第12話 伊都もソレは初めての事なのです





 ……。


 ……。


 …………お茶をご用意致します。



 そう、一旦は席を外した滝川が、再び部屋に戻って来るまで。部屋着姿の舞香は、意気消沈した様子で何も語らなかった。


 それは、彼女の友人でもある華子の姿を目にした時も同じ。ちらりと、横目で存在を確認しただけで、何も言わなかった。


 どうしてココにいるのか……それすら尋ねようとはせず、黙ったままこの部屋のなかにある唯一の椅子(勉強机のやつだ)に腰を下ろしていた。


 その姿を……伊都を除いた誰もが、複雑な顔で見つめていた。考えるまでもなく、当たり前のことであった。



 何せ、舞世の事で悩んでいたのは舞香だけではない。



 有事の際は協力して連れ戻すことがあるとはいえ、ある意味、蚊帳の外に置かれる形となっているのは、舞香以外の全員なのだ。


 咎めるような色合いこそ無いものの、自然と……視線の中に疑念が入り混じるのは、仕方のないことで。部屋に戻ってきた滝川からお茶が振る舞われた後も、それは変わらなかった。



 ……誰も、何も、口を開かない。当人である舞香が黙っているからだ。



 けれども、真人たちは何も言えなかった。何を尋ねれば良いのか分からなかったし、何よりも……3人の視線が、伊都へと向けられた。



「……舞世さんの肌に記された文字。私の間違いならば謝罪致しますが……アレは、『反魂(はんこん)の術』ですよね」



 ――『反魂の術』。



 それは、黄泉(よみ:あの世の事)へと渡った魂を現世(うつしよ:この世の事)へと呼び寄せる術の事だ。


 呼び方は様々だが、その本質は一つ……すなわち、死者を生き返らせるという類の術であり、非常に危険を伴う……話を戻そう。


 集まる視線の最中、舞香が自ら話し始めるのを待っていた伊都だが、全員の手にカップが行き渡ってもまだ唇を閉じたままの様を見て、考えを改める。


 根気強く待っても良いが、今日は月の出ない日だ。


 伊都にとってはよろしくない日なことに加え、何時までも黙られていては話が進まない。助け舟というわけではないが、伊都から話を振った。


 それがキッカケになったのか、たまたまなのかは定かではない。


 だが……ぼんやりと湯気立つティーカップに視線を落としていた舞香が、部屋に入ってから初めて顔を上げた。



「どうして、そう思ったの?」

「幾つか読める部分が有りましたので。『冥府へと渡った魂が帰る場所』なんて書かれていれば、自ずとどのような術なのかが分かりますよ」

「……凄いな、伊都ちゃん。そういうのも分かっちゃうんだ」

「……? はて、私が転生した者であることは、貴女も人伝で知っていますよね?」

「――あは、あははは、そう、そうだった。そうだよね、神様に仕えていたんだもんね。霊能力者がいるってのは知っていたし分かっていたけど……」

「半信半疑、でしたか?」

「うふふふ、違うわよ、そんなの全く疑っていなかったわ。最初はそうだったとしても、あの車の中で……伊都ちゃんは本物だって分かっていたわ」

「……ならば、何故?」



 伊都からすれば、それはとっくの昔に知られていることだと思っていた。だから、今更そんなことを言い始めた舞香に、伊都は小首を傾げた。



「霊能力者だというのは疑っていなかったわ。でも、舞世が半分だけ死んでいるところまで分かっちゃうのまでは……ねえ、どうして半分だけ死んでいると思ったの?」

「魂が半分しかありませんので、そう思っただけです」



 調べた結果をそのまま口にしただけなのだが、「……本当に全部、分かっちゃっているわけね」舞香ははっきりと苦笑した後……己を見つめる真人たちを見つめる。最後に、華子から頷かれたのを見やった舞香は……ぽつぽつと、秘めていた隠し事を語り始めた。



「私ね……実は、幽霊を見たり話したりする事が出来たんだ」

「え、それは……」

「あ、勘違いしないで。見る事や話す事が出来たっていっても、私がそれを出来たのは……妹の、舞世に対してだけよ」



 舞世の……どういうことだろうか?



