第17話 方舟の鯨座 part【3】

 ≪エリア範囲外 絶海の孤島ケートゥス≫-魔獣女帝神殿前 ミラ川 


 鯨座の背を流れる清らかな川。底は浅く、不規則な流れを作る岩場の陰で小魚の群れが泳いでいる。横幅はおよそ車一台分。流れも緩やかで渡るのに足を取られることはない。

 向こう岸に見えるのは自然に逆行した近代建築であるエンヴィアの神殿。その川を前にして、一人のプレイヤーは脚を止めていた。理由は単純明快。対岸のプレイヤーを警戒していた。先程作った切り株に腰を下ろし、ゆったりとした姿勢で待ち構えていた。


 待っている青年に川岸で警戒されていた青年が声をかける。


「君、一人で僕を止められるの?」


 警戒していた青年は着物姿に刀を一振り。細身に見えそうだが、風で着物が揺らめくと、みっちり鍛え上げた筋肉が見え隠れする。

 黒髪を纏めて侍らしさを演出している青年は、対岸で座る灰色の髪をした青年の答えを待つ。


「止めるよ‥これはゲームだ。しかも、ジャンルはMMORPG。技能で敵わなくてもシステムで差を埋める」


 自信満々の表情をした俺は、使い慣れた弓を取り出して矢を番える。狙いは勿論、対岸で刀に手を掛けたプレイヤー。空の矢筒には目もくれず、自身のスキルで作り出した紫の矢は毒々しさと美しさを兼ね備え、一直線に敵を撃つ。


「いくぞヒューガ。勝ちたきゃ俺を突破しろ」

「君程度、スキル無しで丁度良い」


 ここは、絶海の孤島ケートゥス。又の名を方舟の鯨座。多種多様な生物が独自の生態系を築き上げ、それらを束ねる魔獣女帝テイマー・クイーンエンヴィアが君臨し、彼女に呼ばれた8人が『女神の宝石箱アプロディ・コレクション』を巡ってぶつかり合う。

 モンスターとは戦えず、帰るために目の前のプレイヤーと競い合う。意図的な殺意がなければ誰も死なないルールの中、MBOきっての戦闘狂と命を賭けた闘いの幕が上がる。


 さて、ここに至るまでには1日程時計の針を戻す必要がある。


 ◇◇◇◇


「グレイと、蟹座で見かけた妹ですか‥」


 心底嫌そうに俺を見ると、今度は興味深そうに妹を見つめる。そのまま、顎に手を当てると真剣に見比べていた。目を瞑り、考え込む彼の右隣には、うみへび座と蟹座戦が終わった後に中央エリアに戻る際、ヴァルキュリアから一旦離脱した高身長エルフ剣士。彼女の姿にシオンとマナロは歓喜の声を上げる。


「月下さん!」


 シオンの弾むような声は、彼女に余程会いたかったのだと俺に思わせる。マナロと2人で走り寄ると、飛び上がって喜んでいた。そんなシオン達に月下も思わず頬が緩む。


「マナにシオン!貴方達が相手ね。それと、その人は‥」


 月下の視線は、顔見知りではない深紅のコートと異形な包帯巻き男の方へと向けられる。包帯のせいで言葉選びを慎重に選ぶ彼女と違い、知っているヒューガの方は俺に向かって少しトーンを下げて問いかける。


「グレイ‥その男の姿‥正気ですか?」

「ノーコメントで」


 全てを話せないので、目を逸らして答えた。それだと納得のいかないヒューガは、俺とロイヴァスを交互に見比べる。その表情はシオンの時と同じだが、少し意味合いが異なる。シオンの時は戦闘能力で見比べていた。しかし、今の彼は、おそらく俺達の人間関係で興味を持っている。やがて、合点がいったのか掌を叩く。


「あぁ、2人は親友だったんですね。いつの間にそんな事に」


(何をどう捉えたらその結論になるんだよ!!)


