第4話『ヒロイン』



「......で、なんで明日香がこんなところにいるんだ?」

「それは説明すると長くなるんだけれど......そもそも君はここがどこだかわかっているのかい?」

「ええと......死後の世界?」

「君視点ではそうだろうね。もろもろを割愛して端的に話そう。ここはとある神の部屋だ。ついでに君の夢の中でもある」

 夢の中......訳が分からない。

「とある...?君は神じゃないのか?」

「神というより、“名瀬明日香”は神の依り代だよ。とある女神の権能を宿した哀れな女子小学生。......なんてね」

 そう言うと一瞬、自嘲気味に微笑んで。

 その弱気な感情を、愁いを帯びた瞳を。すぐさま表情から消した。

 ......そんな大人の顔を、彼女にだけはしてほしくなかった。

 気丈とか、毅然なんて言葉を体現したような、少女だった。

 いつも冷静で、それでも感情の大切さを痛いほど知っていて。

 それを殺すなんてこと、ありえなかった。

「神がいるなら殺してやりたいって嘆いてた、お前......が......」

 言いかけて、思い出して、口をつぐむ。

 寒い夜の高架下で、初めて彼女の涙をみた日。

『子供のまま大人でいたい』と嗚咽を洩らしていた。

 けれど明日香は変わった。いや......きっと、変わらざるを得なかった。

 変わらないでいるために、避けて逃げて閉じ篭ったおれとは違って。

 彼女が姿を消した夏、一体なにが在ったのか。

 知りたかった、けれど。耳をふさいで、目をとじて、在るはずのことも無かったことにしてきた。そんな奴に、彼女の歴史に立ち入る資格なんてない。そう、自分に言い聞かせる。

 また、目を閉じたまま。耳を塞いだまま。......選ぶことから逃げたまま。



「......昔話は後にしよう。時間もあまりない」

 眉間をつまむと、目をぱちぱちと瞬かせる。集中力が途切れそうになった時の、明日香の癖だった。

「“あと”があるのか?」

「それは君次第だね。結論から言おう。あの世界を滅ぼしてきてくれ。つまり、世界を救ってきてくれ」

 クレイジーな台詞が音速で飛んできた。言葉のスケールが紛れもなく神だった。家に帰れたら『つまり』の意味でも調べよう。

「異世界転生、とか聞いたことあるだろう? ちょうど君が二十歳のころに全盛期を迎えているはずだ」

「ああ......え、この状況ってそれ?」

「似たようなものだよ。詳細は割愛する」

 割愛してばっかだなお前......。

「難しく考えることはない。君が、最後の異世界転移者というだけの話だ」

「......話が大ごとになってきたな」

「最初からこの物語は大ごとだよ」

「ちょっとイラついてる?」

「......いいからさっさと儀式済ますよ」

 眉間にしわを寄せた女子小学生?にぐいぐいと手を引かれてゆく。

 何もない空間に連れてこられた。もともと椅子とテーブルくらいしかないけど...。

 というか部屋という割には壁が見当たらない。見上げたら天井もない。いや、正確に言えば多分、果てがない。

「儀式ってお決まりの......チートスキルゲットだぜ!みたいなあれか」

「......」

「なんで黙るんだよ......」

「残念だが......あの頃とは状況が違うんだ。いわゆるチートスキルを与えてやれるほど、信仰がない」

「あの頃って......今でも異世界なんちゃらはネット席巻してるけどな」

「時間軸が違うんだ、君のもといた世界とあの世界は。文明のレベルはまるで逆だろうけど......」

「............あっちが未来ってことか?」

「相対的にはそうなるかな。昔、とある転生者が神をも超えた。超えてしまった。大した信仰もなしに、時空に干渉するくらいにね。そいつが君の世界とあっちの世界をめちゃくちゃに縫い付けてしまった。当時の神々が気づいた頃には、時間と空間の糸が絡まったりほつれたり酷い有様でね。ついでに信仰まで大幅に削がれた。まあ触れることもできない神様よりも、目の前で世界を救ってみせた英雄のほうが人気だったって話だよ」

「......話が長くなってしまった。あの世界を滅ぼせっていうのはつまり、さっき言った“糸”を切ってくれってことなんだ」

「......それが救うことになるのか?」

「滅んだ世界は、“糸”も滅ぶ。切り離された世界なら、パッチワークみたいにまた繋げられる。神が時空の糸をチョキチョキできればよかったんだけど......」

「......信仰が堕ちてそれもできない、と」

「理解が早くて助かる。......それと、勘違いしないでくれ。君が救うのは世界であって、人々じゃない。一度世界が滅べば当然、そこに在る命も消える」

「......人のいなくなった世界を救うことに意味があるのか」

「......蒙昧だね。視座が低すぎる。......神々の事情に人間の視点で首を突っ込んでも仕方がないよ」

 辛辣な台詞とは裏腹に、泣きそうな顔で彼女は続ける。

「君は......英雄にはなれない」

 そう言ってうつむく明日香に、かけてやれる言葉なんてない。

 だから黙ってうなづいて、中腰になって目線を合わせた。

 それに気づいて、顔を上げる。毅然とした表情を繕うその瞳は、心なしか潤んでいるように見えた。

「説明はわかった。あとは任せとけ」

「......ふふ、なに格好つけてるんだ。ヒキコモリのくせに。それにスキルもまだなのに」

「忘れてた。それって抽選か何かで選ぶのか?」

「いや、今は......触媒みたいなものが必要なんだ。なるべく君と繋がりの強いものがいい。何か持ってないか?」

 ポッケを漁る。ライターに......煙草に、目薬に......睡眠薬。

「この中だと、ライターかな......。なんだかんだで5年くらい使ってるし」

「zipp●か。五年前の君は確かまだ未成年じゃn」

「いいから早くしてくれ。時間ないんだろ?」

「ああ、今やる」

 彼女がzipp●をてのひらで包むと、一瞬青く光った。

 思わず細めた目を、見開く。

「えっ......何も変わってないような......」

「これでいいんだよ。ほら、いってらっしゃい」

 何の変哲もないライターを返される。仕方なく受け取った瞬間、足元に真っ黒な穴が開いた。

「......行ってきます」

 そう言い終えるとみるみる体が吸い込まれてゆく。

「●●●●●●」

 何か言ったのか......?

 ......聞こえないって......。


 肉体が溶けてゆくような感覚。意識だけが。闇を進む。


 彼女の瞳にあの頃の強さをもう一度灯してやりたい。ほかでもない、おれ自身のために。

 前じゃなくてもいいから。ここじゃないどこかに進むために、あの篝火が要る。


 

 きっと恋ではない。たとえば朝焼けをきれいだと思うように。

 ーーーー幼稚過ぎるほど、あの頃のきみに、今でも憧れている。


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