「何て言ったらいいのかしら……そうね、舞世はね、幼い頃から『幽体離脱』ってやつが出来たの。それが本当に幽体離脱なのかは私にも分からないけれど、本とかで見た限りだと、それが一番近しいんじゃないかしら」



 そこで、ちらりと舞香の視線が伊都へと向けられる。いや、舞香だけではない。

 暗に説明を求める全員の視線をまっすぐに浴びた伊都は……ふむ、と頷いた。



 ――『幽体離脱』



 諸説は様々だが、『幽体』というのは魂の別称であり、要は、魂が肉体より離れている状態を差す。基本的に、肉体が死を迎える以外で、魂が肉体より離れる事はない。


 魂を失った肉体は、物言わぬ肉塊でしかなくなる。反対に、肉体を失った魂は長くこの世界に留まることは出来ない。どちらもその状態が長く続けば、待っているのは互いとも……破滅である。


 肉体と魂は、それほどに密接な関係なのだ。だからこそ、よほどの事が起こらない限り、この二つが離れることはないのだ。


 だが……極々稀にではあるが、例外というものが存在している。


 おそらく、舞世はその例外であり、肉体から魂が抜け出やすい体質なのだろうと伊都は推論を述べた。



「おそらく、舞香さんが妹さんの幽体を確認出来たのは、同性かつ血の繋がった姉だからでしょう。良い意味でも悪い意味でも、血の繋がりが有る相手とは波長が合いやすいですから……しかし、舞世さんのその体質はいったい何時から?」

「はっきりとは分からないけど、あの子が……だいたい、生後半年ぐらいから」



 半年……その言葉に、「――それなら、生まれつきでしょう」伊都はあっさり言ってのけた。



「これまでにも何度か魂が抜け出たことが有ったのでしょう。それが、一年前のその日にも起こった……が、その日に限って違う事が起こった……と?」



 伊都の問い掛けに、舞香は……静かに、頷いた。



「あの日、私は舞世の部屋に行った。舞世が、私の部屋からラッキーの首輪を持って行ったから……」

「『らっきー』?」

「うちで飼っていた犬の名前。ゴールデンレトリバーで、一年と半年前に亡くなったの」



 ……それは、もしかしてあの写真の犬なのだろうか。


 伊都の脳裏に浮かぶのは、幼女と犬が写っていた、あの写真。傍の真人へと真偽を尋ねれば、「その写真は、舞世とラッキーのやつだ」補足の説明をしてくれた。



「もう御歳だったし、亡くなる半年ぐらい前には色々と……私は覚悟を出来ていたけど、まだ小学生の舞世にはそれが出来なくて、よく私の部屋からラッキーの首輪とか色々持ち出して……」

「寂しさを、紛らわせようとしていた?」

「たぶん、そう。私も捨てることは出来なかったし、でも、だからといって舞世の傍に置いておくと、思い出して辛いだろうからと思って……だから、咎めはしなかった。持ち出されたその日も、特に気にすることなく舞世の所へ行ったの……そしたら」

「舞世さんが、幽体離脱をしていた、と?」



 一つ、舞香は頷いた。



「その時の私は、特に何も思わなかった。だって、それまでにも何度か目にしていたし、私にしか見えないから話したところで無駄だと思っていたから。むしろ、幽体離脱をしている時、身体の方は寝ているから持って帰るのが楽になると思っていた……でも、あの時は違った」



 ちゃぷん、と。舞香の手が握り締めているカップの水面が、ゆらりと揺れた。



「何時もは目を瞑って漂っているだけなのに、突然、幽霊の方の舞世が目を開けて、ラッキーって名前を呼んだの。私、幽霊の方でも言葉が出せるなんて知らなくて……それで驚いていると……いきなり、舞世が二人に別れたの」



 こう、舞世の身体から、舞世がにゅうっと飛び出した感じ……そう、身振り手振りで舞香は説明した。



「気付けば、一人は身体の方に戻って、もう一人は……窓から外へと飛び出して行った。その時の私は、何が起きたのかまるで分からなかった」


「何故かは分からない。とにかく物凄く重大な何かが起こってしまったということだけは分かって……我に返った私は、急いで舞世を起こそうとした」


「でも、舞世は起きなかった。揺さ振っても声を掛けても、何の反応も……だから、私は大声を出して家族を呼んだ。とにかく、医者に見せようって思って……でも、無駄だった」


「身体には、何の異常もなかった。代わりに、統合失調症に近い重度の精神病だと診断が下された……でも、違う。私は、私にだけは、舞世の身に何が起こっているのかが分かっていた」


「あの、残りの半分が何処かへ行ってしまったから……その半分が戻って来ない限り、舞世は元に戻らない。半分生きて、半分死んでいる……それが、今の舞世の状態なんだってことに、私はすぐに気づいた」


「だから、私はいなくなった舞世の行方を探そうとした。心霊だとか、オカルトだとか、そういうのを片っ端から調べて、手掛かりを掴もうと必死になった……でも、駄目だった」


