第2話 告白成功指数

 妙な数字が見えるようになってから一日が経った。

 スマホから鳴り響くアラームを止めて、俺は欠伸をしながら階段を下りていく。

 どうせ、一日が経てばあんな妙な数字は消えてくれるだろう。そんなことを思いつつ、俺はリビングへと繋がる扉を開けた。キッチンには母さんが、ダイニングチェアには少女が先に座っていた。俺の妹である優花ゆうかだ。

 茶色の髪は少し長いのかポニーテールで括られており、コンパスで描いたかのような大きなぱっちりとした瞳は光を宿らせている。華奢な身体からはか弱さを感じさせられ、妹というキーワードがとてもよく似合っている。そんな優花は学校に行くべく、中学指定の制服を身に纏い、いざ、学校! という感じでうきうきとした気分を漂わせながら椅子に腰を掛けている。


「お兄ちゃん! 私よりも起きるのが遅いだなんて相変わらずだね!」


 勝ち誇った笑みを浮かべながら優花は腕を組む。

 別に俺はそんな他愛ない勝負などしていない。だが、ここはお兄ちゃんとして負けを認めてやろう。


「ああ、優花は本当に起きるのが早い――!」


 ここで一つ否、二つ俺は異変に気が付いた。妙な数字は妹である優花の頭の上と横にも浮かんでいたのだ。

 昨日、俺は優花と一度も顔を合わせていない。俺は夜飯を食い終わった後、すぐに風呂に入って寝たし、優花は部活で忙しいのだ。

 だから、てっきり母さんの頭の上と横にしか数字は浮かばないのだと思っていた。だが、そんな見解は悉く破壊された。


「どうしたの、お兄ちゃん?」


 困惑の瞳を俺の方に向けて首をかしげながら優花は聞いてきた。

 母さんに数字は見えていなかったので、どうせ優花にもこの妙な数字は見えていないだろう。ここで仮に、俺が数字のことを話したとしても、優花が杞憂するだけだ。


「いや、なんでもない! さあ、早く飯食って学校行くか!」


 驚愕の表情を取り繕い、俺はパジャマのまま、優花の前のダイニングチェアに腰掛けた。

 そして、優花の頭の上と横に浮かんでいる数字を凝視する。

 上に浮かんでいるのは95という数字、横に浮かんでいるのは母親と同じく0という数字。

 未だこれらの数字が表している意味が俺には分からない。だから、今日の学校で徹底的にこの数字の謎を追究しようと思う。


「……あのさ、そんなじろじろ見ないでくれる?」


 優花は自分の顔を見られるのが、恥ずかしいことなのか、頬を少し赤らめている。

 だが、厳密に言えば、俺は優花のことをじろじろと見ていない。優花の周りに浮かんでいる数字をじろじろと凝視していたのだ。

 これ以上、浮かんでいる妙な数字を見てもなにも分かることなどないだろう。優花も少し恥ずかしがっていることだし、凝視するのはやめるか。

 どこへ視線を送ればいいのかあまり分からず、とりあえず時計を見てみた。

 そこで俺は焦燥感に駆られる。


「もうこんな時間かよ! やべえ、遅刻しちまう」


 時計が示している時刻は八時十五分であった。

 待てよ。なら、優花もあまりのろのろと飯を食っていると、遅刻するんじゃあ……。


「んじゃあ行ってきまーす!」


 お茶を喉に通し、優花は家を出ていった。

 よく見れば、優花は既に朝食を食べ終えていた。なら、このままいけば遅刻するのは俺だけである。

 俺は、トーストを無理矢理口に入れ、さらにはお茶も同時に飲み、そのまま流し込んだ。そして、大急ぎで高校指定のブレザーを着て、優花の後を追うように「行ってきまーす!」と、言って家を出ていった。

