第18話 方舟の鯨座 part【4】
≪エリア範囲外 絶海の孤島ケートゥス≫-魔獣女帝神殿内 会議ルーム②
≪サイド:ヒューガ≫
白磁色の石柱が四隅を支え、足で踏むのは艶やかな大理石の床。与えられた小部屋には、幼い子供が手を伸ばせばギリギリ届く高さの本棚が置かれ、星について書かれた本達が詰め込まれていた。中央に置かれた木製机の上には、くじら座の全体図を記したマップが広げられている。月下は腰を曲げて前屈みにマップを覗き込み、乱れた前髪をかき分ける。
ここ暫く、歩きっぱなしのヒューガに付き添ったせいでまともにシャワーも浴びていない。データ世界でも精神的ストレスが蓄積したせいか、髪に手櫛を通すと、途中で偶然指が引っ掛かる。その感触は彼女に嫌な溜め息を吐かせていた。
「ねぇ、ヒューガ?」
母が子供を慈しむような優しい声色で月下はヒューガに問いかける。
馬男のポーラスは一人本を棚から出して読み耽っており、小柄魔族のユウは椅子に座ると地図が見えないのでテーブルの上に乗り四つん這いで覗き込んでいた。そして、月下の話しかけたヒューガは部屋に入るなり、椅子に座って目を閉じていびきをかいている。
「私、真面目に話がしたいのだけれど‥起きてくれないかしら?」
「ぐぅ‥‥すぅ‥‥」
月下にとって今回の争奪戦は願ってもないチャンスであった。彼女は今後の強敵に備えて強力な武器を探していた。
(『女神の宝石箱』‥間違いない。レイドで見かけたチート武器のことだ‥そして、今の私に一番必要な物!)
絶対に負けられない。全身の気迫を覇気に変えて今まで秘めていた情熱をこれ以上ない程に滾らせていた。なのに、自身のチームメンバーは今一つやる気がない。そのことが、彼女に不満を募らせていた。
「起きなさい!」
「っ!‥‥いったい何ですか‥びっくりしましたよ‥」
月下の怒声にヒューガは身体をピクりと震わせて目を覚ます。ポーラスとユウもいきなりの大声に驚いたのか顔を向けている。
「貴方はやる気があるの?ずっと寝てるじゃない」
「ありますよ。ただ今は出しても無意味で‥」
ヒューガは、部屋が寒いのかアイテムボックスから紫陽花が描かれた羽織りを取り出すと肩の上にかけるように着て腕を枕に机に突っ伏す。
「無意味ってどういうことよ。向こうだって作戦は考えてくる。このまま行ったら普通に負けるじゃない‥」
月下は声に焦りが出ていた。それもそのはず。相手は全てのストーリークエスト攻略に関わったグレイと蟹座でMVPを取ったシオン。手の内は避けていてまともにやっても勝ち目はない。
ヒューガは彼女の言葉を最後まで聞くと、伏せた状態から頭だけ上に向ける。
「——そもそも宝の場所に心当たりがあるんですか?」
「そりゃ‥ないけど‥」
「でしょうね‥僕も分かりません」
そう言って、ヒューガはテーブルに突っ伏して再び眠りにつこうとする。慌てて月下は彼の肩の上に手を置いた。
「だ、ダメだって。手を抜いたら島に取り残されるのよ?それに、あの報酬‥その‥」
報酬が欲しいから手伝って、などの願望は助けてもらった恩義がある身としては言い出しづらかった。結果として、途中で口籠る彼女は人差し指を突き合わせて目を逸らす。今度のヒューガは身体を起こし、視線を月下の方へと向ける。
「ああ、そういうことですか。条件付きで協力しますよ」
しどろもどろな彼女にヒューガは全て察したのか求めていた答えを提示する。ただし、無料ではない。
「え、ホント?でも‥条件って?」
乗り気でない彼が掌を返す程の条件とは一体何か。えも知れぬ恐怖が彼女を包み込む。ヒューガは怯えそうな彼女へ向けて笑顔を作り、それに釣られた月下がホッと一息吐いた所で中身を告げた。
「今後、死ぬまで僕に関わらないこと」
「え‥‥」
壊れた時計のように動かなくなる月下。だが、反射的に表情だけは変わっていた。それは、まるで雨の中わざわざ飼い主に捨てられた子犬のようである。
「最初から同行を許可した覚えはない。この状況で君に協力する義務はない。それでも、と言うなら‥‥」