「とにかく色々集めて、色んな自称霊能力者を呼んだ。イタコだ何だと名乗る怪しいやつを呼んで、半分になった舞世をここに呼ぼうとした……でも、駄目だった」


「……その時ぐらいかな。うちに、心霊現象ってやつが起こり始めたのは」


「最初は、戻ろうとしている舞世がしているのだとばかり思っていた。でも、違った。いくら探しても、舞世の姿が見えなかった……だから、ある日、思ったの」


「もしかしたら、コレは半分になった舞世の身体を狙っている、他の幽霊……悪霊って呼ばれるやつのせいじゃないかって……だから、私も最初は舞世を守ろうとした」



 守ろうとした……その言葉に、ハッと目を見開いて反応したのは誰が最初だったか。



 その中で最初に動いたのは、いつの間にかクローゼットから鞄を引っ張り出していた華子であり……無言のままに華子が鞄を開ければ、大量の紙切れ(御札)が露わになった。


 その御札の一部に関しては、伊都にも見覚えがあった。


 最初に舞世と遭遇した後で乗せてもらった車の中で、暴れ出した舞世を抑えようとして使われたやつだ。なるほど、最初から使い続けていれば、あれだけの札が有っても効力は切れよう。



 だが……それならそれで、逆の疑問が出て来るのを伊都は感じていた。



 妹を助ける為にオカルト……特に心霊に関することを研究したのであれば、使い続けた札はいずれ効力を失う事は分かったはずだ。


 一枚が高価だとしても、こんな豪邸を抱える資産持ちの娘だ。未成年であるとはいえ、大事にされているのは一目瞭然。



「……でも、ある日思った。悪霊から舞世の身体を守る為に御札を使ったら、それじゃあ、肝心の舞世が身体に戻れなくなるんじゃないか……って」

「……だから、わざと使えない札を使用した、と?」

「使えないかどうかは知らなかったわ。ただ、普通よりは弱いだろうとは思っていた。舞世が戻るのを邪魔しない程度に……そう、思っていた」



 なるほど……伊都は頷いた。



「妹さんに貼り付けた札を破ったのは、やはり、舞世さんが戻れなくなる事を危惧してですか?」

「……そうよ。伊都ちゃんが本物だってのは分かっていたし、そんな人が作った御札なんて使って、舞世が戻れなくなったら……って、思ったの」



 伊都の疑問に、舞香は隠すことなくため息と共に答えてくれた……それを見て、「どうして、相談してくれなかったんだ?」思わずといった様子で真人が声を掛けてきた。



「相談なんて、出来なかった」

「――どうしてだ?」

「私自身、どう相談したらいいか分からなかったから。仮に、舞世の魂が半分だけどっかに行っちゃった……って話したら、お兄ちゃんは……それは大変だって、言ってくれていたかしら?」



 口ではそう言っても、心の何処かで……私の正気を疑ったよね?



 続けられたその言葉に、真人は言葉を失くした。いや、真人だけでなく、滝川も、華子も……それを見て舞香は「――気持ちは、分かるよ」大きく、ため息を零した。



「私だって、舞世の事が見えていなかったら、同じ事を思っていたもの。お父さんもお母さんも全面的に協力してくれているけど……それは、舞世の為じゃない。私の気が済むように、私が……妹の現実を受け入れるまでを想ってしてくれているだけで、二人とも……舞世のことは諦めちゃっているから」

「そんなこと……!」

「分かるよ、だって二人の娘だもの。お兄ちゃんは鈍いし、あえて気付かないフリをするから分からないけど……お父さんもお母さんも、もう死ぬまで舞世がこのままなのも覚悟しているのが私には分かっていた」



 だからこそ、二人にだけは何も言えなかった。中途半端な期待を持たせるのは、辛いだけだから。


 ……そう、言葉を続けた舞香は……ちらりと、華子を見やった。



「華子も、そう」

「わ、わたし?」

「そうだよ。だって、ある意味だけど私より可愛がっていたの、華子の方でしょ。だから、華子にも言えなかった……話したら、私以上に取り乱すのが分かっていたから」

「そんな……そんなの……」

「ほら、もうどうしていいか分からなくなっているじゃない。だから、隠しておこうと思ったのよ」



 目に見えて落ち込む華子から目線を逸らした舞香は……改めてと言わんばかりに、「これで、貴女は満足かしら?」伊都へと向き直った。



 その目つきは、御世辞にも友好的とは言い難いものであった。



 ――まあ、それも当然だろうと伊都は思った。



 何せ、客観的に今の状況を見るのであれば、だ。


 妹を助けてくれた恩人であるとはいえ、勝手に(妹の部屋とはいえ)部屋に入り、妹の身体を調べ、そのうえで、隠していた事を洗いざらい白状せざるを得ない状況にしたのだ。


 しかも、本来であれば頼りになる家族を仲間(という言い方も、何だが)に引き入れただけでなく、友人まで上手い事引っ張り込んでいる。


 舞香の目線からすれば、一夜にしていきなり周囲の全員が敵に寝返ったに等しい状態だ。


 そりゃあ、恩人相手であろうと機嫌が悪くなって当たり前だ。仮に伊都が彼女の立場であったなら、嫌悪……とまではいかなくとも、相応に気分を害していたところだ。



(……この人は、一人で抱え込んでいたのですね)



