第8話 ある女性からの手紙

 胸に手を当て、襟のふちを押さえる。


「宇宙船国家同士が繰り広げている争いは、とてもちっぽけでくだらないもの。人種や出身国の違う人々が乗っているというだけで、技術や武力の競争をする。自分たちより強い者がいれば殺し、弱い者がいれば従わせようとする。そういうくだらないものに振り回されるのって、大っ嫌い」

 わたしはベッドに脚を投げ出した。襟のふち、誰にも見つからないよう隠したボタン形状の装置を取り外す。二枚貝のようにぱっくりと開くと、中には爪の先ほどの小さな端子がコンパクトに折りたたまれている。その端子を膝に乗せたタブレット端末に接続する。指紋を読み取り、認証、接続完了。


「あなたもそうでしょう?」

 わたしは小さな装置に話しかけた。モニターに知った名前が表示される。このホログラム通信の時代において、彼女はひどく単純な方法で予想を裏切ってくる。

「うん、そうだよ。俺も母国が気に食わないんだ。だから、君とは気が合う友達になれると思っているし、俺はきっと君の助けになれると思うんだよ。いい提案じゃないかな」


 若い男性のような、低めの声の主はマシェリ・マリー、宇宙船国家 《マリー》第三王子。女性でありながら「王子」という役職に収まっているのは、政治に関わりたいと強く申し出たから、と本人は手紙に書いていた。

 そしてわたしがつけていたボタン型のマイクもまた、彼女からあの手紙とともに送られたもの。彼女は《キャロライン》の公式電波帯を使わず、遠くで鳴るノイズのように弱い電波でこっそりと囁く。わたしにとっては天使、義兄にとっては悪魔のように。


「本当に、いいの……」

 友達になりたい。それだけだと彼女は書く。迷いなく軽やかに。

 母国を内側から変えたいと願う敏腕の外交官は、母国から逃げ出すしか力のないわたしたちを励ます。

「遠慮しないで。君は勇気を示すだけでいい。そうすれば宇宙から戦いはなくなるし、君の大切な人も守れる」

「ありがとう、マシェリ」

 わたしは通話を切る。



 宇宙船国家とは――宇宙空間をあてもなく漂う、地球から逃げ出した人々が乗る箱船。

 天文学者たちの軌道計算により、数十年後にはほぼ確実に訪れると予測された小天体との衝突は地球全土を恐怖に陥れた。意味のわからない予言やろくでもない妄言が口から口へと渡り歩いて、人類滅亡のカウントダウンが始まっていた。そんなとき、アフリカの砂漠地帯から超科学文明の遺産が発掘される。

 遺産と断言していいのかは誰にもわからない。ただ、まるで衣装だんすの向こうの異世界みたいな、物語のなかの魔法が現実にやってきたようなできごとで、きっと魔法が使えた時代の人々が遺してくれたものじゃないかって話になって、俗に「超科学文明の遺産」という言い方がされている。


 人々は滅亡の運命から逃れるために、それらにすがった。ろくに動力源や仕組み等々の解明を解明する時間も与えられないまま、急いでその船に乗りこんだ。その初期の例がこの宇宙船名であり国名 《キャロライン》。

 わたしが生まれたとき、《キャロライン》はすでに宇宙軌道上にあった。だからわたしは地球を、誰かの語りや、メモリに刻まれたデータでしか知らない。小さい頃は宇宙船の窓からよく外を見て過ごした。色とりどりの恒星や銀河は、砂糖を振りまいたように輝いていた。

 地球の生活を知らないわたしが、王の義妹として王家に入ってから半年がたつ。先代の王はその一年ほど前に亡くなっていた。わたしを王家の一員とすることは、王位を継承した義兄が行った最初の仕事だったらしい。

 白銀の体躯は大犬座の一等星のように輝き、最強という引力で災いを引き寄せる。権力と戦争を愛する人々にとって、「ヒトガタ」という兵器はどんなに魅力的なものなのだろう。


 ヒトガタがなかったら。

 ヒトガタが、どこかの国に所属していなかったら。

 わたしたちは戦争のない時代を生きることができたのだろうか。



 わたしは再びドレスをまとう。

 金色のティアラに、銀色の手袋をはめて。

 ヒールの低い履物を選んで、紺色のパニエで上品にスカートを膨らませる。スカートの下には約束のものを隠している……わたしの夢を確実に叶えるための重要なアイテム。

眠れなかったから、顔も早めに洗って、髪も早めにとかしてもらって、化粧も少し。これでお客様をお迎えする準備は万端。


 マシェリにもらったバッジ――小型マイクを、見つからないように襟のふちに留めてあるのをもう一度確認する。

 今日は《マリー》使節団が1ヶ月ぶりにやってくる日。手紙をもらってから、わたしとマシェリは少しずつ仲良くなった。フィーネが訓練に行っている日は、話し相手になってくれて、おかげで多少寂しさも紛れている。

