第3話 燃ゆるプレリュード (下)
シオンとグレイ、2人が寝静まった後…
マナロはすやすやと眠るシオンの隣で音を立てずゆっくりと起き上がる。横目で眠る親友を一瞥すると、忍び足でテントから外へと出る。夜空は星々が煌き、地上は木々の間をすり抜けた月明かりで僅かに照らされている。
マナロは真っ直ぐに彼が眠るテントへと向かうと中の様子を窺う。そこには、ぐっすりと眠りについているグレイの姿があった。例え今から枕元まで行ったとしても彼が起きることはないだろう。それほどよく寝ているように見えていた。マナロは、自身の右手に目線を落とす。彼女に与えられたのは射手座、つまりはモンスターとしての絶対的能力である。
「射手座の力…」
小さく呟いた彼女は空を切るように指で払って自身のステータス画面を開く。そこには自身の名前やクラスと並びスキル欄にしっかりと射手座の文字が書かれている。ユノのメッセージ通りなら、今ここで射手座の力を行使するのも可能なはずだ。一瞬でも使えば寝ているグレイを簡単に殺せるだろう。
「起動コードを言えば…それで…このまま…」
しかし、いざ手を出そうとしても言葉は出てこない。自然と呼吸は荒くなり、力なく垂らしていた腕は震え始める。やがて、頬を何か温かいものが通過したかと思うと、急に視界は滲んでぼやけ始める。
「何で…何でなの…どうして…」
テントから逃げるように離れた彼女は、グレイを殺そうとした自分への嫌悪と、手を出さない自分への疑問の中で葛藤していた。グレイの死が自身の復活に必要なのは理解している。
しかし、そうした所で射手座がどうなるかは分からない。グレイが引き継ぐのか、はたまた別の人物が引き継いでグレイはただ死ぬだけなのか。後者であれば、例え生き返ってもシオンに合わせる顔がない。
「うぅ……ひっく…」
彼女はひたすらに泣いて嗚咽を漏らしていることしかできない。お香の効果もあり焚き火にモンスター避けの効果はない。それでも寒暖という概念はあるため、寝ている2人が寒いと感じないように、焚き火を焚いた彼女は、ただ呆然と燃えるだけの炎を眺めていた。
「このまま行けば…向こうについてしまう…そうしたらもう…」
首都ガブリエラに着いたら、シナリオクエストを受ける予定であった。そうなれば今以上の団体行動は免れない。次の機会はしばらく来ないだろう。今なら寝坊したことにしてお香の効果切れによるモンスターの仕業に見せかけることができる。
でもそれは…親友が目の前で兄を失わせるのと同義だ。脳裏にはシオンを連れて行くことにした自分の行動が思い起こされる。普通に考えるなら、殺さなければならない相手の一番身近な人間を連れていくのは矛盾に当たる行為である。
それでもあの時…彼女を引き留めたのは……。
「私がシオンを連れて行こうとしたのは…やりたくないから?」
恐ろしいことに手を染める自分が怖くて、それに待ったをかける誰かが欲しくて、親友をストッパーに使った。現に今は、手を出すかで悩んでいる。
まるで都合のいい存在。
そんな道具みたいな扱いをしている自分が尚更許せない。自己嫌悪を続ける彼女は延々とこれを繰り返すことだろう。そこへ、転機が訪れた。彼女が座る倒木の向かい、近くの木陰がいきなり揺れ動いた。
「…っ!」
マナロは咄嗟に涙を引っ込めて音のする方に弓を構える。ここに来るしたら…プレイヤー可能性が非常に高い。
過去ヴァルキュリアのメンバー達と南から中央へ渡った時も夜に中央を目指すプレイヤーが焚き火の明かりに釣られて来たことがあった。その時は何人か起きていたので怖くても安心していた。だが、今起きているのは自分一人である。
「誰…ですか?」
草陰からの返事はない。マナロはこの時点で相手をPKと想定し警戒を強めて弓の弦を強く引く。
「こっちは一人じゃありません。出てこないなら仲間を呼びますよ」
その仲間は眠っているが数秒あれば起こすことは可能だ。テントは破壊されるかもしれないが襲撃してきても対応は出来る。
やがて、警告が効いたのか草むらから赤いハットに赤いコートと赤づくしな男が両手を上げて歩いてくる。
「落ち着いて緑の髪が綺麗なお嬢さん。私はPKじゃあないよ」
「なら、何ですぐに出てこなかったんですか?」
「…この見た目で信用されると?」
