第19話 方舟の鯨座 part【5】

 ≪エリア範囲外 絶海の孤島ケートゥス≫-魔獣女帝神殿内 


 様々な思惑が交差した夜は明けて約束の朝を迎える。準備を整えた戦士達は、神殿中心部のエンヴィアが居る場所に集う。玉座から見下ろす審判は、彼等に最後の確認を行う。


「準備は良い?」


 俺がヒューガの方を向くと、彼はただ静かに頷いた。それが、彼なりの了解だと知っているからこそ、何も言わずにエンヴィアに二人の意思として答えた。


「勿論」


 彼女はその返事を皮切りにスタート地点までの転移を開始する。


「んじゃ、行きましょうか」


 彼女は脚を組み左手を突き出す。手の先からは幾重にも重なる魔法陣が現れ、リンクするように俺達の足下にも同様の物が広がる。


「魔法補助起動——模倣魔法指定、座標固定、目標固定、貯蓄源からの供給安定、補助を解除——創生魔法『テレポート・マルチプル』」


 視界は一瞬で暗転する。気がつけば、耳に入るのは爽やかな小鳥の囀りを獰猛なドラゴンの咆哮が上書きする不自然な森の中。おまけに足先は地面を踏んでいる感触が無い。見えるのは分割された自分が鏡に映されているような緑色の景色。首を傾けると映る自分達も首を動かす。


「どうなってんだ‥」


 不可解な現象に頭を悩ませていると、答えの主が動き出す。まず、目の前の分割された自分を映す鏡は徐々に離れていき、緑色の複眼であることが判明する。次に、浮いている感覚は木の上に居たのではなく、どうやって差し込まれたのか不明だが、グラ・マンティスの鎌鋏の先端が背中の鎧と身体の隙間にピッタリと嵌っていた。


「いや‥これもう奇跡でしょ」


 混乱も驚嘆もなく、率直な感想が口からは出ていた。昨夜、ルールの抜け道を探そうとして、ロイヴァスと共にエンヴィアを質問責めにした際、彼女から島内のモンスターは全て自身の使い魔なので、プレイヤーを自分から襲うことは無いと聞いていた。故に、恐怖は抱かない。鋏を両手で持ち、嵌っていた部分から引き抜いて着地する。グラ・マンティスは片腕の違和感が取れたことで満足したのか目もくれずに去っていった。


「偶然って凄い‥よりによってグラ・マンティスか」


 得体の知れぬ郷愁感に浸りつつ、メニュー画面から自身の現在地を把握する。見たところ、今居るのはくじら座南部の森林地帯。どうやら、最初に転移した所に近い場所のようである。


「ミラ川の近くだ。ラム‥ロイヴァスの言う通りになってる。通信‥は、やっぱ阻害されるか」


 チーム内での連絡を円滑に進めるために利用する予定だったのが、フレンド内通話機能である。これを使えば遠距離でも通話可能で連携を取れると踏んでいたが、前日にエンヴィアへ質問した時点で駄目なのは知っていた。一応の確認で試した俺は、予め決めた作戦に沿って神殿へと向かう。

 この対決の為に、時間の限り策は練った。争奪戦でも取り合いをするつもりは無い。最後に物を持って神殿に入れば良い。


「プランB‥姑息な解決策。神殿に陣取り持ってきた彼らを迎え撃ち強奪する」


 前日、お宝の隠し場所に悩んだ俺達は、探すのを諦めて、相手から奪い取ることに切り替えた。無論、向こうが同じ手段を取ることも有り得はした。だが、ヒューガに限ってそんな後ろ向きなやり方はしない。彼の勝負好きに賭けた策である。音の爆撃で分断する役でロイヴァス。主にユウを足止めするのに狙撃役でマナロ。お宝の強奪にシオン。


「俺は主力の足止めで、運び屋を変えさせる。最初に宝を運ぶのはどうせヒューガ」


 決して、勝てる相手では無い。だが、今回は勝つ必要が無い。求められるのは、引き付けられる丁度いい火力と、圧倒的な力への対抗策。現状、両方賄えるのは引き出しの多い俺しか居なかった。


 とはいえ、一番危険で一番勝利に直結する役割である。作戦の欠点は、不確定要素であるロイヴァスの動向。この作戦中は、一切監視出来なくなる。何か良からぬ事を考えていれば止める必要がある。


(放置は危険だが、今は大人しくしてるだろう。そもそもエンヴィアを殺す動機も分からない)


 勝手に人質まで取って共犯にしようとすれば、勝手に諦めて先送りにする。狙いはあるのが分かっているのに、何かは読めない事で胸の内にモヤモヤとした霧が広がる。また、戦いが始まったことで彼について悩む時間も惜しくなる。

