8-カユウ

 いつの間にか、耳が聞こえるようになってから一年以上の時間が経っていた。


 私は背が伸びていた。髪も前より伸びた。女の子らしく、体に凹凸もできてきていた。

 話すのもある程度スムーズにこなせるようになった。この間フタバがその事を褒めてくれた。もちろん手話も健在だ。使う相手がソヨくらいしかいないが、変わらず会話できている。


「おじゃましまーす」“おじゃましまーす”


 いつものように『双葉』と札のついているドアを開ける。手と口は同時だ。その時に私の目に入ってくる彼女の手の動きと、彼の喉からの音は重なっていた。


「いらっしゃい」“いらっしゃい”


 フタバとソヨはベッドの上に座っていた。その隣に私も座り、はじめましての時から変わらぬスタイルで会話をする。


「勉強、どう?」“勉強、どう?”


 二人に同時に問いかける。最初は慣れなかったが、フタバとソヨと同時に会話するのは今ではそんなに難しいことではなかった。ただ、女の子のソヨに対してフタバは男の子なので少しその点で苦労する面もあったが。


「なんとか頑張ってるよ。英語のリスニングなんかは物凄い力入れてみてる」


“そこそこ、ね。歴史の暗記とか頑張ってるわ”


 フタバとソヨの答えはバラバラだが、二人とも勉強は頑張っているらしい。二人で一つの体なので当然といえば当然だが。英語のリスニングはフタバが担当し、答案を書くのはソヨが手を動かし、問題を解くのは二人で考えるというスタイルで勉強しているようだ。ただ、二人はお互いのことを認識していないので無意識の協力プレイになっているらしい。双葉という人間はそうやって生きているのだ。


「カユウは?」“あなたこそ、どうなの?”


「やっぱり、勉強は苦手かなー……。“やっぱり、勉強は苦手かなー……。志望校目指して頑張ってるよ」志望校目指して頑張ってるよ”


 最近、私たちの話は勉強についてがほとんどだ。


「わからないところがあれば、僕ができる限りなら教えるよ」


“頑張るのは当たり前よ、カユウは普通の高校に行くんだから”


 何故なら、私たちは受験生だから。

 フタバとソヨは通信制の高校に。私は、全日制の高校に。

 フタバとソヨは、やはり社会的には一人としてカウントされるらしい。二人は全く違う人なのを私は知っているのでそれを聞いて悲しくなったが、それは二人を一番近くで見守るおばちゃん達も同じらしかった。だが、そのおかげで二人はいつも通り協力して受験に挑めるらしい。そして、一人の生徒として二人で入学するのだ。


 十五歳になったが、ソヨとフタバはあまり変わった様子はなかった。二年前から変わらない、ボーイッシュな女の子だ。身体は女の子らしいが、フタバとして見れば女の子のような男の子だし、ソヨとして見れば男の子のような女の子だった。


 前から何度も彼女がボーイッシュという話をしている気がする。実際、時々フタバは私のことをドキッとさせることがあった。彼も、私やソヨと同じで友達が少ない故の天然なので、時々私のことを赤くする言動をすることがあった。本人にその顔は見られないが、代わりにソヨが私の赤面を視認するのでよく不思議がられた。


「じゃあ、今日も勉強しよっか」


 と、フタバ。しかし、ソヨが


“勉強、めんどくさいわね……”


 と、フタバの本音をダダ漏らしさせていた。二人の行動に対する欲求などはほとんど一致するので、時々片方の本音がもう片方から出てきてしまうのだ。


「フタバ、めんどくさいとか思ってるでしょ?」


「……バレた?」


 そんなやり取りをするのが私とフタバ。


“こーら、ソヨも頑張らなきゃダメだよ”


“頑張るのは頑張るけど……”


 一方で、私とソヨはそんな会話をする。そういう私も、勉強なんかやりたくない。本当は二人とゆっくりのんびりお話していたいが、そんなに余裕はなかった。ソヨとフタバ、それと自分の計三人のやる気を奮い立たせて私は参考書を開く。フタバとソヨは、一枚のタブレットを机から取り出した。


「いつも思うけど、“いつも思うけどフタバはハイテクなお勉強だね」ソヨはハイテクなお勉強だね”


「まぁ、僕はこれじゃないと音が聞こえないから……」


“なんでかわかんないけど、おばちゃんがこれ使えって言うのよね。これ意外に使いにくいから、計算とか紙でした方が楽なのよ”


 慣れた手つきでタブレットの画面を叩きながら二人が答えた。その片耳にはイヤホンが挿さっている。問題文をそれで読み上げてもらって、フタバは問題を解くそうだ。


「で、カユウが苦戦してるのはどの辺?」


“ワタシがわからないところ教えてあげる”


 優しい二人に甘えて、解けなかった数学の問題のことを質問した。すると、少し違った形で答えが返ってきた。


「問題の通り、三角形ABCのACを軸に回転させる。そうすると、Bの反対側にB´ができるでしょ?それが……」


 と、口で説明してくれるのがフタバ。


“よく見てなさい、わからなかったら言ってね”


 と言って、紙の上でゆっくりと解いてくれるのがソヨ。


 ソヨが書いていることをフタバが説明してくれるのでとても分かりやすい。一人の時は全く理解できなかった問題も、二人の先生に教わったら難なく解けるようになった。二人は頭がいいのだ。


「ありがとう」“ありがとう”


「どういたしまして」“ふふ、感謝なさい?”