男の言うように、頭の上から爪先まで赤づくしの格好は気味が悪い。更に、少しだけ露出している手足には包帯がぐるぐる巻きにされており、顔は深く被ったハット帽でよく見えない。
「いやはや、趣味でこんな格好をしているのだが…この世界じゃ受け入れてもらえそうになくてね」
「なら名前を教えて下さい。情報がないと話も出来ません」
マナロが狙いを定めると、男はゆっくりと手を上に挙げて敵意がないことをアピールしてくる。
「落ち着いて落ち着いて。私はねこれでも御年40を迎える身で…」
「名前を聞いてるんです」
「最近の子は気が強いなぁ。名前は…ほらロイヴァスだ。さ、確認してくれたまえ」
マナロは彼が名前を言ってステータス画面を見せると、じっくりと見つめ嘘を言ってないことを確認して弓を下に降ろす。ロイヴァスと名乗る男はそのままゆっくりと焚き火の前に座る。手を上げっぱなしの彼は丁寧な物言いで頼み込む。
「できれば…手を下ろさせてもらっても?」
「………どうぞ」
「ありがたい。ここは寒暖の概念がしっかり存在する世界だ。暖を取れるのはありがたくてね」
ロイヴァスは両手を焚き火に当てると抜けた声を出す。
「…はぁ……あぁ暖かい……」
「………」
その後の二人の間には沈黙が続いていた。無理もない。マナロは彼のことを知らず何を話すべきかも分からなかった。小枝で火を突くと巻き上がる火の粉を眺め、彼に話しかけることはなかった。しばらくすると、ロイヴァスがグレイの寝ているテントを見ながら口を開く。
「質問なのだけれど…そのテントにいるのは仲間かい?」
「そ、そうですが…」
唐突な問いにしどろもどろながらも答えると、男はマナロに感心していた。
「へぇ…一人でお香焚きの番をしているのかい…健気で尽くす子だね」
「別にそういうわけでは…」
「いやいや、彼も喜んでいるだろうよ。こんな可愛らしいお嬢さんに尽くしてもらえるなんて」
何故だか話している調子が狂う。マナロにとってロイヴァスはそんな違和感のある男だった。そんな彼女を微笑ましそうに見ていたロイヴァスは背中に背負っていた棺のような物体を前に置く。咄嗟に弓を構えたマナロにロイヴァスは笑いながら説明し始める。
「あぁ安心してくれ。これはアコーディオンだ」
「アコーディオン?」
「さっき音楽家といっただろう?」
ケースと言い張る棺から彼が取り出したのは、ピアノの鍵盤が端っこに付いた箱が山折り谷折りされた皮で繋がれていた。
「なんか…電車の繋ぎ部分みたいので箱が繋がれてる」
「あはは!確かに似てるね。車両移動する時の間はこんな形の壁だ。これは蛇腹楽器と言ってね…こう押し込んだりしながら弾くと」
彼が鍵盤を指で弾きはじめる。やがて、指をしなやかに動かすと、鮮やかな音色が響き渡る。騒音にならない静かな音色。寝ている2人が起きることはないとマナロが言いきれるほどに、その音色は優しく心地よいものだった。思わずマナロは感想を口に出す。
「綺麗…」
「私は音が好きでね。色んな音を鳴らしては様々な人に聞かせてるんだよ」
彼が弾く曲をマナロは知らなかったが、聞いていると自然に身体を何ともいえない幸福感が包み込む。
「これ何て曲なんですか…?」
「…考えてないな。今作ったものだし」
「えっ今…即興ってこと?」
「そうなるね…名前を付けるなら…燃ゆる前奏曲?」
「適当過ぎません?」
燃ゆるなんて、今目の前で焚き火があるから着けただけだろう。
「先程も言ったけど私は御年40を迎える男だ。記憶力には自信がない。明日には忘れているさ」
「自信がないことを自信満々に言わないで下さい」
「初対面の私に助言してくれるなんてやっぱり君は尽くす子だね…君の悩みはそれ故かい?」
いきなりの質問にマナロは鳩が豆鉄砲をくらったようになってしまう。
「疑問かいお嬢さん?仕事柄か観察眼に自信があるんだ」
「でしたら…構わないで欲しいことまでは分からないんですか?」
「そうかい?私には助言を求めているように見えたよ」
「気のせいですよ…」
調子が狂う感覚はあったが、この男は少しでも気を許すと懐の深い所まで入り込んでくる不気味さも持ち合わせている。
「助言しよう。まずは全部忘れて暮らしなさい。そして1ヶ月たったらその時の気分で決めればいい」
「…は?」
マナロは彼から大いに悩めとか事細かに事情を掘り下げてくるであろうと身構えていた。対して、彼が言ったのはその真逆である。