存在自体を否定し、心を抉るような言い方は、無意識に彼女を後ずらせる。
「価値を下さい。考えるのすら無意味な今を根本から覆す価値を」
念を押すように連呼される価値について、月下は恐る恐る確認する。
「それが‥関係途絶?私ってそんなに邪魔?」
「えぇ。貴女、鬱陶しいのでそろそろ家に帰ってくれません?元々呼んでませんよ?」
月下は生暖かい液体が頬を伝っていく感覚を感じていた。認めたくない現象に歯を食いしばるも視界は絵具が滲むように霞んでいく。
「沈黙は‥肯定とみなしますけど?」
「‥‥っ!」
意見を曲げない彼が怖くて恐ろしくてこの世の物に思えなくて、逃げ出すように部屋から飛び出していく。
「明日は勝っておきます。先程の約束、忘れないように」
背中にかけられた言葉は正に呪いである。口答えすればもう勝てないと確信した自分の卑怯さに腹が立つ。心のどこかで勝負に勝てると思った自分の臆病さに腹が立つ。彼を黙らせる力の無い自分の無力さに腹が立つ。濁流のように押し寄せる負の感情は、吐き出される事のないまま蓄積していく。神殿からも飛び出した彼女は満月と煌く星々が照らす夜の中に消えていった。
「いいんですか、ヒューガさん?」
しんと静まり返った部屋の中で口を開いたのは、机の上でマップを見ていたユウである。彼は、ヒューガの顔を覗き込み鼻先をつつき合う距離で尋ねた。
「野垂れ死のうが興味ない人ですよ‥それより、ポーラス。グレイ達が来る前に集めたルールを再確認します」
暫くの間、読書と称した沈黙を貫いていた男が、その一声で覚醒する。大柄な肉体は近づくと空間を狭く息苦しくさせる圧迫感を持っていた。それでも、ヒューガはたじろぐことなく話を続ける。
「今回の争奪戦とやら‥初期地点はランダム転移で、おまけに目的の宝箱はボックス収納不可です。天気は晴れ固定で開始まで後15時間‥ステータスを鑑みると、僕が運ぶのが理想的です」
「それは良いんですけど‥場所は分かるんですか?」
手を挙げて質問するユウに対し、ヒューガは顎でポーラスの方を指す。
「ポーラス、場所に見当は?」
たかがNPC。だが、このNPCを拾ったのは二日前のヒューガであり、争奪戦に巻き込まれたのは彼が理由になる。
頭が馬で身体が人の不可解な生物。彼のシナリオクエストを受けた途端にヒューガ達はここへ来た。故に、彼は魔獣女帝が持ち出した謎に対し答えを持つ。いや、持たざるを得ない。歯車の一つなら、最低限の役目は果たしてもらえなければ割に合わない。
「ここ‥ですね。島の西側‥神殿から約29キロ先のエリア。名称はルイテン荒野」
ポーラスが指差したのはマップの中でも小さな点のような地域。荒野と名付けられているが、何もないから荒野になってしまった憐れな土地。
「何でそこ?」
ユウの疑問にポーラスは普段と異なる饒舌ぶりを見せる。
「今回の謎は不変でない星を探すこと。星は空に浮かぶくじら座を指しています」
彼は手に持っていた星座図鑑を机の上で開く。開かれたページはくじら座の天体図である。ポーラスが指差すのは恒星一覧。ミラ、カイトスと言った恒星が並び、詳細な事が書かれる中で彼は小さく名前だけ記されたルイテンを指差していた。
「星が不変でないとは、色を変える星が存在するから。くじら座では二つ、ミラとルイテン。この方舟のくじら座に当てはまるとミラ川とルイテン荒野の二箇所のみ」
ポーラスは黙々と聞くヒューガ達に理解の確認など行わない。用意された台本を読むように喋り続ける。
「西のルイテン荒野と神殿の北側を流れるミラ川。ですが――――ことからミラ川は今回、候補から外れます」
15分以上言葉に詰まることなく淡々と喋り続けるポーラス。全て聞き終えたヒューガの第一声は、彼への感謝でもなく疑問でもない。
「運営でなくプレイヤー考案のクエストだとここが面倒だ。万人向けにしてこない。ユノの方がまだマシだ」
◇◇◇◇