 義兄に秘密でこっそり話すようになってから、会うのは今日が初めて。初対面のときはほとんど印象に残っていなかったから、改めてどんな人か知りたくて心臓がどきどき跳ねている。


 それなのに、義兄は朝からピリピリしていた。なにか気にかかることでもあるのだろうか。神経質で口うるさいのはいつものことだけれど、今日は一段とわたしの一挙一動が気に障るようで、言われるほうとしては辟易していた。

 朝食の時間はひときわ苦痛で、美味しいはずのパンが汚れた雑巾を口に入れてるような気がした。食事が終わっても義兄はわたしのマナーにひとしきり口を出してきた。義兄は自分がわたしを義妹にすると決めたのに、いつまでたっても灰かぶりみたいに扱うなんてひどい話じゃない?

 わたしが怒られているあいだに、マシェリ率いる《マリー》使節団は《キャロライン》に到着したようだった。入国した他国の客人がまず向かうのは、検査場だ。人々の居住区画に入るためには数々のボディチェックを受け、ボディスキャナを通されないといけない。本人確認、怪しい発信機等がついていないか、武器の携行はもちろん禁止だからそれもたっぷり時間をかけて調べる。これらの検査にクリアすると入国証明書が発行される。


 《キャロライン》では入国証明書は肌身離さず持ち歩かなければならないことになっている。カードにはチップが内蔵されており、入国者は《キャロライン》にいる間すべての足跡を管理局に把握されることになる。やっと検査から解放されて王城区画にやってくるのに、少なくとも30分はかかってしまう。申し訳ないけれど、これをスルーしての入国はたとえ《マリー》の王様ご本人がやってきたとしても認められていない。

 そういうわけで、マシェリたちが王城区画にやってきたのは昼食前の時間だった。


「お久しぶりでございます、《キャロライン》王」

 マシェリが丁重に膝を折る。義兄は快い雰囲気で使節団を迎え入れ、彼らは握手を交わした。

 わたしは義兄の邪魔にならないように、つまりでしゃばらないように気をつけながら、マシェリの前へと進み出る。

「マシェリ王子……」

「サラ姫様、お元気そうでなによりです。また一段とお美しくなられましたね」

 わたしはびっくりして、どういう反応をしたらいいのかわからなくなった。そのせいでずいぶんおかしな表情をしていたらしい。


「時候のご挨拶ですよ」

 なんて笑顔で囁かれてしまった。義兄を横目で見ると、別の《マリー》使節団の男性と話していたところで、わたしはそっと胸をなでおろす。

「本日の合同軍事演習、非常に楽しみです。ヒトガタの力を早くこの目で見たいと思っていたのですよ」

 わたしから離れたマシェリは、義兄に話しかける。

「研究開発に力を入れている我が国でもこれほど優秀な兵器は開発できておりません。我々の宇宙船と同じく、この『ヒトガタ』という兵器もまた超科学文明の遺産と言われるものですがその構造、能力はまったく異なるようですね」

 義兄はマシェリの演説のような口ぶりをさらりと流し、肯定とも話を聞いているだけの反応とも取れないような曖昧な頷きを返しながら聞いていた。ヒトガタの事情については、あまり漏らしたくないところではあるのだろう。詳しい能力については私にも知らされていない、けど、それを操縦している人のことならよく知っている。


「ヒトガタの圧倒的な火力……どの国も皆そこに魅力を感じますが、私個人といたしましては遠隔操作のほうに興味がそそられます。いったいどうやって『リンク』は行われ操縦者が選ばれているのでしょうか……。選者が正気ならあのような若い女性を選んだりはまずしますまい。信頼のおける職業軍人が妥当でしょう、ですが現実は違う。あれの操縦には巫女的な資質が必要だとでもいうのでしょうかねぇ」

「……マシェリ殿はヒトガタが魔法で動いているとでもお考えか」

「あっは、まさか。あれほどの脅威。魔法だと信じたいだけですよ。きっとこれから先何十年も」

 わたしは大人しく耳を傾けていた。義兄はマシェリの冷やかしにも眉ひとつ動かさず、対応している。

「ヒトガタに匹敵する兵器は出てこないでしょうから……」

 そう言ったマシェリの横顔が、まぶたの裏に突き刺さる。わたしはマシェリと話していた約束が、本当に実行されるかどうか不安になってきて、彼女を見つめていた。

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