第4話 流転の天秤座 part【4】

 俺がライブラに会って数時間。太陽が東の空から登る頃に、ピジョンの居る建物とは館を挟んだ反対側で、同じような牛舎の掃除をしていた。

 ここには、様々な色をした牛達が飼われており、ホルスタインから黒毛和牛みたいな色の牛が一つ柵を越えた向こうで飼料を貪っている。何頭いるのだろう。放し飼いのも含めたら相当な数がいるはずだ。


「完全に畜産だよ、天秤要素無いよ…これ」


 生憎と畜産の経験と知識は無いし、MMOゲームでやらされる内容でないことは重々承知している。時間も無いので、掃除する前に、俺はここへ連れてきた天秤座攻略者のレッドラムに答えを聞いてみた。


「お前、この試練のクリア方法知ってるだろ?」

「あぁ、一つ知っている。けれど、それは最終手段だ。良い方法では無いし、ツケは誰かが払う事になる」

「誰か? 俺じゃなくて?」

「そう誰かだ。君の妹か、シンかその仲間か、はたまた生き返らせたマナロか。幕引きとしては最悪の終わり方になる可能性がある」


 そう言って、レッドラムは掃除を押し付けて散歩に出掛けてしまう。言いたくは無いが、こんなことにマナロの命が掛かっていて良いものか。


「けれど、命が掛かっているからこそ、何があっても諦められない」


 竹ぼうきで藁の切れ端を払いながら竿の部分を強く握り締めて呟く。すると、牛舎の柵の向こうに飼われる牛の一頭が俺の誓いに呼するか如く、小鳥の囀りを掻き消す荒々しい声をあげる。


「ブモォォオ!!」

「今の、お前か? 応援してくれるのかい?」


 言葉が理解出来ているのか気になった俺は、目の合った艶の良い紅い牛の一頭に話しかける。ヘリオスやレッドラムと同じ太陽のような赤みに何故か目を惹かれてしまう。更には、この牛だけ頭からねじれた巻き角を伸ばしており、牛よりも悪魔の方が相応しい。

 しかし、その身体に見合わず小さくつぶらな瞳は、俺を品定めするようにじっくりと見つめていた。


「モーオォ」


 それだけ。それだけ言って牛はそっぽを向く。

 だめだ分からん。召喚師や魔物使いが居る事だし、言葉の通じる魔物に幾つか心当たりもある。その事もあって、つい聞いてみたが無駄骨で終わってしまった。


「はは、流石に無理か。ジュノーとかエレネなら話せるのかなぁ」

「モーオォ」


 牛達から賛同の意を示すような反応が返ってくる。しかし、根拠は無い。冷静に考えてみると意思疎通が困難な相手で何を真剣にやっているのか。急に虚しくなって掃除に打ち込む事を決め、力強くほうきを掃く。


 そんな時、牧場には似つかわしく無い銃声が敷地内を木霊する。小鳥達は一斉に羽ばたき、牛達は驚いて後脚だけで立ちあがる。中には柵に突進する個体も居た。


「今のは発砲音? 銃を使えるプレイヤーは、ピジョンかヘリオス。まさか、敵? いや、ここがそもそも敵地だし…すると考えられるのは…」


 思案に耽っていると、反対側の牛舎からピジョンが慌てて飛び出していくのを見かける。そうなると、撃ったのはヘリオスの線が濃い。ライブラは館にいる筈なので、撃たれた可能性が高いのは消去法でレッドラムになる。モンスターが来ていればヘリオスが連絡しているだろうから、まず間違い無い。


「と、ここまで考えたは良いが…何で冷静なんだ俺は!!」


 竹ぼうきをその辺に放り投げた俺は柵を飛び越えて、発砲音のした方へと牧場を駆け抜ける。少し進むと、ヘリオスとピジョンの姿が視界に映る。そして、彼女の足元で地面に倒れ伏せる真っ赤なコートも視界に入った。


「おいラムッ! 無事か?生きてるか?」


 俺が到着した時、現場には先に来ていたピジョンが倒れたレッドラムのステータスを確認している所だった。俺も同じように彼のステータスを確認する。

 幸運にも、レッドラムのHPには一切変動が無い。外したか空砲のようだ。慌てふためく俺達二人の様子を眺めていた加害者が、やれやれと口を開く


「殺すかこんな奴。愛銃アイビーで不細工な帽子を撃ち抜いただけだ」

「そうみたい…だね。けど、いきなり発砲とはどうした? こいつは、人にセクハラするくらいなら殺して解体するような人間だぞ?」


 我ながら被害者のフォローになってない事を言っている。そのぐらいレッドラムという人物は危険で信用ならない。再会当日、妹に爆弾を仕込んだから言う事を聞け、などと宣う人間の何処を信用出来ると言うのか。

 今現在は、彼がβテスターかつライブラという存在に辿り着かせた点を考慮して、エンヴィア殺害までは行動を共にする。終われば、一般攻略者とPKの関係にまた戻る。

 しかしながら、今の奴は俺にとって希望なのだ。失うわけにはいかない。


「何したか? それはそこで死んだふりをしている真っ赤な音楽家にでも聞けばよい」


 ヘリオスが長い朱色の銃の先端でレッドラムの身体をつつくと、赤いコートに包まれた包帯巻きの身体は、釣り上げられた魚のようにビクンと跳ねてその勢いで上半身を起こすと、俺達三人を見上げた。その顔は読めないが、恐怖も反省もしていないのは憎たらしい笑みを見ればすぐ分かる。


「なに、私は提案をしただけさ。ピジョン、君をこのクエストからリタイアさせようと思っていてね。連れの彼女に許可を取ろうと思ったのさ」

「リタイア?」


 俺は眉を顰めて聞き返す。すると、レッドラムは驚いたような声をあげる。


「何だ、君も気づいてなかったのか?」


 レッドラムはゆったりと立ち上がり、服に付いた汚れを払い落とすと、コホンと咳払いをする。


「ライブラのクエストはどう取り繕ってもストーリークエスト。つまり、合格者MVPは一人しか出ない。二人が願いを叶える事は不可能なんだよ」

「あ……」


 確かに、今までのさそり座も獅子座も蟹座もMVPは一人で、一番の報酬を貰っている。今回も例に漏れず、権利はMVPが貰える可能性が高い。そうなれば、この試練は俺とピジョンの競争になる。ピジョンの顔を恐る恐る伺うと、既に気づいていたのか動揺は少なく、静かに頷く。


「——それは、そうだね」


 レッドラムは「そうだろう、そうだろう」と相槌を打つ。


「君は彼女の記憶を戻したい。私達は仲間を生き返らせたい。ここに、優劣を付けるつもりは無いが…彼女は部分部分の記憶がある。そうじゃ無いのか?」

「…否定はしないよ」


 ピジョンはレッドラムから視線を逸らして答える。


「ということは、ヘリオスには回復の望みが残され、緊急性は我々より低い。なら、ライブラの攻略権利を譲ってくれても良いじゃないか?」

「…そうだけど。そうなんだけど」


 弱々しく答えるピジョンは反論の糸口が見つからず、苦しむ表情だった。

 正直な所、この話で俺はピジョンの味方はしない。仮に奪い合いになるなら、誰であろうと蹴落として掴み取る。


 それは、とうに決めていた。


 俺には、人を殺してでも生き返らせたい少女がいるのだから。


「もう一度、聞こう。ピジョン、ヘリオス。我々にライブラの攻略権利を譲ってくれ」


 ピジョンの心の中まで見透かすような真紅の瞳は、俺にとって頼もしくも恐ろしく映っていた。


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