第16話 方舟の鯨座 part【2】

 ≪エリア範囲外 絶海の孤島ケートゥス≫-魔獣女帝神殿


 小柄な獅子座を太腿に乗せたβテスターエンヴィアは宝探しの報酬に女神の宝石箱を出すと言った。かつて、エルフの里でβテスターの一人クラリスが使っていた宝石の散りばめられた籠手『全能の籠手ゼノ・ガントレット』を含めた数種類の武器を内蔵するアイテム。


 それが女神の宝石箱である。


 全能の籠手でも並の相手なら瞬殺。ボス相手でも強力な武器である。

 シオンやマナロはうみへび座でちらりとしか見ていないので、ピンときていないようだ。

 対して、俺は湧き立つ高揚感を何とかポーカーフェイスで抑えながら、少し浮ついた声色で詳細を聞く。


「あの女神の宝石箱を賞品に?」

「そう。ユノからはやる気が出れば賞品は何でもいいらしいから。私物を賞品にしたの」


 何気ない事のように話すエンヴィア。ある程度権限を与えて自由にさせる形式はクラリスが仕切っていたエルフの里と同様である。ただ、エンヴィアの場合はクラリスと少し異なり、クエスト自体の調整も任されていた。


「そんなに決められるのはこの島が鯨座だから?」


 ふと、気になって尋ねた。彼女は自慢げに鼻を指で擦りながら答える。


「そうだね。ここはアタシの使い魔でもある方舟の鯨座。だからアタシの領土。ユノの。だから何でも出来る」

「治外法権‥大陸から一歩外に出れば自由なんだ」

「あの子も枠外の出来事には、あまり干渉しないのよ。変に真面目で几帳面だから」


 ユノを親戚の姪っ子のような扱いをする所を見ると、彼女の存在感には山のような凄みが増してくる。今まで、ユノを子供扱いする人に会ったことがないため、彼女は新鮮だった。


「そんじゃ、本題に入ろっか。お宝争奪戦について」


 艶のある肌が彼女の一手一挙動で大きく引き立てられる。獅子を撫でていた手を前に出すと、歯を見せた笑みのまま指を鳴らす。


 すると、俺達の真正面に大きなディスプレイが現れて、何かの全体像マップが映し出される。


 端の方に視線を滑らせていくと、小さな流線型の外枠が見られ、鯨座であることが推測できる。扇型の尻尾の方に大きな星マークが描かれており、端からの距離を踏まえれば大体今いる場所なのだろうと見当がつく。


「これは、ケートゥスの全体図。星は現在地ね。お宝争奪戦ってのは、ここからスタートしてどこかにある秘宝をまで持って来たチームの勝ちってシンプルな条件」

「宝の場所は?」

「ヒントはあげる。後は自力で探して。スキル必須とかにはしてないよ?例えば、英雄魔法クラスの火力がないと壊せない壁の中、とかはないから安心して」


 それだけだと簡単そうに聞こえる。視線を横にずらすと、真剣な表情で聞いているシオンとマナロの姿が映る。彼女達は、エンヴィアの説明に納得したような空気になっていた。

 質問は直ぐに出ないだろう。

 しかし、それはルールが理解出来ていない場合の無知の沈黙で了承とは言えない。


 今の説明で抜けていたのは争奪戦で最も重要な事である。


「じゃ質問。妨害はどこまで有り?」


 俺は淡々と確認するように聞いた。しかし、聞いていたエンヴィアからスッと笑顔が消えた。目を細め、獅子を撫でていた手を止める。


「‥武器有り、魔法有り、スキル有り‥‥で、有り」


 搾り出した最後の言葉を聞いてその場に緊張が走る。俺は唾を呑み、肩に力が入る。デスゲームという舞台だからこそ、争奪戦に生死が関わらないはずがない。現に、ゴルディオンでは王位継承争奪戦に生命与奪は禁止されていなかった。


「良し、負けよう。負け負け。殺害有りなら勝つ必要はない」


 手首をぶらりと振って反対することをアピールする。いくら全能の籠手を巡ったクエストでも他のプレイヤーとやるならば、譲った方が、死者を出すより全体的な戦力強化となり、クリアには近づける。それは、他の3人も同意見のようで、異論は見られなかった。

 それを聞いたエンヴィアは、慌てて取り乱すこともなく、怒ることもなく、此方の顔色を窺いながら、遠慮がちにペナルティを付け足す。


「後、負けたらこの島からになるから」


 申し訳ないといった表情でエンヴィアは言った。反応は様々。目を見開き困惑した表情の少女が居れば、思い詰めたような表情を取る少女。流れる風に身を任せる男が居れば、次の一手を考える男。大陸から大きく離れた陸の孤島で転移禁止ともなれば、何ヶ月、いや何年帰れるかわかったものではない。それは、ある種のゲームリタイアと言って差し支えなかった。