 ちなみに、母さんからの「行ってらっしゃーい!」は聞こえなかった。まず、そう言ってくれたのかが焦っている今の俺には分からなかった。

 家を出た後もその焦りは消えることなく、忌々しい教科書が入っているバッグをチャリの籠の中に放り込んだ。そして、チャリキーを挿して、チャリに乗り、そのままぺダルを漕ぎ始める。チャリは軽やかに進み、颯爽と道を駆ける。この速度を保てれば学校に遅刻することはない。

 だが、さすがに疲れてくる。さっきまで、髪を靡かせていた風は心地よいものであったが、滴る汗によって心地よいものではなくなってしまっていた。

 制服の袖で、滴る汗を拭く。よし、もうこれで汗なんか気にしないぞ。

 しかし、張り切って、チャリのスピードをさらに上げようとしている俺の前に最悪の壁が立ちはだかった。

 ――橋だ。

 俺の前に立ちはだかるは橋、即ち、坂である。

 ここの地域は二つの川に挟まれていて、それぞれの川に橋が架かっている。なので、川よりも向こうの地域に行くためには、必ず、橋を渡らなければならない。

 俺の通う春田高校は川よりも向こうの地域で、東側の橋を渡ることになる。

 俺は、覚悟を決めてペダルを思い切り漕ぎ始める。

 橋を渡るための二つの坂道を隔てた道路には相変わらず車が走っており、その音が少しうるさい。だが、そんなことは気にせず、ペダルを漕ぎ進む。初めは余裕だが、漕ぎ進めていくとその余裕もどこかへ飛んでいってしまう。

 結果、橋を上り切った後の信号前で俺には体力というものが殆ど残されていなかった。

 チャリのハンドルに腕を突き、ぜいぜいと荒い息を吐く。けれど、橋を上り切った後はみんなが喜ぶ下り坂だ。

 信号が青になったのを確認すると、残された体力でペダルを再び漕ぎ始める。そして、下り坂へと突入した。そこではペダルを一切漕がず、髪を靡かせる気持ちいい風に吹かれていた。そして、下り終える。

 下り坂でのチャリの勢いを保ちながらもペダルを漕ぐ足は止めない。

 そんな感じでそこからおよそ五分後、俺は春田高校へと到着した。

 いつも通り、チャリを駐輪場へと停める。そして、ひたすらダッシュ。全ての動作をちゃっちゃと済ませ、そのまま廊下を走る。

 そんなこんなで二年三組の教室に着いた。

 息を切らしながら、教室へと足を踏み込むと、


「遅刻ギリギリですよ! 結翔ゆいとくん! 早く席に着いて下さい!」


 と、眼鏡を掛け、大人か子供か分からないほどの幼い身体をした花咲萌はなさきもえ先生から早速注意を受けた。しかし、容姿から見てみるに全く怖くない。というか、俺のことをくん付けしてくれていることに驚いたぐらいだ。


「すみません」


 一応、先生の方を向きながら俺は謝った。

 ――そして、やはり先生の頭の上と横にも数字は浮かんでいた。

 上の数字は80で横の数字は10。

 ……さっぱり訳が分からん。まじでこの数字は一体何を表しているんだ。

 俺は、クラスメート全員の頭の上と横に浮かんでいる数字を見る。すると、24、59、80、46、10、0やら色々な数字が目に入ってきた。  

 いや、ちょっと待て。

 俺は頭の上に浮かんでいる数字ではなく、横に浮かんでいる数字をじろじろと凝視する。

 ――! ここで一つあることに気付いてしまった。

 男子の横に浮かんでいる数字はどれも0否、ひとりだけ100の奴がいるけれど、気にしないでおく。とりあえず、一人の男子を省いた残りの男子の横に浮かんでいる数字が0なのだ。俺は考える。何故、男子の頭の横に浮かんでいる数字が0なのかと。

 男子の共通点。男子同士でありえないこと……!


「交際か!」


 そう、男子同士で交際はしない、付き合うことをしないはずだ。

 この数字は恐らく、俺に対してのものだから多分、この考察は正しい。

 いや、やっぱ待った。

 仮にこの考察が正しいのなら横に100の数字を浮かばせている男子はなんだ? そこだけはどうしても納得が…………いった!

