第4話 少女たちの喪失
彼女が《キャロライン》本船に帰ってくる、という知らせを聞いてわたしはわくわくしていた。わたしが王家に入る前に医療区画で会って以来、フィーネと会うのは2か月ぶりになる。
フィーネからの通信では、夕方に《キャロライン》に到着し、彼女が操縦する兵器――ヒトガタの点検と、王への謁見を済ませてから会いに行くとのことだった。わたしが早く会いたいことを伝えると、「夜になっちゃうと思うから、のんびり待ってて」と返信が届いた。
王家に迎え入れらえてからは、毎日毎日マナーの稽古に、国語数学理科社会語学に政治になぜか護身術とその他いろんな勉強に次ぐ勉強。食事のときだって、テーブルマナーを叩きこまれて、間違えば怒られ、温かい食事も冷めてしまうし気分は最悪。「美味しい料理を食べられる」って唯一の楽しみも奪われ、わたしはすっかり落ちこんでしまった。
そもそも望んだ場所ではない。だから、最初からやる気なんて起こらないのは当たり前。わたしが嫌々ながらも続けているのは、これ以上怒られないように、せめてフィーネにあきれられないようにっていう理由だけだった。
そんなわけで、楽しみというとフィーネに会うことだけだったわたしは、首を長くながーく伸ばして待っていた。そんなときだった、女中たちの噂が耳に飛びこんできたのは。
昼食をすませたわたしは王城区画の通路をうなだれながら歩いていた。わたしが自室としてあてがわれた部屋の扉の前で、王城区画の管理・清掃を行っている女中たちがおしゃべりしていた。
彼女たちはこの部屋の掃除を午前の最後の仕事にしていて、わたしが戻ってくる前に休憩に入るのが常だった。けれど、今日はしばらく立ち話をしていたらしい。わたしは今にも泣き出しそうな顔を見られたくなくて(ついさっきまでテーブルマナーができていないと散々怒られたせいだった)、彼女たちに見つからないよう、壁の陰に隠れていた。
「あの子は人質なのよ」
わたしは彼女たちの会話をもっとよく聞こうと、壁の隅に身を寄せた。
人質なんて、あまりに不穏な言葉だ。
――無慈悲な王様……。
――なにもわからずに王家へやってきた、愚かな姫君……。
ごくり、と唾を飲みこむ。反逆ともとれる発言に、わたしははらわたが煮えくり返る思いだった。この人たちは王家の最も近くで仕える身で、こんな発言をする。
肩が、震える。
「戦場へ連れていかれた女の子の噂、あれ本当なのよ」
一人の女性が口火を切る。わたしは耳をそばだてる。
「そのために、今のサラ様を義妹にしたらしいわ。……その女の子があまりに有能だから、歯向かわないように人質をとったのよ。あんな若い子まで戦場へ行かせるなんて」
「王様もやりすぎよね。そこまでするの?」
「そうしなきゃいけないくらい戦況が悪化しているらしいわよ」
脳裏に、大臣の偉そうな姿が思い浮かんだ。
次に、四六時中不服そうな、義兄の顔。
わたしが今こんなにつらい思いをしているのは、フィーネを危ない場所へ行かせるためだったというの。
そして同時に、わたしはほっとした。
わたしの思いが正当化されたみたいで。
愚かなわたしの愚かな考えは、国民によって正当化された――。
「わたしがいなくなればいいんだ」
誰にも聞こえないように呟く。わたしがフィーネを守らなきゃいけない。
その日の夕方、わたしは久しぶりの入浴を楽しんでいた。シャワーヘッドから、熱い水滴がつぎつぎと肩や胸に落ちてくるのを感じながら深呼吸をする。浴室の湿った空気が肺に流れこみ、からからに乾いていた喉がいくぶん潤う。氷河を削り得た水は、給湯設備で温められ、冷え切った身体に雪解けをもたらす。限られた資源のなかでこんな贅沢ができるのも《キャロライン》がこの小天体に停泊する数日間のみだった。
ボディーソープのあわをすべて洗い流してから、タオルを頭に巻き、湯船に半身をひたす。ぬるめのお湯につかりながらマッサージすると、手足のだるさが薄れていく。足首からリンパの流れをたどるように、ゆっくりと押し上げていく――これはフィーネが教えてくれたこと。湯けむりのゆりかごは心地よく、わたしは大きく息をつきながら目を閉じた。
まどろみのなか、これまでのことやこれからのことが浮かんでは消えていく。母から聞いた――白い箱の中で育った少女は空に焦がれ、蒼い水の上で生まれた少女は花を夢見るおとぎ話。宇宙に未来を託した人々の話、地球から逃げ出してきた人々の話。わたしと同じくらいの年頃に《キャロライン》に乗り地球を脱出したときのこと……。
――ざああ。