 そう言って、双葉は笑顔を見せてくれた。それを直視すると、なぜだかトクンと胸が跳ねるのだ。顔に熱が集まる。

 この笑顔の主はフタバなのか、ソヨなのか。答えは両方だ。フタバの笑顔でも、ソヨの笑顔でもある。でも私は、そのフタバの部分にちょっとした照れくささを覚える。


“またカユウったら顔赤くして。変なの”


“気にしないで、なんでもないの”


 そう返すが、親友のソヨにその言葉が通じるわけがないと私は分かっている。というより、信じている。


“……なんでもない、ね”


 そう言って、ソヨがニイッと笑った。これはソヨだ。フタバは関係ない、ソヨの笑い。それに返すように、私は“なに疑ってるのよ”という怒りの表情と、それは冗談だよという意味の笑みを混ぜたものを顔に作った。


「カユウ、国語は得意だよね?」


 不意にフタバの言葉。


「うん、何か教えてほしい?」


「品詞が全くわからないんだよね」


「なるほどー」


 フタバがそういうので、私はソヨに訊いてみる。


“品詞とか大丈夫?”


“げっ、ワタシの苦手なところドンピシャじゃない”


“教えてあげようか?”


“お、お願いします……”


 というわけで、二人に品詞について教えてあげた。


 今日はその後も、ずっと勉強をしていた。何時間かそれを続けた後に、もう今日は終わりにしようと三人で話をつけた。


「あー、疲れた!」


 フタバはそう言いながら、思いっ切りベッドに倒れた。ボンッ、と小さな爆発のような音を立ててシーツがシワを作った。


「ふぁぁ……ねっむ」


「私も。勉強したら眠くなるよね」


「んー、だよね……」


 フタバは大きくあくびをする。ぐあっ、と開いた口を閉じてから、ソヨが天井を見つめながら手を動かした。


“カユウ、眠くない?”


“うん、眠い”


 そう答えた。それで、気がついたら手首をソヨに握られていた。そのまま、ぐっと引っ張られる。ソヨの隣に、私も寝転ぶ姿勢にさせられる。


“少し寝ちゃいましょ”


“え、あ、うん……”


 とりあえずそう答えた。だが、そうもいかない。だって、ソヨの隣でもあるけど彼の隣でもあるから。男の子の隣で寝るなんて……だから、私は口を動かした。


「フタバー?」


「……」


 しかし、呼び掛けには無返答。


「おーい、フーターバー」


「……」


 耳を研ぎ澄ますと、スヤスヤという安らかな寝息が聞こえてきた。どうやら、フタバとソヨはもう寝てしまったらしい。相当疲れてしまったのだろう。


 さて、これからどうしようか。


 このまま寝てしまうわけにはいかない。だが、私も疲れているのでこのベッドの感触がなんとも気持ちよくて離れる気にもならなかった。


 少し高そうなシャンプーの香りがする。恐らく、ソヨが使っているものだろう。その香りがベッドに染みているのだ。


 その香りを嗅ぐと心が安らぐ。だが、それと同時にドキドキと落ち着きがなくなるのも事実だ。


 理由はなんとなくわかっている。


 きっと、私がその香りをフタバのものだと思っているから。




 好意を寄せる男の子の香りだから。




 自分のことをわかってくれるお友達って、とっても大事。


 私はそう思う。私の中のその人はソヨだ。なんだって、悩み事はソヨに相談した。彼女は聞き上手で、私の悩みを簡単に解決してくれた。


 でも、今のこの感情は彼女にも相談できない。


 だって。だってだってだって。


 男の子と、もう一年ほど親しい仲でいる。特別な事情だとしても、彼と手が触れ合ったり肩が擦れたりする。同じベッドに座って、楽しくお話する。


 私だって女の子だ。それなりにお年頃だ。


 好きな男の子ができたっていいじゃない。


 でも、彼は彼女でもある。友達としての付き合いは切り離して考えられても、身体はひとつしかない。フタバとソヨは一心同体ならぬ二心同体なのだ。

 ソヨは大切な友達だ。彼女以上の友達は今後一生できないと思う。

 フタバも大切な人だ。友達だけど、今の私にはそれ以上に、という話である。


 これが、みんなちゃんと身体を持ってたら。私はソヨに、“好きな人ができちゃった”と相談する。きっとソヨのことだから、“勇気出して当たって砕けろ”とでも言ってくれるんだ。


 でも、現実はそうじゃない。フタバはソヨで、ソヨはフタバで。私は私だ。



 隣のフタバはスヤスヤ寝ている。でも、それはソヨでもある。その唇に手を触れてみたくなるが、それは好きな男の子だけでなく親友の女の子にも手をかけることになるのだ。


“……フタバ、私どうしたらいい?”


 寝ている彼に、聞こえるはずのない手話でそう問いかけてみた。

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