 思わず心の中で大声で叫ぶ。ロイヴァスの方は、ヒューガの言葉に感銘を受けたのか力強い声で肯定した。


「そう!さっすがヒューガだ。昔から空気の読み取り方が絶妙に上手いな」


 感銘した勢いで握手までし始めるロイヴァスと褒められて少しドヤ顔のヒューガを見ていた俺は周りに聞こえないくらいの小さな声で呟いた。


「絶望的にヘタクソだよ‥大バカ共‥」


 げんなりした俺は、視線をヒューガと月下以外の2人に変える。1人はうみへび座戦前にルキフェルの所へ寄った時、ヒューガにくっ付いていた少年。名前はユウと聞いていた。当時、目立つ行動は無く、危うく忘れそうになっていたが、うみへび座のところまでグリフォンで行く時にエルミネが変わったことを言っていたのを思い出す。


(うみへび座戦前で緊張してたから、うろ覚えだけど、エルミネが危険かもと言ってたな‥)


 何週間も前であり、死闘を繰り広げる前の事でもあったので、記憶がいつも以上におぼろげになっていた。


(ステータスだけでも見ておくか‥)


 ヒューガ陣営の切り札として隠している可能性が大いに考えられたので、俺はユウのステータスを閲覧する。


 名前:ユウ

 アバター(種族):魔族

 クラス:格闘家

 レベル:5

 所持称号:麒麟座の加護(絶対防御と与ダメ0固定)


「麒麟座の加護って何?」

「何でも、PK以外の攻撃は受け付けないらしいですよ。代わりに誰にもダメージを与えられなくなるそうですが‥」

「それタンクとして最強じゃない!?」

「体格と敏捷性の低さが利点を全て打ち消しているので何とも‥うみへび座なんかに連れていっても消えない小石がその辺に転がっているのと変わりませんから」


 さて、その彼はというと、もじもじとしながらヒューガの影に身体を隠していた。背丈が170近くあるヒューガの半分程しか無い小人体型には幼さの印象を強く与える。脚にひっつかれているヒューガも彼が鬱陶しくなったのか蹴る勢いで脚を振って弾き飛ばす。見た目通りに身体は軽いのかユウは宙を舞って地面に頭から落ちていった。激突した時、骨が砕けるような鈍い音が聞こえ、うつ伏せになった少年は微動だにしない。


「なぁ、いくら無敵でも扱いが雑過ぎないか?」


 蹴った本人であるヒューガはともかく、常識人である筈の月下までもが、倒れ伏せるユウに駆け寄りもしない。まるで、いつもの光景、日常風景であるかの如く。現実の二人が知り合いだったことを知ったのはうみへび座の後のことだが、あの後、再会した二人が行動を共にしていたのは知っていた。しかし、その期間は、ほんの一週間程度の筈である。ユウと出会ってそれだけの時間で、こうも雑になるだろうか。


「一応聞くけど、あの子あのままでいいの?」


 俺はヒューガに対して、若干遠慮気味に尋ねた。


「この子供はミルと同類。歳の割には珍しい希少種です。自傷行為に目覚めてないのが救いですよ」


 ため息混じりに説明するヒューガを見ると、ユウはこの中でも人畜無害に見えて、一番厄介な可能性がある。かつて、エルミネが危険と感じていたのは、中央エリアでヒューガ達と揉めた際にユウの異常性の片鱗を見ていたからかもしれない。

 事実、蹴り飛ばされた本人はというと、赤らめた頬を両手で覆い、膝を曲げて地面を転がり回っている。その表情は、一目でわかる程、清々しさの中に愉悦を兼ね備えた口元の釣り上がっている笑みである。


「あのように、蹴られた事実が彼には幸福らしいです。一生分かり合えない人種ですよ」

「そう‥か‥なんか‥お互い大変だな‥」


 腫れ物というより疫病神を扱うような一線の引き方に、一歩先に踏み込む度胸はなかった。俺の視線は、最後の一人へと自然に移る。


「最後の1人は‥馬男?」


 獣人という種族がいる。彼等はゲーム的な見た目のことを考えて身体の一部が獣化していたが、目の前でヒューガ達と共に行動していた馬男は、文字通り馬の頭と若人の身体で構成されていた。それも、被り物なんてちゃちな出来ではない。首の部分で馬の人の肌が一体化していた。すらりとした人間の身体を守る防具は胸元の露出度が高い仕様で、肩や膝にしか鉄防具は備え付けていられなかった。


「その人は?獣人なの?」


 馬の頭を指差しながら、ヒューガに尋ねる。すると、彼は何故そんな事を聞くのか分からないとでも言いたげな表情をしていた。首を傾げる彼に代わり、馬男本人が馬の口を開き、予想外な渋い声で疑問に答える。


「自分、ケンタウロス族のポーラス‥といいます」


 ケンタウロスとは人の上半身と馬の身体が合体した四足歩行の生物だったと記憶している。だが、自称ケンタウロスは立派な二本の足のみで立っていた。


「——ケンタウロスって上が人間、下が馬ですよね?この場合‥逆では?」


 物語に出てくる姿とは真逆の姿をした彼に対し、疑惑の視線を足元に送っていると、腕を組んだ彼は仁王立ちで答える。


「自分、逆子なんで」

「いや、逆子ってそういう意味じゃ無いと思う」

「人の容姿にケチ付けるなんて君らしくないですね?心臓が反対側にある人がこの世にはいるんです。馬の頭くらいどうってことないでしょう?」 


(それと一緒にしていいのか‥これ?)