煙の向こうで誰かが蛇口をひねり、わたしは空想の世界から引き戻された。使用人が浴場を使える時間を間違えて入ってきたのだろう。立ち上がり、声をかける。
「誰? 今はあなたたちの時間じゃ……」
水の音が止まり、一人の少女がこちらにやってきた。
見紛うことはない。わたしが驚いているうちに、柔らかな人差し指が唇に触れた。
「静かに。お姫さまと一緒に入浴しているなんて、見つかったら怒られちゃう。……会いたかったよ、あたしのサラ」
わたしは彼女を見つめた。まぶたに温かい涙がみるみる溜まっていき、
「ほんとうにフィー……なの? わたし、妖精に化かされてるんじゃないかしら」
震える声をしぼりだしながら、わたしは腕を伸ばした。彼女もまた胸を広げて、華奢ながらも力強い腕でわたしを抱きしめた。
わたしは、彼女の温度と匂いを胸いっぱいに吸いこむ。
「あたしの背中に羽があるかもしれないよ。触ってごらん」
そんなことを言うから、わたしが背中を撫でまわすと、フィーネはくすぐったさそうに笑った。
「大丈夫。間違いなくフィーよ」
妖精の羽がないのを確認して、わたしもぎゅっ、と抱きしめ返す。
「こんなに可愛い……サラだって妖精かもしれないな」
と言って、フィーネはわたしの背中に触れた。
背中の凹凸をなぞって、腰のラインをすうっと下がり、最近お肉がつきはじめたおしりをつるり。
「フィー、ちょっと」
わたしは恥ずかしくなって彼女の背中を叩いた。
「かわいいおしり」
「もう。わたし、太ったでしょ。恥ずかしいわ」
「サラは心配になるくらい細かったからな。ちょっと太ったくらいがちょうどいいんだよ」
「ばか」
体調はよいのかとか、摂取カロリーの基準値はクリアしているのかとか、義兄との付き合いはつらくないかとか、そういったことをフィーネは尋ねた。わたしはフィーネに遠い訓練所で見た虹色の星や明るさの変わる星の話をせがんだ。遥か神話の時代に人々が語った伝説を、彼女はその目で見て、わたしに教えてくれた。
並んで湯船につかり、足を伸ばす。
「……ねえ、もし」
「どうした?」
「戦わなくてよくなったら、どうする?」
わたしは自分のひざを見つめながら言った。
「どういうこと?」
フィーネはわたしの肩を撫でながら、穏やかな口調で問いかける。
わたしはフィーネの頭を引き寄せて、耳元でささやいた。
「えっと、もう、戦わなくてよくなったらの話。戦う必要がなくなったら、フィーはずっと一緒にいてくれる……」
そう言っておきながら、わたしは彼女の顔を見られなかった。彼女の光の前では、わたしの思いなんてあまりにも暗くて、惨めに感じられてしまうから。
でも、「もう戦わないで」と伝えても、義兄は指示を下すし、彼女は戦場へ何度でも羽ばたいていく。誰もわたしの言うことなんてきいてくれない。
だから、わたしはきっとフィーネが反対することをしなくちゃいけない。そうしないと彼女を救えない。優しい彼女は何度だって戦場を駆ける。彼女が死んでしまう前に、わたしが置いていかれる前に、その手を引き寄せて離さないようにしないといけない。
――わたしがフィーネの足枷となっているのなら。わたしがフィーネにとっての人質なら。わたしが《キャロライン》から逃げ出せばいい。
わたしの頭の中を知るよしもなく、彼女はただ柔和な笑顔を見せた。
「もちろん。あたしが必ずサラが幸せに暮らせる、平和な未来を作ってみせるから。……今はつらいだろうけれど、待ってて」
「そうね……」
わたしはうつむいた。彼女はふと片手をわたしの頬に添えて、わたしの瞳をのぞきこんだ。
彼女はずっとわたしを見つめていた。しばらくしてわたしは、つい彼女の閃光のような瞳から目を逸らしてしまった。彼女の濡れた睫毛の下には、私だけがいた。
「サラ」
フィーネの唇が、わたしの唇に触れた。
あたたかな肌、柔らかい唇の感触。フィーネの熱くささやかな欲望がわたしの胸に手を伸ばす。
彼女の見たことのない行動に驚きつつも、胸が締めつけられるような恍惚がわたしを支配する。
「フィー」
唇が離れた瞬間に、わたしは息を漏らす。
「大丈夫だから」
彼女はわたしの唇を追いかけた。捕まえられる。離すつもりは一切ないと言いたげなキス。「約束」のキスとは全く違う、とろけるような熱情が伝わってくる。上気した頭で、なにが大丈夫なんだろう……と思いを巡らせつつも、彼女に身をゆだねる。
フィーネの腕に抱かれ、わたしは湯船に深く沈みこんでいく。髪が水面に広がる。湯気にまぎれ、わたしたちの影はひとつになっていく――。
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