第3話 少女たちの約束

 医療区画からは、先にフィーネが去っていった。

 軍なんていうのは健康な大人が入るものなのに、なぜ彼女に白羽の矢が立ったのかわたしには皆目見当がつかない。

 フィーネ本人の口からも、ドクターやナースの口からも理由が話されぬまま――医療区画の人々が退院後の生活にどうこう口を出すわけもなく、彼女は軍人を目指す人々にまじって訓練を受けているらしい。

 それが本人の意思とは関係なく実行されたことであるのは明らかだった。

 そして、意思に関係ないところの運命はわたしのもとへもやってくる――退院が近づいてきたある日、ある男性がわたしを訪ねてきた。

 ナースが訪問者の名前を告げてきたとき、わたしは誰のことかさっぱりわからなかった。

 とりあえず病室への入室を許可する。自動ドアが開き、その向こうにいる彼を見てわたしは驚いた。そして睨みつけた。

「どういうことですか」

「はは、あまり歓迎されていないようだね」

 以前、フィーネを訪ね来ていた「王の右腕」とかいう中年の大臣だった。

 彼は名乗ると、わたしのベッドのわきにあった椅子にドカンと腰をかけた。

「君を訪ねたのは他でもない、フィーネ君のことだ。彼女を守りたいと思わないかね」

 大臣は腕を組み、政治家らしい意味深げな調子で語った。

「質問の意図がわかりません。つまるところ、あなたは何をお聞きになりたいのでしょうか。わたしが彼女に対してどのような感情を抱いていようが、あなたにはなんの関係もないと思われますが」

 わたしはイライラして言った。

「遠回しな話し方は嫌かね。ならば単刀直入に言おう。王の義妹になりなさい」

 心臓が凍りつくほど驚いたわたしに対して、大臣はいたって冷静に、真剣な顔をしていた。

「嘘だと思うかね」

「……はい、王族でもなく貴族でもなく、武勲をたてたわけでもないわたしに、そんなお話がくるとは到底思えません。なにかの間違いではないでしょうか」

「いいや、間違いではない。君を妹として王家に迎え入れるようにと、王は仰せだ。彼は君が王家に近しい人物だと言っていたよ――詳しいことは仰られなかったが。このまま退院したとて、君には保護者がいないだろう。君の立場の重要性を考えれば、施設に入ったとしても十分ではない。とにかく、君の退院後の面倒は王家が見よう」

 大臣はわたしの言葉を押しとどめ、反論を許さず、うまくなだめすかして、半ば無理やり納得させた。

そして、わたしが首をたてに振るか振らないかのうちに、タブレット型の端末を取り出すとわたしのブレスレットに重ねた。ポンっという音とともに、彼の端末画面に文字が表示される。わたしはそれを読んだ。

「同意書」とタイトルが書かれていた。その下に数行の文章が表示され、スクロールすると空欄があった。

「ここに名前を」


 わたしは大臣から端末を受け取った。横柄な態度とは裏腹に、見た目はまさに「やり手」といった感じがする。わたしが専用のペンで名前を書くあいだ、彼は地球産の高級腕時計を確認していた。小惑星探索用小型車両のタイヤのような無骨なデザインは、父が持っていたものに似ている。なんだかいい気持ちがしなくて、わたしは端末の画面をにらんでいた。

 わたしが書き終わると、決意が変わらないうちに報告するつもりなのか、彼は大股で去っていってしまった。



 そして結局のところ、わたしは王家の一員となった。

 あれほど憎み、できるものなら粉々に砕いてやろうかという思いを胸に秘めたままの決断のおかげで、わたしの額にはずっと彫刻刀で刻みつけたようなしわができていた。王家に入れば、いつか王を殺す隙も見つけられるかもしれない……なんていうたくらみもないわけではなかった。けれど、そう強がったところでわたしはそこまでの勇気も持ち合わせていないし、一人では暮らしていけない自覚もあったので実行するつもりはなかった。王家という憎しみの矛先を手に入れて、わたしの心はひねくれていった。それでも、わたしが「王の義妹になれ」という命令を飲みこんだのは、フィーネとの約束があったからだった。


 大臣がやってきた数日後、機転の利くナースがこっそりと「フィーネが検査で医療区画にきている」と教えてくれた。王家に入ることを相談したかった(といっても、拒否する権利はない)わたしは、彼女の待機室へと一直線に駆けていった。

 フィーネは驚いた表情で、けれどもほっと安心したような声色でわたしを迎えてくれた。戦争を始めて、わたしの両親を殺した張本人のところへ行くなんて狂気の沙汰じゃない。わたしがそう言うと、彼女は、

