第5話 業病のリンクス part【2】

 リンクスこと山猫座の躯体は頭が建物の二階窓に届く大きさだった。特別変わった所があるわけではない。武器を持つわけでも、一部が猫と無関係の形をしているわけでもない。

 赤い斑点模様の純粋に大きな猫というのが相対した者達の共通見解だ。


「スキル『フレイムランス』10連!」


 アイシャの後方で展開した魔法陣から放たれた大きな炎の槍が山猫座の巨体に突き刺さる。


「ギニァァァ!!」

「アイシャ、もっと撃て!」

「分かってるわよ姉さん! サフラン、索敵やって!!」

「ギャーギャー喚かない……シオンは一旦下がって、サーカスは右の建物の屋根までやられたアオイとノイを連れて避難」

「りょーかいっ!」


 サーカスが担いだアオイやノイの腕には禍々しい紫色の斑点が浮き出ている。


「大佐、山猫釣って」

「無論だ。スキル『挑発』」


 黒い鎧を装備した大佐がヘイトを誘導する『挑発』を使用したことで山猫座の視線はサーカスから彼に移る。巨体を更に大きく見せるように振るわせ、艶の良い毛を逆立てて突進してくる。


「まぁ、このままでは私もやられてしまうが…」

「私がカバーする」

「月下君か! ありがたいねぇ」


 月下は己の刀を抜かず、右腕にはめた煌めく籠手を構える。


「『女神の宝石箱』『全能の籠手』、エンチャントダイヤモンド…」


 突き出した右腕には白く輝くダイヤモンドの杭が現れる。月下は飛び込んでくる山猫座の懐に潜り込むと、ダイヤモンドの杭を腹に打ち込む。


「『グングニルバンカー』…FIRE!」


 月下の何倍もある山猫座の身体は宙へと浮き上がる。攻撃の反動で後ろへ飛ばされる月下を大佐が支えていた。

 月下は路地横の建物二階の壁を蹴ったシオンに叫ぶ。


「シオン!!」

「首を落とす…英雄絶技『幽刃、クラミツハ』!」


 シオンの持つ十握剣の色が淡い紫色へと変わる。空中で抜いた刀の刀身が地面に届く程に伸びていく。そのままシオンはフィギュアスケーターのスピンのように回転して刀を振るった。


「良し、届……」


 戦場を眺めていたサフランがそう呟こうとした瞬間、山猫座の姿に変化が訪れる。

 膨らんだ風船から空気が抜けるように縮んでいた。シオンの刃が山猫座の身体を通る時には首に当たる筈の軌道だったのに、いざ当たると言う時には鼻をギリギリかすらない位置まで縮んでいた。


