第1章:必殺のさそり座

第1話 さらばガチ勢、スローライフを夢見て

 2049年6月1日


 舞台は核戦争に突入した近未来の日本の街。崩壊したビル群の合間を縫って暴風は吹き荒れる。空は有害物質で汚染された灰色の雲に包まれている。


 その中で、一人の青年は一帯に満たされた硫黄臭に堪えつつ、息を凝らすように岩陰に隠れていた。この世界に似合わない清潔な司祭服を見に纏い、首からは十字架のネックレスをかけていた。

 しかし、その手には司祭が持つには些か不謹慎な何かの起動スイッチが握られていた。

 彼の手は極度の緊張からか小刻みに震えており、心臓の鼓動が速くなるにつれて呼吸も荒くなっていく。彼は冷静に自分を落ち着かせようと深呼吸することで、呼吸を整える。


「大丈夫‥落ち着いていけ‥ここが肝心なんだ」


 額から流れていた汗を拭うと、耳を澄まして全神経を一方に集中させる。

 そして、背後から聞こえてくる微かな足を精一杯に拾おうとする。


「コツ‥コツ‥コツ」

「これは‥来たか?」


 微かに聞こえる小さな足音。

 距離の問題もあり、聞き取りにくいが、一歩ずつこちらに近づく足音が聞こえてくる。

 それを聞いた彼は、手元のスイッチの上に親指を置き、より一層音を拾うことに集中するために目を閉じた。


 (もう少し‥後15メートル‥いや10メートルか)


 足音がどんどん大きくなるにつれ、緊張感は高まってくる。

 しかし、その足音の主は何かを気になる物を見つけたのか急に歩みを止めた。

 その瞬間、勢いよく彼は手元のスイッチを押しこんだ。


 スイッチが押された後、彼から数メートルほど離れた所で地形が吹き飛ぶほどの大爆発が起きる。爆発による轟音は押した本人すら耳鳴りに苦しむほどで、爆風はスイッチを押した彼の元まで届き、寄りかかって壁にしていた岩には大きな亀裂が入っていた。


 この規模ならば流石に当たっている‥‥確実に仕留めた‥そう信じていた。


 彼の企みが水泡に帰したのはほんの数秒後。自らの腹部から真っ直ぐに伸びた剣が出ていることに気づいた時である。

 恐る恐る振り返って、背にした岩を見ると、剣一本が入る分だけ都合よくを剣が通り抜けている。


「‥噓だろ」


 彼は慌てて左上に映る自分のステータス画面を凝視する。だが、今から回復しようにももう遅い。既に僅かだった彼の体力はゼロになっている。


 (一体どうやって半径3キロの広範囲爆発を避けた!?)

 (ジャミングしてレーダーが使えないのに自分の位置をどうやって把握した!?)

 (というか、なんで剣が岩を貫通してるんだよ!?)


 現状に至るまでの理由を彼は必死に考える。

 しかし、それら全ての答えを持つ者は背中側から岩を飛び越え、彼の前に降り立つ。


「残念だったね、グレイ。少し爆心地からズレてた、あれなら見てから避けれる」


 青年の求めていた理由には程遠い回答と共に相手のしたり顔、それが彼の最期に見た光景。 

 そして、意識は現実へと戻される‥‥


「だぁぁああぁ!また負けたぁぁ!!」


 部屋の中で俺は頭に付けていたVRマシンを外し、床に投げ捨てながら叫んだ。

 そう、今までの出来事は現実ではないゲームの中、仮想世界の中で起きたことである。


 2020年代に仮想空間を体験できるVRこと≪バーチャルリアリティー≫が普及してから人類の生活水準は大きく変わった。会社はVR空間で作り出され、通勤という言葉は死語になり、一日に使える時間が増えたことで娯楽需要も自然と増加。VR空間にその娯楽世界を求めた人々は、技術進化のスピードを一気に加速させた。

 現在では、VR空間に意識を完全に移すことすら可能な時代となり、人々にとってVR空間はまさに『第二の地球』と言えるだろう。


 そんな世界が当たり前として受け入れ始めた世代が今の俺達なのだろう。親は外に出なさいと言うが、外に出る意義を感じない。国の方針で大学までは実際に通うようになっているが、その内授業は自宅でVRとなるかもしれない。むしろ文系なら大学までそれでも構わないと思っている。


 ここまでこんな話をしているのは決して今日1限があるのに、徹夜している自分を慰めるためではない。後で提出するレポート課題の構成を考えていただけだ。


 今まで俺はVR格闘対戦ゲーム≪Meteor・Buster・Online≫通称「MBO」でとあるプレイヤーと徹夜で30連戦の勝負をし続けていた。このゲームは、様々な種族や職を選択してオリジナルのアバターを作り対戦するゲームで、数年前に発売されると世界中で人気を博した。しかし、度重なる方向性の見えないアップデートを重ねた結果、鼠獣人の司祭キャラが呼び出すドラゴンが強すぎることで人が離れた謎ゲームである。勿論、俺は勝ちたいので徹夜司祭キャラを使い30戦試合をしていた。尚、戦績は30戦1勝29敗と最初に勝った一回以降はずっと負け続けてしまい気分は最悪である。敗因は至ってシンプルで「相手が強すぎる」の一言で表せてしまう。


