第7話 少女と『ヒトガタ』

 宇宙空母の格納庫で眠る機体が、LED光を反射してプラチナ色の輝きを放つ。

 フィーネが乗っている人型の巨大兵器――名前は「Hitogata」、意味は「人の形をとったもの」。ヒトガタという名前は、陰陽師という日本の魔術師が、呪いを避けるために使っていた道具からとられている。


 彼女がヒトガタの歴史的な意味について詳しいのは、道具の歴史も乗組員として必要な基礎知識だからだろうか。彼女はまるで発見された瞬間を見てきたように、目を輝かせて語る。彼女は科学を愛していたし、科学では説明のつかない発掘物も愛していた。彼女は自分の家族のことをなにより大切な思い出にしていた。だからきっと、母親が研究したヒトガタを扱える唯一の人間であるということに誇りを持っているのだろう。そして、そのせいで《キャロライン》を守ることへの責任感も、わたしというお荷物もその小さな肩に背負いこもうとしている。


「目標小天体、接近」

 戦闘訓練オペレーターが告げる。義兄は普段よりずっと神妙な顔でわたしの隣にいて、唇を固く結びスクリーンを睨んでいた。

 わたしたちの周囲は宇宙船 《キャロライン》格納庫と、今は離れた場所を航行する所属宇宙空母それぞれに配備された定点カメラのリアルタイム映像と、様々な電子機器によって埋め尽くされている。透明スクリーンはタイルのように壁面を彩り、黒々とした変化のない宇宙空間を投影させている。一方で、電子機器は小さな光を点滅させたり、青白い光のラインを走らせたりして忙しい。


「探知反応なし。予定通り、目標地点へ向かえ」

「グリーン」

 宇宙船 《キャロライン》内、管制指揮室では張りつめた声が飛び交っている。人々は各々席につき、前面のスクリーンと手元のモニターを見比べ、慌ただしく指を動かしている。


 透明スクリーンの前に、椅子が一つある。

 見世物のように配置されたそれには、わたしの大切な人――フィーネが、わたしたちのほうを向いて座っている。彼女は目を閉じ、微動だにしない。

 スクリーンが投影する宇宙空間の隅に灰色の輪郭が現れる。


「目標小天体上空に到達、回りこみます」

 宙間空母からの通信はいまだクリアに聞こえる。

 灰色の小天体は、ごつごつとした岩肌が太陽の光によってくっきりと浮かびあがった。かすかな凹凸は、もしそこに降り立ったらてっぺんが見えなくなるほど大きいものだ。それに対して、太陽と反対の面は「そこにはなにもない」といわんばかりの影の黒で塗りつぶされていた。

 空母からの映像は、カメラが小天体の形に沿ってゆっくりとカーブを描いている様子を示している。そして、小さく揺られる。ビーコンが切り離され、リアルタイムで《キャロライン》本船の通信室へ情報を送る準備が整えられる。空母は《キャロライン》とビーコンを介しての通信のみが可能、つまり直接の通信が難しい小天体の裏へと回りこんでいる。


「こちら準備完了。訓練を開始する。ヒトガタ、起動せよ」

 通信が飛びこんでくる。

部屋中が静まり返り、皆が固唾を飲んで見守る中――彼女は沈んだ鳶色の瞳を開く。

 わたしは胸の前で両手を握り締めていた。ヒトガタを動かしているフィーネ……わたしは初めて見る。今から始まるんだ、《キャロライン》本船にフィーネを、所属宙間空母にヒトガタを配置した遠距離遠隔戦闘訓練が。

「はい――『名のある神よ、あたしの命に応えなさい』」

 瞳に銀色の閃光が走る。

 真っ白なヒトガタと同じ輝き。フィーネの首筋に、指先に、脚にと順番に広がって、フィーネはどんどん人間から離れていく。


「ヒトガタ起動シークエンス、ブートアッププログラム始動、OSチェック、システムチェックワン・ツー……」

 それを見ているわたしの胸がどくんと打つ。オペレーターが宇宙空母から送られてくるデータを淡々と読み上げる。

「《キャロライン》軍部ネットワーク接続、機体チェック、駆動系・推進系・センサー系全部位問題なし、同期。火器管制システムチェックに移ります……」

 フィーネはすごくきれいだ。昔々、聖母のもとに舞い降りた天使みたいに輝く。人間たちの機械的な詠唱に重なって、太古の呪文が滔々と流れる。最初の言葉だけはわかったけれど、続きはまるで聞いたことがない抑揚の、歌みたいな言語で紡がれている。もしコミュニケーションができる宇宙人がいたらこんなしゃべりかたをするのかなって思う。だってヒトガタって地球で見つかったものだけれど、地球にはない技術や素材でできているんでしょう。銀色のスーツをまとったフィーネはここではない宇宙を見て、この世ではないものに呼びかけているみたい……。