「なっ…!?」


 そうして、回避した山猫座は悠々と地面に着地した。

 その時の山猫座の表情は路地の入り口で戦闘を傍観していた俺にもよく見えた。

 嘲笑。持てる手を使って必死に追い込み、それでも届かない。非力なプレイヤーを見下す嫌な笑い方をしていた。


「このっ…猫風情が!」

「シオン、気をつけて!」


 アイシャの言葉がシオンに届いていたかは分からない。既に彼女は刀身を黄色く光らせていた。


「万雷を来れ、英雄魔法『召雷、武甕槌』!」


 だが、それを待っていたと言わんばかりに山猫座は空中から刃を向けてくるシオンの方へ顔を上げる。


「何か変、シオン!」

「ちょっ、月下くん!?」


 月下は本能的に飛び出していた。彼女の抱いた感覚は以前にも覚えがあった。

 自身の父親とヒューガが現実で戦った時。父親の築き上げた全てをヒューガによって壊される直前、背筋が凍るような感覚だ。


「『全能の籠手』…」


 その時、山猫座の顔が月下の方へと振り返る。

 黒い瞳を妖しく輝かせ、小柄な体躯が月下の方へと弾丸のように発射された。


「月下!」

「月下さん!」


 見えなかった。

 今まで色んなものを見てきた。剣道をやっていた彼女は動体視力も優れている。この世界で理不尽と呼べる敵とも戦ってきた。決して、油断はしていない。

 しかし、現実として月下の身体は真ん中に猫が一匹倒れる程の穴が空いていた。


「あ……」


 穴が空いた部分に手をかざす。そして、ステータスを確認した。

 良かった、まだ生きてる。

 しかし、おかしい。

 穴の部分はポリゴン化していない。それどころか硬い…


「月下あなた…身体が」


 アイシャの言葉で月下は自身の右腕が灰色に石化していることに気づく。


「嘘…」

「くっ…ミスした…」


 石化の速度は徐々に早まっていき、瞬く間に月下の身体は石像と化してしまった。

 目に追えない速度まで加速した山猫座だが、壁を空を飛べるわけではない。壁を蹴った時の音、風を切る音は彼女の耳なら聞き分けられる。


「サフラン君、音で私達を誘導しろ」

「分かってる…サーカスっ! そっちに行った!」

「クソッ! おれの方かよ」


 山猫座が次に狙ったのはアオイとノイを抱えて屋根の上に逃げていたサーカスだった。左手にククリナイフを右手には5本のダガーを指で挟む。


「サーカス、正面!」

「よし、そこっ!」


 サーカスはサフランの指示を聞いて指で挟んだダガーを扇状に広がるように投げた。一本のダガーは空中で何かとぶつかり、上へと弾かれる。


「サーカス君、当てたのか?」

「わ、わかんない…」


 サーカスが辺りをぐるりと見渡すが、山猫座らしき姿は見当たらない。とにかくここは危ないと感じた彼はノイとアオイを再び抱えて離脱しようとする。


「えっ…あれ落ちる?」


 急にサーカスは背後から押されて屋根から落ちていく。見上げた先にはアオイが苦虫を噛んだ顔をしていた。


「月下さん?」

「ノイを…お願い…」


 次の瞬間、アオイの全身が石化していた。サーカスは悲しむ前に空いた左腕を使って両腕でノイを抱きかかえる。


「大佐ぁ!」

「分かってる。『挑発』!」


 大佐がヘイト誘導スキルを使ったことで山猫座の目標は落下中で無防備なサーカス達から変更される。


「大佐、一秒でいいから縛り付けて!」

「そのつもりだよアイシャ君!」


 山猫座は壁や地面を蹴って大佐の周りを跳ね回る。目では追えないが、山猫座が方向を変える際に反動で壁が抉れているのが見えていた。


「ならば…これでどうだ」


 大佐は壁に背中をくっ付けて盾を正面に構える。


「囲め、スキル『ボルカニックタワー』」


 大佐の周りから彼を守る様に火柱が立ち昇る。


「さぁ、どこから来…る…? あれ?」


 警戒を強めていた大佐が異変に気づいたのは勝手に盾が下を向いていた時だ。肘まで腕が石化している。


「な、まさかっ…触れてすらいないぞっ!?」


 大佐は自身が石化することは想定内だった。その上で『挑発』を使用し、石化の状態異常と引き換えに山猫座の動きを止めるつもりだったのだから。だから、音を聞いていた。攻撃するということは必ず接触音が聞こえる筈。


「サフラン君、君は聞こえたか!?」


 大佐が振り返りサフランに尋ねるも、彼女は首を横に振った。つまり、山猫座には非接触の攻撃方法が存在することになる。

 それはイコールでこの場の誰も石化の対抗策を持ってないことを意味する。大佐は直ぐに叫んだ。


「アイシャ君! 撤退だ、やはりラプラスを突破したコイツはヤバい!」

「…くそっ」


 ここまで僅か60秒。シオンがクラミツハを使ってから経過した時間。たったそれだけでチームは半壊した。

 昔ならまだしもさそり座や獅子座を経験したアイシャは、苦渋の決断で迷うことも間違えることも無かった。舌打ちした彼女は杖を高く上げて声を荒げる。


「サーカス、ノイをお願い! サフランとシオン、三人を拾って! 私がでかいのぶっ放すからそれを煙幕にして…」

負け犬ルーザー、もうそっちに行った!」


 サーカスの声が聞こえた時には弾丸のように真っ直ぐ飛び込む山猫座がブレて見えた。

 間に合わない。やられる。アイシャは反射的に目を瞑る。

 彼女の耳に聞こえてきたのは、何かが蹴られる音と壁にぶつかる鈍い音。


「あ…れ…?」


 おそるおそる目を開けたアイシャの視界には山猫座の代わりに一人のプレイヤーが立っていた。何故か、彼女は銀色の後ろ姿に懐かしみを覚える。


「逃げるんだろ…?」

「えっ…」


 背を向けたまま話す彼の予想と異なる声音を聞き、現実に引き戻されたアイシャはおずおずと頷いた。


「…時間を稼ぐ。そうしたらデカイの撃って逃げよう」

「あ、うん…」

「よし…ダミアッ!!」


 短剣を手に持ったドワーフの少年が疾風の如く現れた。銀色のローブを被った彼は石化した3人をそれぞれ指さす。


「路地と壁と屋根上、全部で三人。何秒かかる?」

「うーん…60秒ちょーだい」

「上等だ」


 彼は黒い散弾銃を未だ床に伏せている山猫座に向けて突き出し、引き金に指を掛けて、


「いくぞ。これ以上やらせるな」


 躊躇いなく引いた。





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