2-ソヨ

 おばちゃんがワタシの部屋に入ってきた時は何事かと思った。いつもはなぜか入ってくる前に予知できたのに、今日はいきなりだったから椅子から転げそうになった。


“お客さん”


 最初はおばちゃんが何を言っているのかワタシにはわからなかった。ワタシにお客なんて一度も来たことがない。そもそもワタシに用事がある人なんていないと思っていた。


“あなたとお友達になりたいんだって”


 ますますわからない。もっとその話を聞きたかったが、おばちゃんはそそくさと部屋を出ていってしまった。頭の中がはてなマークだらけなので、落ち着こうと思ってヘッドホンを頭につけ、CDを再生する。心地よい振動が頭に伝わってきた。そのままドアを見つめる。


 そのドアは急に開いた。驚きはしなかった。

 ドアの前に立っていたのは、長い茶髪の女の子。ワタシと同じくらいの年齢だろう。可愛らしい顔つきをしている。目が合って、向こうが赤面するのがよくわかった。そして彼女は手と指を動かす。ワタシにはその意味が理解できた。


“こんにちは はじめまして”


 それには驚いた。ワタシはワタシ以外でこのコミュニケーションが取れる人間をおばちゃんを除いて知らなかったのだ。慌てて返事をする。


“はじめまして”


 相手の顔が明るくなる。明るすぎて、眩いという表現が正しいかもしれない。彼女は嬉しそうに手を動かした。


“私、カユウって名前。耳が聞こえない”


 なるほど。ワタシと友達になりたいという理由が一瞬でわかった。この子はワタシと同じなのだ。


“同じね。ワタシはソヨ。よろしくね”


 こんなに明るい笑顔を見せる人は初めて見たかもしれない。カユウはそれはそれは嬉しそうに笑うのだ。尻尾がついていたら、ちぎれんばかりに振っているだろう。


“ソヨ?双葉フタバじゃなくて?”


“そう、双葉ソヨ。カユウ、漢字はどう書くの?”


 ワタシの質問に、ズボンのポケットからメモ帳を取り出してそこに文字を書いてくれるカユウ。メモ帳を携帯してる同い歳なんて、ワタシ以外に見たことない。恐らくは筆談用だろう。それを見て思う。


 ああ、ワタシと一緒なんだ。


 こんなに嬉しい気持ちになったのは久々だ。正直、今も頭に付けっぱなしのヘッドホンを貰った時より嬉しい。そんなことを考えていると、カユウが今書いたばかりの漢字二文字を見せてくれた。


“これでカユウって読むの?”


“ヘンテコでしょ”


“苗字みたいだね。悪くないと思うけど”


 特別奇麗というわけではないが、そこそこ整った字。書かれていたのは、『赤』と『熊』。『赤熊カユウ』だ。ワタシには見覚えのある文字列だった。だから訊いた。


“トリトマって知ってる?”


“なにそれ?”


 わからないらしいので、立ち上がって本棚に近づく。迷いなく一冊の分厚い本を取り出した。ずっしりとした重量が、運動不足の女の子にはキツい。

 後ろについてきていたカユウに、その表紙を見せてみた。


“お花の図鑑?”


 ワタシは両手が塞がっているので、首を縦に振って返した。そのまま顎で合図してカユウをベッドに座らせる。ワタシもその横に座って、膝の上で図鑑を開いた。目次から目的のページを割り出し、そこを開いて見せた。カユウが不思議そうな顔をする。


“シャグマユリ?”


“そう、別名トリトマ”


 シャグマユリというのは、名前にユリとついているが百合らしくない花だなとワタシは思う。初めて見た時に感じた印象を包み隠さずに表現すれば、「つくし(火属性)Lv100」といった感じだ。単子葉類は面白い花が多いなぁと思う。

 大きくカタカナでシャグマユリと書いてある下を指でさす。カユウが目を見開いた。


赤熊シャグマ百合ユリ……私と同じ”


“そう、カユウと同じ漢字でしょ?”


 鼻を鳴らして笑って見せた……かった。鼻の鳴らし方なんてわからないので、自慢気な笑顔を見せることしかできない。そもそもそんな顔をできている確証もないが。こうやって会話するような事はとても久しぶりだ。おばちゃん達を除いて。


“花、好きなの?”


“大好き。耳が聞こえなくても楽しめるでしょ?”


 そう話したのだが、カユウはポケーっとしていた。ワタシの顔を見つめている。なんだか気恥しい。


“どうかした?”


“気を悪くしないでほしいんだけど。なんで耳聞こえないのにヘッドホンしてるのかなって”


 その言葉で意識した瞬間、頭から垂れたコードが手に触っている感触に気がついた。あーこれね、と外してみせた。


“花火が上がった時、体に振動が来るでしょ?”


“うん”


“アレって音が関係してるんだって、知ってた?”


“引きこもりだから知らない”


 可愛い顔で平然とそういうので、ついおかしくなってしまった。冗談と受け取って笑ってあげたのだが、カユウは頬を膨らませていた。


“あの振動みたいなのを、このヘッドホンで感じられるのよ”


“楽しそうだね”


“付けてみる?”


“いいの?”


 こうやって話していると、昔からの知り合いみたいだ。カユウとワタシは気が合うと思う。彼女のことはよく知らないが、これから知っていきたい。今日は、あとどのくらい話していられるだろうか。また来てくれるだろうか。


 ワタシは友達なんていないから、人との接し方はよくわからない。上手くいかせる方法を知らない。


 だから、ちょっとだけズルをすることにした。


“次に会った時に聴かせてあげる”


 指を動かした後、気がついたらヘッドホンが耳の上に乗っていた。口実って大事。


“次?また会ってくれるの?”


“もちろん。カユウみたいに話せる人、初めてだもの”


“私も。改めてよろしく、ソヨ”


“こちらこそよ。カユウは好きな物とかある?”


“私はね……”


 その後も、たくさんカユウとお話した。こんな感想を言うと少し恥ずかしいが、率直にいえば楽しかった。人生で一番会話をした日かもしれない。


 カユウが部屋から出ていった後に、窓を開けて外を見ていた。車に乗るのが見えたので、たくさん手を振った。長い髪を揺らしながらこちらを振り向いたカユウはそれに気がついたらしく、手を振り返してくれた。


 また来てくれるらしい。


 自然と口角が上がった。落ち着かないので、無意味に点字の本を指でなぞって遊んでいた。

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