「しんどい‥今日の大学レポート送ってサボろ‥」


 徹夜明けで眠い目をこすっていると、机の上に置いてあったスマホに着信音が鳴る。手にとってかけてきた相手の名前を見ると、先程まで俺をボコボコにしてくれた張本人である“雷銅らいどう 真也しんや”の名前が映し出されていた。

 嫌な予感がしつつも俺が電話にでると真也は開口一番に嬉しそうな声色で話してくる。


「僕の圧勝だねグレイ!約束通り明日から毎日食堂奢ってよ!」


 敗北のショックからかこいつが何言ってるのか俺には一瞬理解できなかった。そう思いながらもこの30連戦が始まる前の記憶を何とか手繰り寄せると、一つの賭けを彼としたことを思い出す。


(そういえば、勝者に敗者が今回負けた回数食事を奢る賭けをしていたな)


 今、思うと何故そんな勝負をしたんだろうと過去の俺を振り返る。相手の実力は先ほどやっていたゲームの世界ランキング現1位で俺の世界ランキングは現在117位。何も知らない人からすれば上位のプレイヤーに見えるが、その実MBOの総人口は現在2000人くらいなので大したことはない。


(ああ、そうだ。模擬戦闘で勝率よかったから調子のって自分から仕掛けたんだった)


「あ~そんな約束したんだっけ?ランキング補正で1勝を20勝分くらいに増やせない?」

「それは卑怯だよ。そういうのは先に言ってくれないと計算して戦えないじゃん」


(言ったら許可するのか‥)


 だが、そう言えば彼は油断などしてくないだろう。そうなれば、最初の1勝すらもらえなかった気がしていた。

 今回の相手はMBOのプレイヤーの中でも異様に感が鋭く動体視力と反射神経は既に人の領域から外れている。

 過去に真也あいつ舞台装置ステージギミックの光電子砲すら普通に跳んで回避したことがある。当時、避けられた理由を聞くと「右から何か来そうだったから」と言われた時には、驚きよりも渇いた笑いしか出てこなかったことを鮮明に覚えている。


(うん、諦めよう。さよなら、俺の小遣いよ)


「わかった、約束は守るよ。後、日常でもグレイと言うな。何度も言うように俺の名前は天野あまの 灰里かいりだ。お前学校でもその呼び方するのやめてくれ。いつも周りの視線が辛い」

「いやぁ、直接会うまではグレイの名前で話してたから‥つい癖で」


 現在、俺と真也は都内の大学に通う2年生であるが、彼と知り合ったのはMBOではなく別のゲームからで、付き合いは既に5年近くなる。

 センター試験、大学入試、そして大学入学式の隣に偶然座っていた青年が彼だったことが大学生活の始まり。この真也は、文武両道、イケメン、明るく誰とでも気軽に話し、おまけに優しい性格となんか色々持てる物を持ちすぎている男であり、一緒にいる時の俺は常に敗者の気分を味わっている。


「やばい‥悲惨なキャンパスライフと無惨な負けに涙が出てきた」


 一度、今日の敗北のショックを忘れる必要がある。

 それには一旦MBOを離れるのが良いかもしれない。気分転換に昔やっていたスローライフゲームをやるかどうか悩んでいると、電話相手の真也が急に何か思い出したかのように声高くなる。


「今日だよ、グレイ!≪Heroism Utopiaヒロイズム・ユートピア≫のリリース日!」

「何それ?新しいVR対戦ゲーム?」


 俺の返答を聞いた真也は笑いながら、否定する。


「違うよ。MBOみたいな対人メインのゲームじゃなくて、ファンタジー世界でモンスターと戦うのがメインのMMORPGのゲーム。最近はそういうのが流行ってるんだよ」


 (そうなのか‥全然知らなかった。俺、ゲームの流行にも遅れているんだな‥‥)


「しかもこれ、世界初の人工知能が管理するMMORPGとあってニュースで話題になってたんだよ。ログイン開始は今日の7時だったかな。プレイするの楽しみだったんだ」


 MMORPGのファンタジー系。ここ2~3年はそのジャンルに触れていなかったので、気分転換には丁度いいかもしれない。

 いっそ生産職について戦闘から一切離れてスローライフを満喫するのも面白いかもしれない。


(畑を作って、武器を造って、可愛らしいモンスターと触れ合う‥‥そして、真也のせいで生産職装備のままレイドに駆り出される‥と)


 それでも、MBOから離れられるいい機会に思えてくる。

 俺は、VRマシンを起動すると専用ストアで≪Heroism Utopia≫のページを開く。すると、そこには可愛らしいキャラクター達や幻想的な世界の映像が映っており、端には細かい仕様や設定などのゲーム内容が記載されていた。

 しかし、徹夜明けの眠気のせいで書いてある内容が頭に全然入らない。こういう時は、真也に5分で分かる要約を作ってもらうのが一番手っ取り早い。今はとりあえずダウンロードだけしておくことにしよう。


 そうして俺がストアの購入ボタンを押すと、画面ではダウンロードが開始される。それを見届けた俺は真也に対して自分も購入したことを伝える。


「俺も≪Heroism Utopia≫やることにしたから仕様とかの要約頼む。俺は、7時くらいまで寝てるわ。じゃ」

「え、ちょっとグレイ!?」


 返事も聞かず一方的に通話を終了した俺は、ベッドに横になって布団を被る。MMORPGならスローライフも簡単にできるし、戦うとしてもシンとはないだろう。


「しばらくは、戦うことから離れられそうだ…」


 俺は、そのまま意識を落とし眠りについた。

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