「船長、出動できます」

 フィーネは遠く小惑星の裏にいる船へ呼びかけた。了解のコールサインが返ってくると、彼女は深く息を吸って、瞳を閉じた。

 同時に、スクリーンが振動を始める。画面上の揺れは徐々に大きくなっていく。

 そして、空母の金属製の扉がゆっくりと開き――銀の閃光がひゅう、と飛び出した。

「操縦者、状態良好。落ち着いています」

 オペレーターが空母へ報告する。

「こちら、機体に異常なし。本人の感覚リンクはどうだ」

 フィーネは目を閉じたまま答える。

「異常ありません、むしろ非常に良好です。目標小天体の岩肌がはっきりと見えています……この距離なら誤差1.5センチで撃てます」

「周辺探知は?」

「他宇宙船の反応は感知しておりません。妨害電波等も反応なしです」


 オペレーターが頷き、「こちらの計測器も同様です」と加える。それから船長とオペレーターとの間で確認の応酬が続いた後、船長が言葉を切った。

「双方問題なしだな。では訓練を始める」

 多地点の映像が一瞬途切れ、スクリーンが情報を共有――画面いっぱいにヒトガタが映る。人のように四肢を持った巨大ロボットは今、1人の少女が命じるままに武器を振るおうとしていた――。



 以前、フィーネの部下に連れられて、宙間空母の周囲を少しだけ案内されたことがある。船は隕石のように大きい。上面にある金属の塊は砲台だと知らされた。そして砲台の向こうには、分厚い金属の扉が開かれた格納庫のなかに純白の――人型の巨大兵器が、座っていた。

「あれが『ヒトガタ』です」

 いくつもの太いチューブに繋がれたそれは、全身に鎧をまとった屈強な兵士のようで、この地下にあってもシリウスのように力強く輝いていた。これが、彼女が戦場に囚われた元凶。彼女にしか扱えない――彼女の指示にしか反応しない、忠実な破壊の神。わたしはそれを間近に見ている。


「これがあれば、《キャロライン》は宇宙の誰にだって負けることはありません。彼女は救世主なんです」

 その兵士は、期待という重みをフィーネに押しつけるように語った。いつのまにか、陰った視界にまばゆい銀色が刺す。ヒトガタが保管されている宙間空母の格納庫は、どんな細かい作業にも支障が出ないほど明るい。明るいから、わたしはうつむくしかなかった。頬を流れ落ちた雫が唇をなぞり、塩の味が舌先をしびれさせる。彼女は救世主である限り解放されることはない。わたしのために、国家のために、義兄のために、誇りのために戦い続ける。

 基地のざわめきは止まない。彼の言葉に、わたしが王家に加えられた頃の義兄の言葉が重なる。


 ――『ヒトガタ』さえあれば我が国は安泰。同盟国にも恩を売ることができ、敵国にも一目置かれる存在となる。彼女は我が国の救世主だ、と……。


 わたしはそんなこと、どうだって良かった。義兄は《キャロライン》の描くべき未来を饒舌に語る。わたしは興味深く聞くフリをしながら、その言葉にフィーネがどれだけ踊らされているのかを考えている。

「サラ、俺のそばを決して離れるな」

 真剣な顔で語る義兄の横顔が、憎く見えた。この義兄は権力を振りかざし、わたしの両親を奪った戦争に、かけがえのない親友さえも巻きこんでいる。

 わたしはフィーネを戦わせるための人質なのだと、女中たちが話していた。強大な戦力を支配する彼女が国家に反逆しないために飼われる、無力な子どもだと。

 わたしは彼女を救世主とは思わない。救世主であることが彼女を苦しめるのなら、彼女は強くて美しい救世主じゃなくていい。わたしのそばで笑ってくれたら……そのままの彼女、そのままのフィーネがいい。



 今、彼女はわたしの目の前にいるのに、遠い戦場の危機にさらされている。透明スクリーンはヒトガタの一挙一動を克明に映す。エネルギー砲、シールドの展開、広域殲滅ユニットの動作確認、遠距離遠隔操作によるエネルギー消費の確認など彼女は指示通りに、てきぱきと作業をこなしていく。

 銀色のライン。点滅する数値。アルファベットを捻じ曲げたようなへんてこな記号、文字。救世主の刺青が身体のあちこちに浮かんでいるフィーネは、集中しているからなのだろうけど、備えつけの機械みたいに椅子に座ってほとんど動かない。そのまま「救世主」という像にでもなってしまいそう。

 だから、そっと襟のふちを押さえる――これがわたしの、たったひとつの冴えたやりかた。

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