 そう言って、赤づくしの包帯男に視線を送る。彼は興味深そうに見つめていたが、逆ケンタウロスのステータスを確認すると、エンヴィアの方へ何かを確かめるように尋ねる。


「なるほど。そのケンタウロスの彼はNPC。つまり、4人全員がプレイヤーである必要はなかったんだね?」


 ロイヴァスの言葉を聞いた俺はポーラスのステータスを確認する。そこには、確かに獣人と書かれた種族名とポーラスの隣にカッコ書きされたNPCという文字が見受けられた。


「———まぁね。4人チームであれば中身は何でもいいのよ」


 投げやりな返答にロイヴァスは帽子を深く被り考え込んでしまう。それを眺めていたエンヴィアは、彼の思考時間を待つことなく、全員の注意を集めるため、辺りに音が響くように手を叩く。


「はい、ヒントいくよ〜」


 その言葉を聞いた8人の視線が自身に集まったことを確認して、彼女は得意げな笑みを崩さずに語り出す。


「さて、お宝のヒントですが、『不変でない星のもと。それは最も近くに存在し、茜色の象の中に隠された』。んじゃ、頑張って〜」


 それだけ言ったエンヴィアは指を鳴らす。すると、足に電灯を抱えた大勢のコウモリ達が戻ってくる。


「それじゃ、お楽しみの作戦タイムへ突入!個室あるから、そこでどうぞご自由に。時間になったら転移させてあげるから」


 そう言って、神殿内のある部分をコウモリ達は照らす。そこには、通路を挟んで対となる位置に鋼鉄製の大きな扉が取り付けられていた。


「さっ!入った入った!」


 言葉で押し込まれるように中に入ると、部屋には真ん中にテーブルが一脚置かれ、椅子が人数分置かれていた。テーブルの上には説明の時にエンヴィアが見せた鯨座の全体マップが紙で置かれており、壁の戸棚には図鑑やこの鯨座の情報を記したとされる資料が山のように詰められていた。部屋の中央に全員が入ると、早速作戦会議が始まった。


 ◇◇◇◇


 ≪エリア範囲外 絶海の孤島ケートゥス≫-魔獣女帝神殿内 会議ルーム 


 ≪サイド:グレイ≫


 テーブルの上にひかれたマップを睨みながら、最初の議題として挙げられたのは、この勝負に勝つかどうかについて。勝負の作戦会議としては異質だが、なまじ知り合いが相手なだけに死者を出すわけにはいかない。腕を組んだ俺は、他の三人を見渡して自らの意思を伝える。


「正直、俺はこの勝負は負けて良いと思ってる。あからさまに負けるとエンヴィアが変なことしそうだけど、負けてもおそらく『女神の宝石箱』を手にするのは月下さんだ」

「根拠は?」


 そう言ってきたのはロイヴァスである。俺は、ヒューガの仲間を一人一人例に挙げて説明する。


「ユウのステータス見たか?与ダメ0固定に強力な武器は必要ない。ポーラスはあり得るけど、あの人はNPCだからな。優先度は一つ落とすだろう」


 ユウに持たせた所で麒麟座の加護が邪魔するし、ポーラスより打って付けの人材が一緒にいる。この時にヒューガ自身の話題を上げなかったのは、ロイヴァスと俺の共通認識として、ヒューガはゲーム内スキルを嫌う傾向があるのを踏まえてである。


「でも、これからユウを戦力として使えるようにするかもしれないよ?」

「尚更ありえない。ヒューガの目的は下らない人探しでPKだ。でも、月下さんはそうさせないから邪魔になる。けど、ヒューガの性格からして斬りはしない。だから、解決には彼女が自分を追えないようにする必要がある」