「王様だって、サラを不幸にしたくて引き取るわけじゃない。サラが安全で、きちんと教育を受けられて、健やかに育つよう祈ってくれてのことだよ」

と言った。


「だったら、わたしの両親だって《キャロライン》のために死ぬ必要はなかったわ。資源や超科学文明の遺産や、領星のためにパパとママは死んだの? ……そんなの、あっていいわけがないでしょ。じゃあわたしの気持ちはどうしてくれるのよ。わたしはただ、大好きな人たちと一緒に生きていければいいだけなの。こんなことならわたしも地球で生まれたかった、地球と一緒に死にたかった……」

 フィーネはわたしの頭にそっと手を置き、額に口づけた。


「地球だって同じだよ」

 彼女は囁いた。わたしは驚いて彼女を見上げる。

「なんていう話をね、あたしもお母さんから聞いたことがあったよ」

 母親は科学者だった、と彼女は語ってくれた。約四〇年前、アフリカの砂漠地帯から出土した謎の巨大装置の研究。それは超科学文明の遺産として宇宙開発に大きな影響を与え、また《キャロライン》をはじめとする宇宙船国家の始まりに、技術面において大きく貢献した。


「昔からそう変わらないよ、きっと人間なんてさ。でもね、あたしはすごく大切にされてきたんだなって思うんだよ」

 フィーネは言葉を選ぶように、慎重にゆっくりと話し始めた。

「病院で眠っているサラを見たら、あたしは、戦争で死んだ家族のことをすごく誇りに思った……。誰かが想ってくれたから、今あたしはここで生きている。サラだって同じだよ。君のお父さんとお母さんが大切に育ててくれたから、今ここにいる。王様だってきっとわかっていると思うよ。みんなが想ってくれたから生きているサラを、王様が大切にしないわけがないさ。少なくともあたしには、王様がサラの言うような冷酷無慈悲な人間には見えなかったな」

「そんなはず……」

 わたしは彼女の顔を見られなくなった。でも、フィーネが優しく撫でてくれるのは心地よくて、うつむいて彼女の胸に顔をうずめていた。


 ――後に聞いた話によると、彼女は特別な宇宙兵器の操縦士だったらしい。

 純白に輝く超科学文明の遺産。術者の心象と連動して稼働する兵器。日本人の科学者が発見したとかで、呪術に使われる道具と同じ名がつけられた。つまり、「ヒトガタ」と呼ばれるもの。

 フィーネは、地球の砂漠地帯での調査で偶然発掘されたという、その兵器の操縦者。人型のロボットと《リンク》し、遠隔操作する《権利》を有する、唯一の人物。


「サラ、約束しよう」

 フィーネはわたしの手をとって、指先にキスをする。

「あたしは、なにがあっても絶対にサラのもとへ帰ってくるって」

 その言葉を聞いた瞬間、顔中の血が沸騰したみたいに熱くなった。

「フィー、ちょっと、恥ずかしいよ」

「なら恥ずかしがってなよ」

 彼女はいたずらっぽく、さわやかに笑った。

「あたしは――フィーネ・アンリエッタは、生涯サラ・キャロラインと共にあると『約束』するよ。だから大丈夫。サラは一人じゃない、心配しないで」

 医療区画の片隅で、白い壁と天井だけがわたしたちを見守っている。



 そして今、フィーネは、わたしが《キャロライン》のなかでもっとも安全なところで、地球産の新鮮な食べ物に舌づつみを打っているころ、死と隣りあわせのところで戦っている。

 戦場。

 飛び交う光線はまるで流星群のよう。炎は宇宙戦闘機の機内に満たされた空気と、機体の素材の反応によってさまざまな星の色みたいに燃え上がる。

 その中で、命は空しく失われていく。

 宇宙で死んだ遺体はその多くが回収できていない。特に戦死や事故死によって宇宙空間へ放り出されてしまった場合、遺体は生前の形をとどめたまま漂い続ける。微生物や細菌のない真空の宇宙で、生き物は腐敗することがない。


 一方、運よく宇宙船で死亡、もしくは回収ができた遺体は冷凍処理が行われた。専用の棺型コンテナに入れられ、零下の船外へ出された遺体はすっかり凍ってしまう。そこに微振動を与えると砕けて塵になり、船内の農業生産区画で野菜を育てるための肥料として再利用される。

 そうして、わたしたちは死んだ人を食べて生きていくんだって。

 もしかしたら、母を間接的に食べたかもしれない――そんな虚しさがわたしを含め、たぶん、家族を亡くした人々の心の奥に住み着いている。

 それがわたしたちの、戦争のある世界だった。

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