獣の雄叫びより虫のさざめきが良く聞こえる丑三つ時。神殿の外で空に浮かぶ満月を眺めていたマナロの背後から声を掛ける人物が居た。
「お〜い。マナロちゃんマナロちゃん」
声の主に気付き、後ろを振り返るマナロ。
「エンヴィアさん?どうしたんです?」
「いやね、アンタがここに来る原因のアレについて話しとこうと思ってね‥」
マナロの脳裏に浮かんだのは死者蘇生の題名が記された魔導書である。マナロ達は、その本の力により、ここへ呼ばれたのであった。
「あれは貴女が?」
「そうなるね。死者蘇生の術式はアタシがあの子に頼んで作ってもらった英雄魔法。そして、こちらはその術を閉じ込めた魔導書になります」
通販番組のように手で視線を誘導する先。そこには、台座の上に藍色の魔導書が置かれていた。無意識に手を伸ばそうとするマナロの腕をエンヴィアは強く掴む。そして、先ほどと変わらない笑顔で聞いてくる。
「喉から手が出るほど欲しい?でも、アンタはあの子を殺せば助かるよ?この島に来た時だって不意打ち出来たでしょ?」
エンヴィアの言うように、グレイが昏倒していた時間の間にマナロが攻撃するチャンスは幾らでもあった。しかし、彼女が手を出すことはなかった。それは、レーネ沼を出た時から変わらない。ロイヴァスの助言を頼りに生を謳歌し、ギリギリまで死か殺かを悩まないことにしたからだ。だからこそ、彼女の誘惑でも迷いなく断れる。
「———無理です」
マナロはエンヴィアの掴む手を振り払う。それでも、彼女は顔色一つ変えずに聞き方を変えてくる。
「きっぱりだね。でも、アンタって死にたいの?生き返りたいの?行動がチグハグでよく分からないの」
今のマナロは決して復活しているわけではない。あくまで、チャンスが与えられているだけのロスタイム。本当に生き返りたいなら、いずれやる事をやらなければいけない。
しかし、今彼女が望むのは自身の死でもグレイの殺害でもない。
「両方が良い」
「強欲。主人公かよ。都合が良いことで」
エンヴィアは信じられない物を見るような視線を送る。対するマナロは何を言われても自分を曲げるつもりは毛頭無い。
「だって、今目の前には私の願い叶えられる現物がある」
「いつアタシが渡すなんて言った?自慢で見せびらかしてるだけかもよ?」
嘲笑するエンヴィアにマナロは怒りも焦りもない。
「勝ったらくれますよね?あ、それともエンヴィアさんに勝たなきゃダメかなぁ?う〜ん‥」
エンヴィアは、目の前の少女に違和感を感じていた。既に彼女が死んでいることは運営から知らされていた。ルール違反かもしれない死者蘇生の魔導書も使用許可は貰っていた。射手座にさせられた事も知っていた。
なのに、会ってみた当人は死に怯えているだけの弱い少女に見えない。普通は、無理にでも譲って欲しいと駄々をこねたり、殺人に手を染めたくないだのウジウジいう所だ。だが、どう見ても楽しんでいる。どう転んでも今は許容する気でいる。
(アンタ‥通知見たときは泣き叫んでたんじゃないの?ユノの話と結構違うんだけど‥)
彼女には、死者蘇生の餌に簡単に食いつく死への恐怖と、今を普通に楽しめる心の余裕が兼ね備えられている。
異常と言う他ない。精神が強いとか弱いの次元でなく、誰かに無理矢理作らされたような急造品の心の余裕。それが、幸運にも心の平衡を保っていた。
「アンタ‥やっぱ‥‥」
「どうしました?エンヴィアさん?」
少し前に聞いた言葉が復唱される。違和感に気づくと、彼女の所作一つ一つにまで興味が湧いてくる。
「マナロ‥いや射手座ちゃん。アンタ、とんでもないのに会っちゃったね」
「とんでもない?グレイさんですか?えぇ、それは勿論!それでは!」
元気良く返事をして神殿に戻るマナロにエンヴィアは苦笑いで見送る。魔導書を仕舞うと、何気無く満月を見上げていた。
「——何言えばあぁなるのか‥本当、男って怖いわ」
そして、夜は明け争奪戦開始の時刻となる。
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