第10話 魔導書館第2エリア 『司書が彷徨う回廊』(下)

 ジュノーの使い魔が見つけたという司書は、古ぼけた本を何冊も脇に抱え一冊ずつ壁の本棚へと丁寧に片付けていた。

 司書は女性で誇張なく物理的にぼんやりと透けており、暗がりのせいかもしれないが床に脚が着いているように見えず、正に幽霊のようである。

 後ろ姿しか見えないが、彼女はシミひとつないカーテンのような布切れ一枚を纏い、白髪を長く伸ばしていた。

 あまりの髪の白さに服部分まで行くと色が被さって見分けがつきにくいほどである。


「あれが…司書?」

「のようですわね…グレイ、どう思いますか?」

「実際見て思ったのは、話してみても良いかなって。ジュノーの百鬼夜行で奇襲対策できそうだし、倒す選択はプランBにしない?」

「変に拗れたら一人で何とかして下さいね」

「もしそうなったら、意地でも巻き込んでやるから心配ないよ」


 笑いながらそう言う俺たちの本心は全く逆の事を考えているだろう。

 何せ眼を見れば笑ってないことなど一目瞭然だ。


 どちらが前に出るかを決めずに来てしまったため、互いに歩幅を調整して距離を牽制しながら司書の所まで歩み寄る。

 司書は俺たちの足音に気がついたのかゆっくりと振り返る。

 そして、無い足で浮かびながらフロート移動してこちらに向かってくる。


 俺たちと彼女が目と鼻の先まで近づくと、互いに一言も喋らず硬直したまま黙りを決め込んでいた。

 すると、この状況を嫌ったジュノーが最初に声を出した。


「司書さんですか?私達禁忌書物庫に入りたいのですが…」

「………」

「無理を承知で申し上げます。希望なら貴方が付き添ってもらっても構いません。だから、穏便に済ませたいのです」

「………」

「もしもし、聞いてますか?」


 ずっと沈黙を貫いていた司書にジュノーはイライラを募らせていた。


「何とかならないですか?」

「………あ」


 俺が話しかけると司書は顔の向きを変えてじっと見つめてくる。

 吸い込まれそうな青色の瞳は幽霊のように儚げな彼女と相まって幻想的に見える。

 その視線に引き込まれた俺が指すら動かさず硬直していると、彼女は初めて口を開いた。


「何…求める…?禁書…山…の…ように…ある…アン…は…私…に…ここ…守ってと…言った」


 途切れ途切れの言葉ながら、意味は何とか伝わってくる。途中に出てきたアンとはおそらく伝説の魔女のことだろう。


「『アーク』っていう魔導書なんだけど…そこにあるって聞いたんです」

「『アーク』…?そんな…名前…ない…」

「ない?そんなはずは…まてよ…」


 俺は尋ねる前にジュノーの方へと向き目で合図を送ると、司書から少し離れた位置まで歩く。

 ジュノーの方も意図に気づいたのか直ぐにやってきて口を開く。


「ちょっとグレイ…私嫌な予感がするのだけど…」

「奇遇だな。俺もここまでの経験で考えてた。あの意味不明なタイトルを付ける魔女がアークなんて真っ当なタイトル付けるはずがない」


 十中八九、アークは通称もしくは略称の類いだ。

 その後、俺はジュノーといくらか言葉を交わすと、司書の所に戻って尋ねる。


「あの、アークという文字が入る本は有りません?」

「…山の…ように…ある」

「じゃあその中で、禁忌書物庫に入れられたのは?」

「一冊だけ…あった。でも…アークと…呼んだ人…見たことない」

「それに賭けるか…その本を借りたいんですけど…」


 司書は借りたいという言葉を聞くと、眉を顰めて露骨に嫌な顔をする。


「やだ……と…言いたいけど…アンから…貸していい人の…条件は聞いてる」

「それはどんな人?」


 司書は前屈みの姿勢で見上げるように俺の顔色を伺いながらゆっくりと喋り始める。


「まずは…魔物使いでないこと」

「魔女の奴ピンポイントで嫌ってるな」

「あと…弓を持ってる人」

「ラッキー俺持ってるよ」

「それから…錬金術師の…クラスを選んでいること」

「……それも?」

「それと…ストーリーボスを…倒したことのある人」

「これも…当てはまる」

「あ…あと…男性であること」

「付け足した感満載ですわね」


 ジュノーの言葉に少しむくれた表情になりつつも司書は続ける。


「最後に…これ重要…誰も殺せない人」

「つまり?」

「貴方がいい…はい…鍵あげる…」


 そう言って司書は金に色とりどりの宝石で装飾された鍵を放り投げる。

 俺がそれを手に取ると、『禁忌書物庫の鍵』を取得したことがメッセージで送られてきた。


「あ、ありがとう…」

「じゃ…頑張って…」


 司書はやることを済ませたからか再び手に持った本を棚に戻し始める。

 このエリアは意外にも戦闘は起きずにクリアすることが出来た。


「拍子抜けでしたわね…もう私の子は戻しますわ」

「あぁ、頼む」


 ジュノーが右手を上げて指を鳴らすと、彼女の背後に突如現れた紫色の亀裂が生まれる。

 直ぐに亀裂は引き裂かれて穴が出来ると、掃除機に吸われるように百鬼夜行の使い魔達が戻っていった。

 やがて、穴は塞がれジュノーが羽織っていた紫色の羽衣は消えていく。


 一連の光景を見終えた司書は暗闇が続く通路の先を指差した。


「禁忌書物庫は…この通路を…真っ直ぐ」

「ありがとう。さぁ、次に行こうか」