「出られないって永久に?それとも期限付きで?」

「永久‥かもね」

「だったら、殺害有りを外せないのか?負けたら実質リタイアだろう?その方が全力で臨めるよ」


 俺はエンヴィアの大きな瞳を睨みつけながら提案した。死ななければ、手段は考えられる。生死が関わることが問題なのではない。人と奪い合うことが問題なのだ。


「それはできない‥けど、安心してよ。アタシだってアンタ達を生かす方法は考えてるから」


 エンヴィアは落ち着いた声でそう言い指を再度鳴らす。すると、鯨座のマップからヒロイズムユートピアの全体マップに切り替わる。下の方を見ると、可愛くデフォルメされた鯨マークが大陸に向かって進んでいることがよく分かる。


「今、ケートゥスは大陸の最南端に向けて移動してる。どっちみち、この鯨座は大陸に着くんだよ。負けたら転移禁止なだけで、歩いて降りるのはセーフじゃない?」

「じゃあ、負けても大丈夫ってこと?」

「まぁ、直ぐには帰れないね。このペナルティはユノ指定で唯一変えられない鯨座のアイデンティティだから‥ごめんね」


 エンヴィアは立ち上がると、俺達に向けて頭を下げて謝る。釣られて獅子も頭を下げた。あからさまに誠意を見せつけられると、強く言えなくなる。まして、先手を突かれれば効果は倍増する。

 そこへ、今まで口を閉ざしていたマナロが急にエンヴィアへ問いかける。


「あの‥その移動ってどのくらいかかるんですか?マップの移動を見てて何時頃になるか検討つかなくて‥その、一週間‥とか?」

「う~ん。争奪戦の内容次第?が考えてるようなつまらない試合だったら、ここで強くなるまで修行コースかな。ざっと2年くらいかけさせる」


 椅子に肘を置いて話していたエンヴィアは途中で俺の方へと横目で一瞥する。どうやら、彼女は俺達に本気で試合がして欲しいようである。


「勘違いしないでね?折角のチート武器をすぐに死ぬような人に渡しても宝の持ち腐れでしょ?」

「それに関しては同感だね。相手のチームは知らないが、ろくにモンスターと人間の可能性もある」


 ロイヴァスが含みのある言い方でエンヴィアを援護する。シオンとマナロはピンときていなかったが、俺はほかでもない彼が言ったことで、抜けていた可能性に気づいた。話を横で聞いていたシオンは真意に気付かず、疑問を投げかける。


「別にそれなら、向こうは低レベルだから、私達が勝ちませんか?」

「いや、ロイヴァスが言ってるのは低レベルプレイヤーのことじゃない。多分、相手チームがPKの可能性があるってこと」

「あ、そっか‥それだと向こうは全力で来るし、そんな人達を勝たせるわけにもいかないね‥」


 本気の殺し合いがあり得ることに気づき、しょんぼりとするシオン。何か声をかけようと手を伸ばすも空中で止めてしまい、届かなかった。何を言えば彼女にとって良いのか分からない。


「仮にそうだったら‥どうしよう」

「正当防衛‥じゃ、ないのかい?レッドネームのPKは殺したプレイヤーは特にペナルティが無いはずだ」


 シオンは顔を伏せながら弱々しい声になる。まるで、雨に濡れた子犬のように力無い姿である。ロイヴァスはそれを分かっているのか、甘く血の道へと囁く。普段なら、すぐに割り込んで止める状況。2人を巻き込まないと誓った筈なのに、何故かロイヴァスが正しいと思う自分が心に居る。


「そりゃそうでしょう。犯罪者、それも殺人犯は放置する方が危険じゃないの?だって、ここに警察は居ないのだから。現実のように全員が法律に従うとは思わない。アタシの時はそうだった」


 エンヴィアは過去を懐かしむように語る。以前、PKだろうと殺す気が無いと明言した。その時、この場にいる面々は居なかったが、今同じことを言っても賛同は得にくいだろう。既に会話は、PKなら殺してもいいのではないか、といった風に流れている。


(アレは間違ってはいない。殺人への一歩は麻薬と一緒。一度踏み込めば戻るのは難しい)


 かつて、不殺を言ったのは、最初に一人でも殺せば、以降の殺人に抵抗感が薄れることを危惧してであった。大悪党を一人殺す。

 すると、次は多少でも最初に近い悪党なら殺し、最後には危険だからで悪党手前の人間を殺すかもしれない。


 善性を保つ壁。狂気の世界でも平常であるための枷。それが、不殺を宣言した本音。

 だから、今でも間違いとは思っていない。だが、それを周りに求めているのはおかしくないのか。そんな不安が胸中を占める。


(もし、シオン達にも同じことをさせて失敗して死なれたら‥2人は守りきれない‥もしもはあり得る。その時、俺は正しかった、間が悪かったと言うのか?)


