第5話 流転の天秤座 part【5】

 苦しい程に長い静寂が続く。赤い音楽家の要望に対してピジョンが答えに迷う中、既にヘリオスは心を決めていた。


「音楽家、答えはNOノーだ。譲るつもりは無い」

「ヘリオス…」

「敗北に耐え切れず国を出た私に価値はない。なのに…コイツは何故か付いてきた。私の記憶を戻すと豪語し、こんな所に迷い込ませた。ハッキリ言って迷惑だ。時折、フラッシュバックする映像や知らない言葉は頭を痛めるばかりで役に立たん」


 ヘリオスはピジョンに一瞥をくれると、レッドラムへと身体を向き直す。


「だが、ここまで真摯に一人に向き合うバカも居ない。仕方ないから、このバカが諦めるまでは頭を痛めようが付き合うさ。だから、その提案、断固として拒否する!」


 瞳に強い光を宿したヘリオスはレッドラムを真っ直ぐと見据える。

 対して、レッドラムは表情は変わらず得体の知れない不気味さを醸し出しながら、矛先をもう一人のライバルに変える。


「それなら、クエストへ挑む方に話を聞こう。ピジョン、目の前に奇跡ヘリオスがいる君なら、これから取り戻す我々の気持ちを分かってくれるね? 君も彼女を見つけるまで、胸が締め付けられるような思いで過ごしてきたことだろう…今の我々も同じくらい苦しみと悲しみを背負い、心が壊れそうだ。ああ! 君が時間じかんでの解決を選んでくれるというならば、私達はどれほど君に感謝できようか…」


 レッドラムは自分の心にもない事をべらべらと語り出す。

 その最中、彼は俺に向かって一瞬だけ目配せでアイコンタクトを送ってきた。最初は、訳が分からなかったが、彼の演説中に送られてきたフレンド用のメッセージにその意味と答えが書かれていた。俺はヘリオスとピジョンの視線をレッドラムが一身に集めている間に、こっそりと読み込む。


 どうやら、この殺人鬼はエンヴィアを殺す事にとことん執着しているらしい。


「…了解」


 誰にも聞こえないくらいの声量で呟いた俺は三人の会話に混ざろうとして一歩踏み出す。すると、背を向けた館側から牧場の主の声が聞こえてくる。


「貴様ら、誰の土地で騒いでいる?」


 四人の視線は足音もなく現れたライブラに集まる。彼の表情は人形のような固さだが、両手を腰に当てている素振りから、不満を抱いている事は分かる。直ぐにレッドラムはライブラの前でひざまずき、見上げるようにして弁明する。


「これはこれはライブラ。申し訳ない、彼らにリタイアを提案していた所でね。朝に弱い貴方を起こしてしまったかな?」

「一々下らない事で騒ぐな。揉め事は公平に勝負して決めろ、審判する」


 それを聞いた時、偶然にも俺はレッドラムが僅かに口角を吊り上げて笑みを浮かべる所を見た。


「なら、古い賭けをしよう。第一試練で先にクリアした人は後にクリアした人に一つ何でも言う事を聞かせる、というのは?」


 声高らかにそう提案するレッドラム。ライブラは両腕を前に伸ばすと、手の平を開けてその上に黒い支柱の小さな秤を召喚する。烏の彫刻が中央に装飾された不気味な天秤は、鎖で繋がれた白い皿が良く目立つ。


「来たぞ、起きろ、勝負だ『黒白こくびゃく流天るてんエスカマリ』。かの願い…聞きたまえ」


 天秤『黒白流転エスカマリ』に宿る烏の目がほんのりと青白く光り、独りでに天秤が揺れ始める。ライブラは視線の先をヘリオスに合わせて問いかける。


「提案だけは聞き届けた。ヘリオス、ピジョン。其方そちらの意思は?」

「ピジョン、貴様の意見に今の私は従う」


 目を閉じて背中で手を組むヘリオスは、黙ってピジョンの言葉を待っていた。


「僕は…僕は、やっても良い。ただ、このままじゃ受けるメリットが少ない。追加で提案する。『この勝負で死者は出さない』。赤い君が僕達を襲撃する可能性は否定出来ないからね」


 レッドラムは構わないと頷く。今回の勝負に関しては始まるまで彼に一任させた方が良さそうだ。


「他のルールはどうする? 襲撃を除いて、スキルや魔法の使用は?」

「その辺りは自由で構わない」

「——了解した。ライブラ、ルールは決まった。襲撃以外何でもありの二対二チーム戦だ」


 ライブラの持つ天秤の白い皿の右側、俺たちが居る方には、灰色と赤色の人形が載せられ、左側では赤い木の枝と鳩の彫刻が載せられた。


「承認を得た。レベル差を鑑みて戦力の釣り合いを行う………終了。報酬は相手チームへの命令権。現在、午前6時48分。我が天秤の加護において公正、公平、平等な勝負を諸君に期待する」


 ライブラがそう宣言すると、天秤からエネルギーパルスのような衝撃が周囲に飛び広がる。牧場全体を覆ったぐらいのタイミングで、ピジョン達が早速行動しようとしたその時、レッドラムは今までで一番嬉しそうな表情を俺に見せながら、両手を差し出す。その手の上には小型のピアノが載せられていた。


「良しっ! ははっ聞き届けたぞ! グレイ、この鍵盤を弾いてくれ」

「…え? うん、えい」


 俺は目の前に突き出されたピアノの鍵盤を反射的に指で押す。


 襲ってきたのは爆炎と轟音。叩きつけるような熱風の嵐。爆心地はライブラの更に後ろ、第一試練の行われる牛舎である。


「うわっ!!」

「きゃっ!!」

「はぁっ!?」


 突如として鳴り響いたそれらの爆風は目も眩む光を備え、館の両端に取り付けられた牛舎から爆発と共に瞬く間に燃え広がる。


「あははっ! ライブラ、君の言った通り『牛舎を掃除』してやったぞ! 文字通り、!!」


 赤い包帯巻きの音楽家によるトラップは間違い無く、世界と俺達の時間を止めた。

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