 俺がジュノーにそう持ちかけると、何故か彼女の反応は悪く、近くに山積みされた本の上に腰を下ろした。


「先に行ってて下さい。私、持病の男性アレルギーが出たのでちょっと休んでます」


 突然そんな事を言い出したジュノーに俺は呆れるほかなかった。

 彼女が男性を嫌っていることは前々から知っていたし、持病と言っている場合は統計的に見て「もういいからさっさと離れてくれ」の意訳である。

 昔からの仲でもあるので、そこに深く理由を聞くことなく俺は先に進むことにした。


「わかった…でも、鍵は俺が持ってるから一緒に来なくて入れないことになっても知らないぞ?」

「え?ちゃんと扉開けといて下さいね?そこまで猿のような脳味噌してないですわよね?」

「…もういい。知らん」


 冗談に対して罵倒されると気が滅入る。

 それ以上話すことなく、俺は先のエリアに向かうためにその場を去った。


 ◇◇◇◇


 グレイが立ち去ってから数分後。

 ジュノーは未だに本を戻している司書へと声をかけた。


「ちょっと貴方、先程は何故あのような条件でしたの!?」


 司書は答えず手を動かし続けている。

 それでもジュノーは質問を続けた。


「鍵を渡す条件。あれ全て即興ですわね?あの時の貴方は先にあの子のデータを読んで、さもグレイが条件に合うようにしていた」


 司書は手に持っていた本を一通り仕舞い終えたことを確認すると、新たに床に置かれた本を持ち上げる。

 全く取り合う雰囲気のない彼女に対して、ついにジュノーの堪忍袋の尾が切れた。

 咄嗟に司書の腕を掴むと、自らの顔の方へと引き寄せる。


「答えなさい!貴方…何者ですの?」

「…離して」

「直ぐに答えなさい。さもなくば…」


 一瞬にして司書の周りを数多の使い魔達が囲い込む。


「残念ながら戻したのは一部の子だけ。合図一つで貴方を噛み殺せますわよ?」

「…脅し?」

「そう捉えてもらって結構。この世界は普通に考えては生きれませんから…たかがNPCの一つ二つ消しても支障はありませんわよ」

「…そんなに…グレイ…心配…?」

「あの子個人は永遠に微妙ですわ。むしろこれ以上歳取られると価値が下がります」


 ならば貴方は何故そこまで気にかけるの?

 ジュノーには司書がそう考えているように見えていた。


「私、このデスゲームが出来レースでないか疑っていますの」

「出来…レース?」

「えぇ出来レース。接待している貴方達とそれを知らないアホの子グレイ。この二つに巻き込まれた不憫な私達。貴方達の遊びで大勢の女性と子供達が死んでいく」


 ようやく、司書にも彼女が何を言いたいのか理解し、その理由を答えた。


「それは…違う…そう…見えるのは…彼が…ユノ…に…を持たれた…から…」

?たったそれだけであの子はこれから先も死なずに進むんですか?それは贔屓です!デスゲームにしたのは貴方達なのに!これから死ぬプレイヤーはグレイの為に死ぬことになりますわよ!?」


 贔屓だと言い張るジュノーに対し、司書は顔を俯かせていた。


「言い過ぎたつもりはありません。βテスターとやらも聞いています。それでも私達は‥」


 司書は言い返さずじっとこらえるように黙っていた。

 そんな彼女にジュノーはますます苛立ちを募らせる。


「まさか、今までのβテストも一人は接待されていたとか言いませんわよね?で」


 その瞬間、ジュノーは目の前の司書からのけぞる程に強烈な殺気を感じ取る。

 何か得体の知れない恐怖に怖れたジュノーは、一歩引いて周りの使い魔達に指示を出そうとする。

 対して,司書は瞬きすらする暇も与えずにジュノーの元へ距離を詰めると、勢い良く顔を上げ気迫の籠った両目で彼女を見据えて声を荒げる。


「そんなわけ…そんなわけない!貴方は…ユノに…あの悪魔に一度でも興味を持たれることがどんな意味を持つのか分かってない!」


 先程までの拙い途切れ途切れの言葉使いはどこへ行ったのやら。

 ジュノーは彼女が鍵を渡すために用意された台詞を言うNPCなどには到底見えくなる。


「あいつがユノに興味を持たれたから‥私は‥私達は‥殺されたんだ!」


 全身を震わせ歯ぎしりしながら悔しそうに言う思春期の女性にしか見えなかった。

 司書はハッとして自分の口を押えると、ジュノーに向かって気まずい表情のまま告げる。


「‥アークは彼みたいな人のための魔法。もし失くせば彼…もうすぐ?」


 死に方まで決めつけた謎の司書は更に姿と存在感を薄くして、蜃気楼のように消えてしまった。

 後に残されたジュノーは、ただひたすらに司書の言葉を反芻するだけである。


「自殺…あの子が自殺?伝説の魔女とやらは一体アークに何を遺しましたの?」


 深まる疑問に答えは出ない。情報が足らなすぎるのだ。

 ジュノーが顔を上げると目の前は暗闇の続く一本道。

 先に行ったグレイと本当に合流出来るかも分からないが、とにかく自分も進まなければならない。


「もし贔屓だったなら…そう思っていましたが、あの子の予言めいた言葉の裏は気になります…それに…」


 暗闇が少しずつ晴れていく中でジュノーは、針の穴程の小さいが決意を固める。


「もし私が貴方の接待を邪魔したら…少しは悔しがってくれるのかしら?」



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