 そうだ、こいつはクラス否、学年否、学校中で有名な男にして男が大好きな奴だ。

 夜中、男を襲ったら警察沙汰になった、とか、男と付き合う方法を調べている、とか、こいつに関する情報は俺の耳にもきちんと届いている。 

 と、なるとこの数字が意味するのは恐らく、告白成功指数だろう。告白が成功する確率を0から100までの範囲で表したもの。

 よし、この横に浮かぶ数字については理解した!


「あの、結翔くん?」


 先生が不審者を見るかのような目で俺のことを見据えてくる。

 あれ、もしかして俺、不審なこと声に出してた?

 俺は確認するようにクラスメートの表情を見る。

 男子は笑いを堪えている奴が多く、女子は引いてる奴が多い……。

 確信した。絶対何か声に出していた。

 俺は想い人である坂宮を一瞥する。一瞥しただけでも彼女の目は酷く冷たいものだと理解した。

 ……あ、これ終わったやつ。

 勇気が中々湧かないので坂宮の告白成功指数はまだ見ていない。

 まあ、あの冷酷な表情からして告白成功指数はとても低いだろう。もしかしたら0なのかもしれない。いや、さすがにそれはないか。……ないよな?

 俺は、坂宮の席の周り以外の女子の告白成功指数を見る。50、30、27、14、0……100! いや、ちょっと待て。これは結構酷くないか? 100っていうのはうれしいけど、それ以外50以下じゃねえか。

 俺って意外とクラスでの評判良くないの? イケメンじゃないから駄目なの?

 ここで俺は酷くショックを受けた。

 もしかしたら表に紫色のオーラを醸しているのかもしれない。

 この光景は新鮮的で不気味であると同時に酷くショックを受けるものだったのだ。

 そんな感じに俺が肩を落とし、俯いていると先生が焦り始めた。


「あの結翔くん? さっきからどうしたの?」


 こんな状況で「みんなの周りに数字が浮かんでいるんです」だなんて言ったら間違いなく、みんなからさらに注視されてしまう。そんなことは馬鹿な俺でも瞬時に予想がついた。なので、やはりここも取り繕うしかなさそうだ。


「なんでもないです」


 作り笑いを浮かべながら足早にみんなからの侮蔑の視線を感じながら、自分の席へと向かっていく。俺の席は窓側から二列目の前から三列目。

 個人的にこの席はめちゃくちゃ好きだ。何故かというと、俺の右隣の席に座っている少女が坂宮未来であるから。

 好きな子と隣の席だなんて男子だったらふつう、浮かれる。もちろん、俺もそのふつうの中に入っているのだ。だから、さっきの疲れを忘れたぐらい、俺は今、浮かれている。

 さてと、ここで坂宮の数値を見よう。

 俺は、眼球だけをゆっくりと動かす。そして、坂宮の頭の横に浮かんでいる告白成功指数を凝視する。

 坂宮の頭の上には100、横には0という数字が浮かんで……!

 ここで酷く俺はショックを受けた。さっきとは比べものにならないぐらい、頭に雷が落ちたようにそのまま枯葉のごとく萎んでいった。

 ……やっぱり、俺は坂宮に嫌われていたのか。

 告白成功指数が0だなんて、俺の恋はこの時点でもう終わっているのか。

 いや、だが、頭上に浮かんでいる数字は100だ。これは母さんと同じ数値……。と、なると、この数字は結構良い意味を表しているのではないだろうか。

 とりあえず、楽観的な考えをしておく。そうじゃなければ、身体がもつ気がしない。

 俺は、100という数字にだけ期待を膨らませた。

 本当にこの数字は何を意味しているんだろう……まあ、それについて追究して理解するのが『今』の俺の一番の目的。

 ひょっとしたら、この数字は俺の高校生活において、とても重要な、影響が強いものではないだろうか。

 その可能性も十分に考えられるため、必ず、この、頭上の数字の表す意味については知らなければならない。

 ――今日は、俺が絶望した日であって、闘いの日でもある。

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