「悩むものはどうせ納得できる答えなんて出ないよ。時間の無駄。愚の骨頂。解決するには直感が適しているが、そうするために一度全てをリセットしなさい」
「でも…それが重要で時間がなくて…」
「人間本当に時間がない時は悩まないよ。悩む時間すら無いからね。悩めるのは時間があってどれも自分に損失があるからだ」
自分が死ぬ損失、親友の兄が死ぬ損失、周りを永遠に閉じ込める損失、どれも受け入れ難い未来である。
「損失の大きさなんて頭の中じゃ計れない。だから、最後は直感が肝を握る。それなら、好きに生きたって神は赦してくれる」
そう言って彼は曲を弾き終える。マナロの中では彼の言い分全てに納得は出来なくとも一部は受け入れられた。確かに今すぐバレることはありえない。それに今後の方がもしもの選択を迫られた時に動きやすくなるかもしれない。わざわざ親友の目の前でやる必要はない。そうだ…1ヶ月くらい楽しんだって誰も損しない。
「えぇ…そうですね。今は…悩むのを控えてみます」
「良かった良かった。ならもうこの曲は必要ないね」
そうしてロイヴァスは鍵盤を弾くのを止める。演奏を終えた彼に対して無意識にマナロは拍手を送っていた。ロイヴァスは立ち上がり一礼するとアコーディオンをケースに仕舞う。
「では、そろそろお暇するよ」
「あ、はい…その…素晴らしい演奏でした」
「ありがとう。芸術家冥利に尽きる言葉だ」
彼が森の中へ消えるのを見たマナロは、とりあえず次のレイドまでなるべく考えないように決めた。そして、モンスター避けのお香を焚き直すと、自身も朝まで仮眠を取り始める。
ロイヴァスがマナロ達のテントから離れて約10分。森を鼻歌混じりに駆ける彼は暗闇から抑揚のない機械的な声に呼び止められる。
「貴方…何がそんなに楽しいんですか?」
「おや…この声は…確かユノさん」
ロイヴァスは脚を止めて暗闇の主に対して返事する。
「名を呼ぶ必要はありません。質問に答えなさい」
この管理者には人間と話す時の常識は通用しない。その事を再認識させられたロイヴァスは肩を竦めて質問に答える。
「楽しいって…それはそうですよ。悩める若者に嘘の助言。ああいう子は間違った事を言っても信じてしまう。純情な所がありますから」
その答えにユノは憤る声も悲しむ声も出さず、一切変わらない声質で質問する。
「なら先程のくだりは全て嘘と?」
「聞いていたんですか?仕方ないでしょ。私、殺人で悩んだことは一度もありませんし」
そう言い切る男にこれ以上何も聞く意味はないと判断したユノは、最後に男へ確認をとる。
「…なら構いません。次は何をするかわかっていますね?」
「勿論。ガブリエラでのシナリオクエストですよね?」
ユノからの返事はなく暗闇からは沈黙のみが返ってくる。がっかりしたロイヴァスは地図を見て、ガブリエラに向かい再び鼻歌混じりに駆け出す。
「~(グレイ…会うのを楽しみにしていますよ)~♪」
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クランホームでの話が終わるとグレイは用意された部屋で寝るために2人の前から去っていった。アオイは話の中で気になるところがあり、妹であるルリルリに尋ねる。
「そういえばルリ、貴女さっきグレイ君が言ってた殺人鬼って知ってる?」
「…知らない」
「私、聞いたような…何だったかな…」
「ロイ…何だったかしら…えーと…」
アオイは現実での記憶を思い出そうとするが、海外の事件であり、報道も一度だったので記憶がほとんどない。もう少しのところまで出かかっていたのだが、思い起こせない。すると、背後から不意に答えが飛んでくる。
「ロイヴァス。ロイヴァス・ミラー」
「そう、それ!…ってあら?ノイじゃないどうしたの?」
アオイが後ろを見ると、声の主であるノイが立っていた。しかし、その表情はあまり思わしくない。元気が取り柄のような彼女からは普段の明るさが一切見えない。
「どうしたの?ノイ?」
「…別に…じゃあ寝るから…」
ノイはアオイの問いに答えることなく、自身の部屋に戻っていった。アオイ達は彼女にも何か事情があると感づくも元の話からして打ち明けにくいことであるのは明白であった。なので、言及するのは避けることに決め2人も部屋に戻っていった。
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