1-カユウ

 自分のことをわかってくれるお友達って、とっても大事。


 私はそう思う。

 好きなことでも、抱えてる悩みでも、何か理解してくれる人がいると心の支えになるはず。こんなこと考えてるのは、自分だけじゃないんだと再実感するのはとても嬉しいだろう。多分。


 多分、というのは、私がまだ『共感者』に出会ったことがないから。

 それもそのはず。まだ十二歳の私だが、私と似た道を歩んできた人なんて、そうそういないということがよく分かる。


 まず、私は捨て子である。生まれてすぐに、私が『家』と呼ぶ施設に捨てられたのだ。私のように、親のいない子たちが集まって生活する場所だ。みんなが家族で、みんなが友達。そんな場所だった。


 しかし、私に友達なんていない。

 理由は簡単、人とお話できないから。人見知りとか、そういう話ではない。根本的に無理だったのだ。


 私は耳が聞こえない。生まれつきだ。おそらく、そのせいで肉親に捨てられたのだろう。

 そして、生まれつき耳が聞こえない私は言葉を話すことができなかった。幼い私は、言葉を聴いて学べなかったのだ。話す事のレッスンもやらされたが、馬鹿馬鹿しくてやめてしまった。

 おかげで、コミュニケーションができない私は、幼い頃に軽いいじめにあった。今思い返せばどうとないことだった。だが、小さな私はそれを乗り越えて他人と交流するよりも、一人でいた方がいいと判断してしまったのだろう。


 そうやって、関係を断って断って絶った先に今の私がいる。


 今、揺れる車内で文庫サイズの小さな小説を読んでいる私はそうやってできあがったのだ。自分でも辛い経験をしているなと思う。そんな悩みを共感してくれる相手がいるだろうか。この本みたいに、私に何かを与えてくれる友人ができるだろうか。



 ……。



 しかし、いるかもしれないのだ。だからこうして、不登校で引きこもりの私がわざわざ外に出て車に乗っている。施設の大人が教えてくれたのだ。


 耳が聞こえなくて、両親を失った同い歳がいるということを。


 何より『共感者』を求めていた私は、その情報に飛びついた。考えてみれば、今どきビデオ通話などでやりとりできたのだが、私は面と面で会話したくて出かけることを決意した。彼女も施設に暮らしているらしい。


 どんな話をしよう。手話で話せる相手なんて、私の世話をする職員以外に出会ったことがない。筆談なら誰とでもできるが、流れるような会話とはいかないのだ。


 手話で私の名前を呼んでくれる友達ができるかも。私の、カユウという名前を。


 心が踊っている。車の振動で揺れているわけではない。


 楽しみだ。緊張もしている。

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