 それに、そうでなくとも、伊都は怒らなかっただろう。この一年間、舞香がどんな思いでいたのかを思えば、怒りなど湧くわけもなかった。


 誰にも相談出来ないまま、『このまま妹が完全に死ぬまで』という直視しなければならない予感から目を逸らし、ただひたすら妹を治す方法を模索する日々。


 誰よりも、その可能性に怯えていたのが彼女なのだ。表面上は明るく振る舞ってはいたが、内面では相当に追い詰められていたのが分かる。


 何せ、そういう『力』を持つと分かっている伊都をも遠ざけようとして……これまでと同じく秘匿し、相談すらしなかったのだ。


 おそらく、これまで彼女が応対してきた『霊能力者』にそれとなく話はしていたのだろうが……結果は、想像するまでもないだろう。


 伊都ですら、こうやって直接触れて、集中して霊視をしなければ分からなかったのだ。並の霊能力者では、まず気付くことは不可能だ。


『魂が二つに分かれている』などというのも神々の領域でしかなく、人の身でそれが起こるなんて、長き時を経た伊都ですら耳にしたことが……ん?



 ――いや、待て。それは変だぞ。



 それは、伊都自身にも上手く言葉では説明出来ない、ある種の直感。あるいは天啓……脳裏を過った、強烈な何かであった。


 けれども、その直感が伊都の身体を突き動かした。


 考えるよりも前に、伊都は再び下駄を脱いで舞世の身体に馬乗りになり、霊視を行っていた。「――っ!?」これには舞香も驚き、伊都を引きずり下ろそうと手を伸ばした――が。



「――舞香さん。確認のうえでもう一度尋ねますが、妹さんが今の状態になってからこれまで、一度として消えた半分が戻ってきたことはないのですね?」

「……ええ、そうよ。それが?」



 それよりも早く質問されたことで、その手を止められた。けれども、舞香の唇から吐き出されたその声色は低く、怒りを滲ませていたが、「まず、事実を幾つか述べます」伊都は霊視を続けたまま……舞香たちに告げた。



「舞香さんが危惧している通り、このままでは遅かれ早かれ妹さんは死にます。というより、今もこうして生きているのが不自然なぐらいです」



 ひゅう、と。舞香の喉が鳴った……構わず、話を続ける。



「肉体という器と、それを満たす魂が揃って初めて、人は人として生きられるのです。どちらが片方でも欠ければ、必ず死ぬ。何処かへ消えた魂も、残された魂も……例外は、存在しない」



 ――ですが、その例外がここにいる。



「なのに、何故か舞世さんは生きている。言葉すら分からなくなって、知性すら失われていようとも、心の臓が動き、手足も動いている。奇跡的に、半分だけの魂が半分だけ身体を維持している……そう、私は考えていた」



 ――だが、違う。それなら、肉体はもっと酷い有様になっている。半分ではあるけど、半分じゃなかったのだ。



「魂が半分になっているのではありません。元々、この身体には魂が二つあった。どのような経緯でそうなったかは分かりませんが、二つで一つとなっていた魂が、再び二つに別れた……だから、辛うじてではありますが、身体が生きていられるのです」



「…………え?」



 何を言っているのかが理解出来ない。そう言わんばかりにぽかんと呆ける舞香……と、真人たちを横目に、「……順を追って、説明します」伊都はそう話を続けた。



「『幽体離脱しやすい体質』というのは、確かに存在しています。事実、私もそういう体質の子を見たことはあります。ですが、そういった子は総じて短命で、長くとも大人になるまでに命を落とします」


「――何故なら、肉体から魂が抜け出るというのは、文字通り魂を削ってしまうからです。魂を削るというのは、すなわち、命を削るということ」


「私が妹さんの事を『半分死んでいる』と口にしたのは、何も体質だけではありません。本当に先天的な体質ならば、妹さんはとっくの昔に命を落としている。少なくとも、いつ死んでも不自然ではない」