 淡々と説明していると、俺の話に待ったをかけるようにシオンが口を挟む。


「それが何で『女神の宝石箱』なの?強力な武器なら逆に自分を押さえつけやすくならない?」


 普通に考えると、シオンの言うように逃げたい相手に強力な武器を持たせるのは考えられないことである。その不審な所に関しては、ロイヴァスが代わって話した。


「多分、狙いはレイドイベントだろう」

「レイドイベント?」

「もうすぐ始まる予定のレイドで強力な武器を手に入れた彼女は必ずそちらに行くだろう。例え、ヒューガが開催当日の朝に走って逃げて行ってもだ。きっと使命感に駆られて飛んでいくさ。そこが逃げ切る最大の好機」

「ヒューガさんは行かないんですか?」


 ふと、疑問に思ったのかマナロが俺の方を向いて尋ねてくる。俺は頭を掻きながら言いにくい表情で答える。


「多分‥もう‥来ないんじゃないかな‥ヒューガにとってレイドは標的シンに会えるけど戦ってくれない焦らされる場所って認識だろうし」

「むしろ、私はあのヒューガがモンスター狩りに付き合ったことの方が異常に思えるよ。一体どんな条件ならついてくるんだい?」

「絶対、シンと戦えるって言ったら来てくれた。もう二度目は通じないね。むしろ、約束破ったから生死が危ういね」


 ロイヴァスの問いに対して、やけくそ混じりに答えたが、実際問題としてヒューガが俺に良い感情を抱いているとは思えない。血の気が引いた表情のシオンやマナロに比べて、包帯で表情の見えないロイヴァスがどう捉えたかは定かではない。彼は納得がいったのか軽く頷いて話を進める。


「話を戻そうか。グレイの言う通りに進むなら負けても危険な人物に当たる可能性は低い。それで君らは構わないのかい?」


 意外である。最初、シオンとマナロを人質にエンヴィア殺しの手伝いを強要してきたロイヴァスが、最終選択権を他ならぬ二人に譲渡した。無理やりにでも勝つ方へ話を進めれば、『女神の宝石箱』の入手と、その武器を加えて成功率を高めたエンヴィア殺しの両方を達成できるはずである。たまらず、俺はロイヴァスの真横へ歩み寄ると、手で声が広がらないように抑えつつ尋ねる。


(お前‥エンヴィアを殺すとか言ってなかった?負ける流れでいいのか?てっきり『女神の宝石箱』を取るつもりだと‥)

(どうも、あちらさんはこちらの知らない何かを持っていてね。本来、カシオペア座の生贄が必要なのに、上位者権限ですんなり出してくれるとは予想外だ。ここから出られたら私の頼みを聞く理由がなくなるだろう?)

(まあ、確かに‥というか、本当に鯨座に詳しいな。依頼主はβテスターだろ?)

(それは明かせないな、信頼に関わるからね。もし、出られたら、また今度に別の条件で来てもらうよ。今度は不意打ちもしくは暗殺だけどね)


 望んでもいない未来のことを語られ、背中を寒気が襲う。何がどうあってもこの男は魔獣女帝を殺さなければいけないらしい。それが依頼主の要望だとしたら、エンヴィアは一体過去に何をやらかしたのか、気になってくるものだ。

 危ない好奇心を鎮めようと深呼吸している最中、マナロが伏せていた顔を上げて凛とした表情のまま告げる。


「――私‥勝ちたいです‥どうしても」


 淀みない声で語る彼女の瞳には決意の籠った太い芯があるように見える。シオンはマナロが言うことが意外だったのか目を丸くしており、ロイヴァスは帽子を深く被るだけ。俺は彼女にただ一点だけを確認する。


「それはどうして?」

「ごめんなさい‥私が。我儘で自分のためで、皆さんには一つも得がないかもしれません。でも、私のためにどうか戦って下さい」


 論理的な理由はなく、一時の感情から来た決断。正に直感とも言える判断である。普通ならリスクの話や生死の危険性について語るところなのだが、生憎ここには、まともな思考をした人間が居ないらしい。


「マナは私みたいにチート武器もらってないし、ここで取ろっか」

「私はどちらでも構わない。むしろ、取れるなら歓迎するね」


 他の二人は彼女の意見に賛同するようである。マナロは真剣な表情で俺を見つめていた。それに対する答えは、理由が何であろうと、彼女が質問に答えた時点で既に決まっている。


「――理由はそれで充分だ。ご期待通り、最後は何とかしてみせるよ」


 最悪の想定はなく、全員が無事帰還することを目的に、ヒューガに勝つという方針を定めた俺達は作戦を細かい所まで詰めていくことになる。



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