ぎ上げて運んでいく。

 普段大人しい灰色の壁は侵入者が現れたという緊急事態を警告し、民衆のざわめきが遠くで響いている。

 わたしたちはあらゆるセキュリティをまるで無視して駆け抜けていく。王城区画から偽りの放送が流れ出す。

 王城区画を抜け、国民の居住区画へ差し掛かる。放送によって国民たちは居住用シェルターの扉を閉ざし、わたしたちはなんの妨害もなくそこをすり抜ける。

 《マリー》使節団は、わたしの情報提供によって事前に作成した船内の地図を頭に入れていたのか、道案内もなしに迷いなく駆ける。


 そして、数分とたたないうちに《マリー》の国章が描かれた小型宇宙船に乗りこんだ。

 《キャロライン》船内の最後の風景は、涙でぼやけた灰色の簡易滑走路。ただ冷たく、引き留めようともせず《マリー》宇宙船を持ち上げ、無慈悲な表情でわたしを送りだす。

 固い座席に座らせられ、太いベルトで身体をきつく固定される。息が詰まり、恐怖が肺をも締めつける。さらに、胸の前に金属製の錠が置かれロックナンバーが設定される。もしわたしの両手が空いていたとしても、このベルトは外せそうにない。

 ある部下は床から予備の座席を引き出し、人数分を床に固定する。また、ある部下はわたしの後ろにかけていって、見えないからわからないけれど、おそらく扉を開けたり閉めたりして設備の確認をしている。他の二人は三つのうち中央を除いた操縦席につき、進行方向壁面を埋め尽くす無数の装置のスイッチを入れたり、エンジンの音とともに振れるメーターの針を読んでいる。


「俺が操縦する」

 《マリー》使節団メンバーが所定の座席でシートベルトを締めたのを確認して、マシェリが機長席につく。

「やだ、行きたくない……」

 わたしの声はもちろん届かない。頬も、鼻も、口元も濡れてぐちゃぐちゃになってしまっている。

「フィー……」

 ……ごめんなさい。

 もう謝ってもなんにもならないんだ。フィーネは合同軍事演習に出ていると聞いていた。場所は、《キャロライン》から遠いところだって。合同軍事演習は滞りなく進行しているのだろうか。それとも、突如戦場に変わってしまったのだろうか。このクーデターをフィーネたちに知らせた人はいるのだろうか……。

「うう、フィー……フィー……助けて」

 わたしの声は届かない。そして、操縦桿が傾けられる。

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