 結局、俺は答えは出せないまま、直近の目的であるヒューガ迎撃地点へ移動を始める。


 ◇◇◇◇


 ≪エリア範囲外 絶海の孤島ケートゥス≫-北部 カイトス森林帯


 雑木林のエリアには龍種や獅子種等の動物系モンスターより甲殻種や蜘蛛種等の昆虫系モンスターが多く生息していた。空からじりじりと照りつける日差しは日本の夏を思わせる

 音楽家ロイヴァスが膝丈まで伸びた雑草を掻き分けて進んでいると、少し離れた距離から聞き覚えのある少女の声が聞こえて来る。


「あ、ロイヴァスさん!こっちです」


 声の主であるマナロの下へロイヴァスが到着する。マナロは、普段の軽装から一転し、隠密用の迷彩ローブを見に纏っている。頭巾で頭まで隠した彼女は近づかなければ見分けがつかない。


「やぁ、こんな近くとは奇遇だね」

「昨日、夜遅くまでロイヴァスさんと話してたからですかね?縁がありますね」


 頭巾越しで笑いかけるマナロに、相槌を打ったロイヴァスはその際の議題を口にする。


「そうだった。君の悩みについてこれでもかと議論したね。個人と世界のどちらを選ぶかなんて議題は珍しくてつい、張り切ってしまった」


 そうして、彼は昨夜の出来事について記憶を辿る。


 ◇◇◇◇


 ≪エリア範囲外 絶海の孤島ケートゥス≫-魔獣女帝神殿 談話室


 彼等は作戦会議が終わった後、寝ずに二人でお喋りに興じていた。話の内容は他愛無い事から発展し、最初の出会い話を超えて、マナロの悩みの元について進んでいた。彼女としては、全て話せばユノの警告通りになると思い、詳しい内容は話さずにグレイか自分が死なないといけない事だけ強調して伝えていた。


「この頃、一人になると考えるんです‥私の命はグレイさんの命と等価値になるか。私達は皆に与える影響が違う気がして‥」


 マナロは沈んだ声で悩みを打ち明けた。射手座が居なくなればストーリーは進む。つまり、自分以外の人はクリアへ一歩近づく。反対に、グレイを何とかして殺す。そうなると、射手座の行方が分からない。最悪のパターンはグレイが死に射手座が残るもしくは別の人間に移ること。

 最初に中央エリアで彼にあったから数ヶ月。一緒に色々な経験をしたが、月日が増すごとに彼の居なくなった世界が恐ろしくなる。


「私が死んだ所で泣かれても皆は前へ進む。あの人だと泣かれて止まる‥やっぱり‥‥私は死んだ方がっ!」


 マナロは自責の念から頬を爪で引っ掻き始める。頬に爪は食い込み、膝は震える。溜め込んでいた思いが爆発し、醜い声に変換される瞬間、儚い少女の顔は太く逞しい両腕によって持ち上げられ、精神崩壊による金切り声は未然に阻止される。


「ハイ、ストップ。よく聞いて『私は必要とされている』『彼は自分で何とかする』。復唱」


 音楽家が始めたのは彼らしい弦の緩んだ楽器の調律。間違った巻き方だと不都合な音が出てしまう少女を正しい音が出るように調節する。


「『私は必要とされている』『彼は自分で何とかする』‥そう、グレイさんは気づいたら助けてくれる。最後は皆、笑える未来を作れる‥」


 古い録音機のように正確な復唱をしたマナロは、心の奥底で思っていた彼への期待を言葉にする。ロイヴァスは、ゆったりとリズムの深呼吸をさせて彼女を落ち着かせる。息が整った所で弦を正しい位置まで巻き始める。


「そうさ。彼は君の願いを全て叶える機械だ。悲願は成就される。勝ち目が無くても英雄な彼は奇跡の成功を収める。そして、『君より大事な人は居ない』」


 都合の良い解釈も拠り所の無い少女には、救いの言葉になる。ここ最近のグレイがうみへび座で庇ったことを引目に構うようになったことも、彼女にとっては『好意』と解釈させる。


「『私より大事な人は居ない』。今日は必ず勝つ。それが証明‥」


 私と言い換えたマナロの瞳は深淵に潜む闇そのもの。妄想が生み出した幻に囚われる彼女に最後の調律を行う。


「そうだよ。君は悩まなくて今を自由に生きるんだ。難題は彼が自分で気づき、解決する。それぐらい出来なきゃ君は救われない。最後の最後まで悩まなくていいんだ。だって、それは彼の役目だろう?」


 噛み合わない音のズレは修正されていく。調律し終えた楽器のように彼女の瞳からは普段の光が灯る。


「———あは、そうでした!今は楽しくがモットーでした。急ぎましょう、ロイヴァスさん!」


 元気な返事をした無邪気な少女は森を抜け出て広い草原を駆け抜ける。ゆっくりと後を追う殺人鬼は、赤いコートのポケットに手を入れて現実の見えなくなった少女を酷く哀れんだ。


「壊れかけた人間程、唆られるものはない。倫理が破綻し、未来を見失えば、常人からはあり得ない音が出る」


 かつて、現実で有りとあらゆる方法で多くの人間を殺害し、その悲鳴を集めることを趣味にした男は、副産物として発狂の見極めと制御が可能になっていた。

 職業音楽家、副業殺人鬼の彼は、逮捕されるまで10年以上に渡って人の死を見てきた。


「だが、本当に壊れないよう修理は定期的にする。楽器だって緩んだ弦は誰かが巻き直さなければいけないからね」

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