「――けれども、二つ魂が有るなら話は別。互いが互いを補えば良いのです」


「これで、諸々の説明が出来ます。二つあるからこそ、妹さんは今まで生きて来られた。互いを護る形で……だから、今まで何の問題も起きなかった」




 ……。


 ……。


 …………ああ、誰か止めて。



 説明を続けながら、伊都は、我知らず興奮している己を自覚していた。


 だが、止められない。


 先ほどまでとは違う意味で呆然とする舞香たちを見やりながら、さもありなんと伊都は内心にて己の頭を叩いた。



 ……伊都にとってもコレ(舞世の状況)は、初めてのことだったからだ。



 一つの身体に二つの魂が入っているのもそうだが、それが二つに別れ(というか、元々二つなのだけれども)、一つは肉体に、一つは行方不明になっている。



 舞世の身に起こっている事を大まかに纏めれば、こういうことだ。



 まともに言葉を発せず知性が感じられないのは、肉体を維持するだけで手いっぱいであるから。それでいて、身体に残った方の魂は普段、表には出ていないから。


 あくまで推測だが、飛び出して行ったのは言うなれば表の部分。普段、舞香たちが目にしている舞世の姿が、この部分。


 身体に残ったのは、裏の部分。表に出ることはないが、舞世を影から支えている、言うなれば裏方みたいなものだ。



 それならば、今の舞世がほとんど会話出来ない状況なのも分かる。



 一度として表に出たことがないから、身体の使い方が分からないのだ。生命を維持させることは出来るが、それ以上のことが分からないのだ。


 おそらくは、今の舞世は何もかもが真っ白で、自我が何一つ形成されていないのではないか……そう、伊都は言葉を続けた。



「犬のように振る舞っていたのはおそらく、直前の記憶……その、『らっきー』とやらの犬を模倣しているだけ」


「身体に残った魂も、己が何をしているのかが分かっていない。ただ、妹さんが直前に思った記憶を再現しているだけ」


「犬の霊たちは舞世さんに引き寄せられていたのではなく、思い出の中にいる『らっきー』の振る舞いに引き寄せられていただけなのです」



「……あの、つまり、伊都ちゃんは私たちに何を言いたいの?」



 そこまで話し終えたあたりで、舞香が口を挟んできた。


 その目には先ほどまであった怒りの色はなく、困惑の色がただただ強くなっていて……だから、伊都は率直に結論を述べた。



「まだ、妹さんを助けられるかもしれない。もちろん、危険な状態であるのは事実ですし、今にも肉体が死亡してもおかしくはない。ですが、それでも、諦めて自暴自棄になるのは、まだ早いということです」





「…………え?」





「『反魂の術』を試みたあたり、打つ手無しと考え、その危険性も調べ尽くしているのでしょう? 最悪、自分の寿命を削る覚悟のうえで……それをする必要など、ないのです」



 伊都の言葉に呆けていた舞香の目に……光が、灯る。と、同時に、徐々にその瞳に涙が滲み始めたかと思えば……大粒の滴となって、頬を伝って胸元を濡らし始めた。



「……戻せるの?」



「完全に別々の魂であったなら話は別ですが、互いを補う形で共存していたのであれば可能でしょう。この身体の中にある魂が無事であるならば、それすなわち、行方不明となった妹さんの魂も無事だということです」

「……本当に、ほん……~~っ!!!」


 それ以上、舞香は言葉に出来なかったようだ。両手で顔を隠したかと思えば、その場に蹲るように膝を抱え……そこに、嗚咽を零し始めた。


 一拍間を置いて、我に返った華子が駆け寄って肩を抱き寄せる。途端、舞香は華子に抱き着くと、幼子のように大泣きし始めた。



 ……その声は、この一年間の間に降り積もった様々な激情が込められていた。



 誰にも相談できず、相談したところで信じて貰えないのは分かっていて、けれども家族にも知られたくない。それ故に、彼女はたった一人で妹を助けようとし続けた。


 何時訪れるか分からない『妹の死』に怯えながら、何を調べても、何をやっても、出口への糸口すら見つけられないまま……それが今日、ようやく掴んだのだ。



 ――伊都という、仏の蜘蛛糸を。



 まあ、伊都は仏ではなく半人半神であり、釈迦(ブッダのこと)のように人でありながら『目覚めた人』と成った聖人ではなく、位としてはもっと下の……いや、それはいい。


 とにかく、舞香は泣き続け、その友人である華子は慰め続けた。


 泣き声に反応した館の者たちが何度も部屋を尋ねに来る場面もあったが、それは滝川と真人の二人によって説明され……そうして、舞香が泣き止むまでそれは続いた。


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