第36話 ソノ手ガ届カズ例エ…
絶海の孤島 ケートゥス
地獄のような戦いが繰り広げられる大陸から南に離れた孤島。その島の大きく開けた平原の中央には倒れ伏す少女と彼女に駆け寄る少年の姿があった。胸に紫の矢が刺された少女の体は消えかけており、つま先の方は既に分解し、データの海に消えていた。
「マナロッ!!」
蒼い狩人の力が急に緩められた。俺は目の前に倒れ伏す少女目掛けて全速力で走り出す。少女は既に瀕死で地に倒れ伏せている。目視での概算距離はあと数メートルといったところ。
いや、何十メートルだろうと間に合わせなければいけない。そうでなければ俺は…『エンヴィアを殺してでも助ける』と決めた自分の信念を裏切ることになる。
「届けッ!」
この手が届けばまだ間に合う、『自分の毒に解毒ポーションを用意するのは当たり前、元錬金術師は伊達じゃない』だから諦めるな。そう彼女に言いたくてもそんな言葉が出る以前に手足が動いてしまう。ゆっくりと動く世界は、彼女が消えるのを拒む自分が勝手に時間を引き伸ばしているように思える。
「…グレイさん」
この時の俺はどんな表情をしていたのだろう。絶望に染まっていたのか、それとも泣きそうだったのか。どっちにしろいい顔をしているはずがない。
「思いは弓に遺してみます。だから…」
それなのにどうして…俺の瞳に映る少女はどうして…死の間際に笑っていたのだろう。
「私の願い…託しましたよ」
「間に合え!!」
その手が彼女に触れる瞬間、結末を告げる雷鳴が鳴り響く。
「一歩、いや半歩の距離だ。ギリギリの際どい勝負だった————射手座討伐おめでとう」
灰色の弓が一本、鯨座の背に遺された。一人の少女が消えた後の場所に現れた。それ以上、何も言えない。
「結末としては合格点。あの子は良い役者だったね」
項垂れた俺は歯軋りして拳を握りしめる。叫びたい。叫んで狂って楽になりたい。けれど、この灰色の弓に遺された言葉が米粒程の小さい理性を保たせてくれる。
『どうか、貴方がこの力で帰れますように。どうか、ワタシと違って生きたいと声に出し続けられますように。どうか、どうか、貴方は貴方の信念を壊さずに入れますように』
「見事な灰被り。報酬はちゃんと受け取りな、射手座の宿命は最期の言葉。死の間際に思った事が力として遺される」
要らないんだよ。死者の思いを武器にするんじゃねぇ。胸の中を言葉にするんじゃねぇ。
それでも、誰かに渡すくらいならと、弓を取り抱きしめる。それからずっと、耳に不快な雑音が鳴り響き続けていた。
「——茶番は終わったし、アンタも死のっか」
「茶番……?」
搾り出すように出た言葉はそれだけだった。何のつもりか確かめたくて、顔を上げてエンヴィアの表情を伺う。その顔は憎たらしいほど晴れ晴れした笑みを浮かべていた。
「よかったね〜皆の為に正しい事が出来て。英雄の最期は悲劇と相場が決まってる」
親しい人間が亡くなると、葬式で別れを惜しみ涙を流す人がいる。俺にはこれまでそういう経験は無かったので、その気持ちは分からなかった。だが実際に、それも目の前で亡くなられると、氷漬けされたみたいに動けないし喋れない。だから、目の前の人間もどきが吐く言葉に困惑してしまう。
「大丈夫、痛みは無いし、一瞬だ………これを実際に言う機会が訪れるとはね」
「…ぐっ…うぅ……」
今更のように雨が止み、雲の切間から青い空が顔を出す。堪えることなく、俺は空へ向かって、悪魔に届くように叫んだ。最後の糸がプツンと切れた瞬間だった。
「えんゔぃあぁぁあああぁぁあ!!」
心からの叫びも目の前の悪魔には届かない。
「ああドンマイだ、ここじゃ不運な奴から死んでいく。叫んだ所で徒労に終わる」
エンヴィアは軽く指を鳴らす。途端に足場は消えて俺は海の上に放り出された。悪魔は蝙蝠の軍勢を足場に空から落ちていく俺を見下ろしていた。雲の隙間からは翡翠の龍が海の方を向き、大きな口を開いていた。喉の奥へと光が集まっている様子を見ると、周囲の海ごと俺を消すつもりだろう。
「龍よ、竜よ、リュウよ。鉄槌を下せ」
もう、力は残っていない。腕の中の灰色の弓をギュッと抱きしめる。収束した光が一気に爆発する。
「アディオス、グレイ。ハイライトの無い瞳も素敵だよ」
これが最期と分かっているからこそ、悪魔に言い返す。
「いつか、いつか…殺してやる」
直ぐそこに死が来ている。それでも、最後の最後まで意思は止めない。その手が届かず例え、信念を壊すなという願いを踏みにじろうとも、悪魔だけは存在することを許すはずがない。
「そりゃ残念。アタシもう死んでるわ」
穴に落ちた時とは違う。逃げ場の無い空で龍の光線が海を割る。その中に居た一人の青年は光に呆気なく飲み込まれていった。
「ちゃんと…死んだかな? 前科あるし心配だわ」
間もなく、エンヴィアに一報が届けられる。それは彼女にとって吉報であった。
『プレイヤー:グレイをキルしました』
その表示を見たエンヴィアは、満足そうにケートゥスを呼び出し、再び絶海の孤島上に降り立つと、未開拓地域の海へと旅立っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます