第2話 廃人の家庭内カースト実情

「お兄ちゃん!!いつまで寝てるの!もう夕飯の時間だよ!」


 ゲームのダウンロードを始め真也に要約を任せてから軽い仮眠を取っていた俺は、頭上から耳に響く大声で目を覚ます。あれから何時間経ったのだろうか、少なくとも今聞こえた言葉から夜になったことはわかる。そこで、正確な時間を調べようとベッドの弾力性を利用して起き上がろうとすると、背中に当たる感触が普段よりも硬いことに気付く。心なしか背中に痛みを感じていた。


「硬い…床か?」


 寝ぼけて床の上で寝た記憶はない。それなら俺は誰かによって自分のベッドの上から落とされていることになる。その誰かとは今俺を起こした人物のことで間違いないだろう。俺は予想外の起こされ方による背中の痛みを堪えて上半身を起こすと、エプロン姿で腕組した少女の顔を見上げる。


「どうした?紫音?」


 小麦色の肌に肩まで届かない短めの茶色の髪、整った顔立ちをして160cm程の身長でなぜか余計なものが一切つかない体の少女。俺の妹の天野紫音あまのしおんだ。彼女は運動系の部活なら何でも助っ人できるという抜群の運動神経を持っている。それでいて家では帰りの遅い両親に代わり家事をすることもある。そんな彼女が怒っているように見えるのはきっと幻覚ではなく現実としか思えない。


「お兄ちゃん、さっき…言ったよね?」


 背筋が凍るような悪寒に襲われた俺は、先ほど紫音が口にした言葉を思い出す。そうだ、今日は紫音しおんが食事当番の日だった。この高校二年生の妹は兄に対して一切の情け容赦がない。兄として勝っているのはもう身長くらいしか残っていないので威厳もなければ反論もできない。なので、徹夜でゲームするときは紫音が部活の朝練で忙しく、帰るのが遅い時を狙っていた。

 しかし、今回は急遽徹夜することに決めたため、細かいスケジュール確認をすっかり忘れていた。俺がそんなことを考えている間にも紫音の不満は高まり、流石に堪忍袋の尾が切れそうなところまできてしまう。流石にこれ以上怒らせるわけにはいかないので急いで立ち上がると部屋を出て階段を降りていく。


 階段を降りていると、下からデミグラスソースの香ばしい香りが鼻に届く。ダイニングに着いて椅子に座ると、テーブルの上には2人分の食事が用意されていた。そこで俺は、家族全員分はないことに気付く。


「あれ?母さん達今日も遅いの?」

「お父さんは、今日終電で帰ってくるって。お母さんは、さっき帰ってきた後部屋に直行してた。多分もう寝てる」


 ちょっと待て。母さんはスルーで俺は起こされるのか。

 納得のいかない顔をしていると、紫音はため息を吐く。


「何か勘違いしてそうだけどお母さんは、働いてたから寝かせてあげてるんだよ。お兄ちゃんは遊んでるじゃん」


 むぅ…ぐぅの音も出ない正論だ。さっさと飯食って届いているであろう真也の要約を見よう。そう決めた俺が箸を進めていると、向かい側で食べていた紫音がいきなり予想外の言葉を放った。


「私、≪Heroism Utopia≫やるから今日の食器洗いよろしくね」

「は?」


 その時、俺は手に持っていた箸を床に落とした。


「ちょっとお兄ちゃん床拭いてよ?」


 紫音が注意していることなど今の俺の耳には届いていない。それほどまでに俺の中では衝撃を受けていた。

 朝から晩まで剣道一筋で他の娯楽に全く興味のなく、ついこの間までVRすら理解していなかったあの紫音がゲーム!?

 こんな話より明日地球に巨大隕石が落ちてくるニュースの方がまだ信じられる。

 箸も拾わず口を開けて驚きっぱなしの俺を見た紫音は、不満そうな顔になる。


「私だって、息抜きにゲームくらいするよ。それに、皆やるらしいし…」


 詳しく話を聞くと、学校の友人達が≪Heroism Utopia≫やることを聞き、周りの流れに合わせている内に紫音も始めると言ってしまったらしい。VRマシン自体は俺が昔使ってたのを譲ればいいが、ソフト自体はどうするつもりだ?

 気になった俺は、紫音に対して基本的な事を聞いてみた。


「紫音。ソフトの買い方ってわかるか?」

「バカにしてるの!?そのぐらい調べればすぐわかるし、親切な人がさっきゲームについて詳しく教えてくれたよ」


 なんと、あの真也が送った要約を見た紫音が俺のスマホを勝手に使い、連絡を取っていた。というか何で俺のスマホのパスワードを知っているんだ。今まで一度も教えてないのに。


「お兄ちゃん、昔から何でもパスワードが自分の生年月日固定だから簡単なんだよね。お母さん達もこの事知ってるし」


 昔からということは、今までパスワードをかけていた場所は全部筒抜けだったことになる。我が家に天野灰里のプライベートは存在しなかった。この事実は29連敗のショックをあっさり超えて今日一のショックに成り代わる。


「ん?待てよ?なんで真也と普通に連絡してる?」

「雷銅さんは去年くらいから知ってるよ」

「え、そうなの。俺だけ知らされてないの?」

「あれ?言ってないんだ。ふぅん…」


 親友に隠し事されると結構心にダメージがくることを知れたので、次に会ったらなんかやり返すことを心に決めた。その後、紫音とゲームの話をしながら食べ終えると、急いで食べ終わった食器を片付けて風呂に入り湯船につかりながら真也が送ってきた要約を読み込む。そして、午後7時20分にダッシュで部屋に駆け込み、濡れた髪がまだ乾かぬ内にVRマシンを被り、電源を入れる。画面がつくとマシンのメニュー画面から≪Heroism Utopia≫を選択し起動する。


「じゃ、始めるか。ヒロイズムユートピア、起動スタート


 すると、意識が仮想世界の中へと吸い込まれていく。

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