 どんな時にも平等に不幸は起こる。リミアや絶壁、アンナが居たPK戦と違い、逃げられない鯨座で殺し合いが始まれば選択すべき時は来るのではないかと。


 結果として、誰かが死んだら、他人以上に自分を恨む。今の仲間に自分の我儘を通せる信頼と強さがあるのか分からない。


(今回は‥全て曲げてでもシオンとマナロを無事に帰すべきじゃないのか?ロイヴァスから守ろうとして‥PK相手の戦いに巻き込むことは出来ない‥)


 2人が何かする前に、何かされる前に、手を汚してでも、勝つ必要がある。それは、ほんの小さな黒点から生まれた心の楔。

 やがて、全てを暗闇へと引き摺り込む穴となる。

 負けて大陸の仲間に被害が出て2年閉じ込められるか、手を汚してでも2人を生かして帰すか。


 それならば…いっそ。


(いっそ、エンヴィアを殺すロイヴァスの案に乗るか‥いや、エンヴィアの死で鯨座が消える可能性は捨てきれない。単純にはいかない)


 一度手を汚すくらいなら、既に死んだエンヴィアの方が間違ってはいないかもしれない。しかし、それでも課題は多く残る。βテスターというステータスのモンスターへの勝算と、殺害後の安全保証の確立。彼女達を生きた人間として見ている自分への納得。


 もはや、こんな考えをしている時点で正気では無くなりつつあることを主観だと気づいていない。堂々巡りの難題に頭を抱える。

 だが、不穏な流れに一人の少女が一石を投じる。


「全く‥皆さん。馬鹿じゃないですか?」


 不穏な空気を一刀両断したのはマナロであった。腰に手を当て、周りをぐるりと見渡した彼女は、俺に向かって指を刺す。


「特にグレイさん!最悪ばっかり考えてますね?はっきり言って時間の無駄です」

「だけど、相手が想像つかない以上‥」

「まず、エンヴィアさんに聞けばいいでしょう?この人、どう見ても協力的です。勿論、教えてくれますよね?ね?」


 身体ごとエンヴィアの方を向くマナロ。謎の圧が籠もった彼女の笑みには思わずエンヴィアの顔も引きつっていた。


「え、えぇ‥流石に顔合わせも作戦タイムもあげるつもりよ‥アタシはちゃんとした人に持っててもらいたいだけだし‥」


 しどろもどろな答えを聞いたマナロは目を輝かせて俺の方に振り返る。


「聞きましたか?考えるのは顔合わせしてからで良いです!今、想定してどうするんですか?そもそも、グレイさんならPKが来たって何とかするでしょう?」


 当たり前のように彼女は言った。何とかするのがグレイだと言わんばかりの謎の信頼。


「謎の期待だね‥」


 苦笑いして言った言葉に、マナロは首を傾げる。


「だって、グレイさんは生きたいんでしょ?」

「え?‥うん。死にたくない」


 俺は素直に本音を言った。それを聞いて彼女は僅かに瞳孔を大きくする。


「‥‥そう、そうですよ。なら、何があっても精一杯やりましょう。最後は直感。今を楽しく!」


 マナロは晴れ晴れするような笑顔でそう言った。不思議と、彼女の笑顔には陰りが見える。言葉はすっきりしているのに態度は矛盾を孕んでいた。


「話、まとまった?アタシ、色んな動物撫でるの飽き始めてるんだけど‥」


 エンヴィアの急かすような言い方に慌てて答える。


「あ、あぁ‥まずは対戦チームにPKが居るか教えてくれ」


 先ほどの使い魔とは変わり、仔犬と子猫の使い魔を抱きしめていたエンヴィアは嬉しそうに頷く。


「うんうん。マナロちゃんの言う通り、聞くのが大事だよ〜因みに、PKの象徴レッドネームプレートは居ないから安心して〜」


 緊迫感に包まれていたその場を安心させる淑やかな声にホッと一息つく。


「今、丁度別の部屋に居てもらってたから〜召喚しちゃうね。い、で、よ!!」


 エンヴィアが両手で示した方向には、魔法陣が現れる。光が輝き魔法陣が消えると、先ほど洞窟の奥へ消えたコウモリの使い魔が電灯を持って戻ってくる。


 そして、使い魔達に照らされた4人のプレイヤー達。幸運なことに、3人は見知った顔であった。しかし、不幸なことに内1名は超危険物。


 きつく帯を締めた着物に纏めた黒髪、腰に挿した刀の柄の上に手を置く男。彼はこちらの姿を見ると眉を顰めた。


(成る程‥これはどっちでもないやつだ‥)


 結局、PKではないが、勝負に勝てるかも分からない相手が来てしまった。


「まじか、お前か‥ヒューガ」

「あぁ、敵とは君ですか。グレイ‥」


『女神の宝石箱』を賭けた試合は、MBOにおける一対一の近接戦闘でシンを超える勝率99.9%を叩き出したバトルジャンキーが相手となった。

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