第8話 伊都は呼び出されただけなのです




 ……。


 ……。


 …………翌日。何時ものように放課後を迎えた伊都は、その足で舞香が所属するクラスへと向かう。色々と尋ねたいことはあるが、まずは舞世の無事を確認したいと思ったからだ。



 舞世を守る術が今も発動しているのは、伊都も把握している。



 しかし、舞世自身がどのような状態になっているのかまでは分からない。半端とはいえ首を突っ込んだ以上は、それぐらい……という思いが伊都にはあった。


 ――かこん、かこん。


 下駄を鳴らして三階へとやってきた伊都は、さて、と辺りを見回す。放課後すぐということもあって、廊下にはまだ上級生たちが多く残っていて、誰も彼もが着物姿の伊都を横目にしていた。


 伊都が通っている学校は、基本的に学年ごとに階を分けられている。


 つまり、一年なら二階、二年なら三階、三年なら四階という具合だ。ちなみに、一階は職員室を始めとして、家庭科室や化学室といった部屋で統一されている。


 かこんかこんと一本歯の下駄を鳴らしながら、目当ての教室に向かう。


 途中、勝手が分からず道を間違えてしまったが、特に時間をロスすることなく、目的の教室へと到着した。


 彼女……崎守舞香のクラスは3組だ。


 そろりと覗いた3組の教室内には、まだ全体の半数近い生徒がいた。そこから感じ取れる気配に不穏なものはなく、よくある放課後の一時でしかないのは明白であった……ふむ。



 ――教室には、いないか。



 ぐるりと室内を見回した伊都は、目当ての人物がいないことに軽く落胆した。次いで、もしかしたら入れ違いとなってしまったのかと気持ちを改め、傍にいた舞香のクラスメイトに、その所在を尋ねた。



「――欠席している、のですか?」



 だが、結果は思わしくなかった。どうやら、入れ違いというわけではないようだ。



「うん、そうだよ。なんかね、妹が熱を出して心配だから一日休むってさ。舞香のやつ、妹の事となると見境なくなるから」



 そう答えたのは、ふわっと髪がパーマ掛かっている、可愛らしい顔立ちの女子であった。


 たった1歳程度の違いでしかないが、学校指定の制服を纏った彼女は、伊都よりもはるかに大人っぽい見た目をしていた。



「……ていうか、あまり見かけない顔だね。舞香の知り合い?」



 単純な背の高さだけでも、15センチ以上違う。それ故なのか、あるいは無意識なのか。彼女は、そう言葉を続けながら伊都と目線を合わせるかのように軽く屈んだ。


 その視線に、悪意や敵意を始めとした警戒心は全く感じ取れない。恰好が些か奇抜(現代の基準では)とはいえ、相手が自分よりも年下の女子だからだろう。


 これが男子であったならその反応も少し違っていただろうなあ……と、思いつつ。「まあ、家にお呼ばれした仲ではあります」そういって彼女の好奇心を遮った。



「ふ~ん、まあ、私もしばらくは行っていないし、知らなくて当然かな。あ、わたし、朝井華子あさい・かこ。これでも舞香の友達やってます」



 彼女も……朝井華子と名乗った彼女は、それでひとまずは納得したのだろう。「金持ち同士の友達って、やっぱ色々と凄いんだね」些か、誤解を招く納得の仕方ではあったが……まあいい。



 ……せっかくだ、これを利用しよう。



 何がどう凄いのか、そのあたりを無視した伊都は、「唐突ではありますけど、少しばかり良いですか?」これ幸いにと言わんばかりに彼女……華子に尋ねた。



「舞香さんのお友達ということは、彼女の妹さんのことについても知っていますよね?」

「もっちろん。こう見えて、小学校時代からの付き合いです。舞世ちゃんとも何度か一緒に遊んだことだってあるよ」



 舞世ちゃん……そう呼ぶ辺り、本当に仲は良いのだろう。


 よほど親密な付き合いか切っ掛けでもなければ、友人の兄弟姉妹の名前なんて、そうそう憶えてはいないから。



「舞世さんの現状について、何か知っていることはありますか?」

「……ん~、話が長くなりそうね。ちょいと、こっちに来なさい」



 唐突だと前置きはしたが、それですんなり話すとは伊都も思っていない。親しげな雰囲気から一転して、淡い警戒心を見せ始めた華子に、些か強引に手を引かれた。



 抵抗しようとは、思わなかった。



 ただ、手を引っ張られると歩き難い……まあ、いいか。様子を見ていた上級生たちの視線を背中に受けながら、少々早めの歩調で行くこと……数分。到着したのは、保健室であった。


 扉には、『保健師不在中』と書かれた紙が貼られていた。けれども、華子は気に留めてすらいなかった。


 ノックもせずに、華子はがらりと扉を開ける。ぷん、と漂う消毒液の臭い。室内に人の気配はなく、開かれたカーテン向こうのベッドも空であった。



「この時間はいつも保健の先生はいないんだ」



 誰に言うでもなく呟く華子に手を引かれるがまま、伊都はベッド脇に置かれたパイプ椅子に座らされる。次いで、伊都の眼前にてパイプ椅子に腰を下ろした華子は……さて、と改めた。



「そういえば、名前を聞いていなかったね。貴女、名前は? 下級生だよね?」

古都葉伊都ことは・いと。お察しの通り、下級生です」

「そう、それじゃあ伊都ちゃん。伊都ちゃんは、どうして舞世ちゃんのことを知りたいの?」



 ジッと見つめてくる瞳に……嘘を付く気にはならない。伊都は、素直に自分が霊能力者の端くれである(とりあえずは、そうした)ことを伝えた。


 その際、『舞世の事』は口にはしなかった。あれが秘匿されていることなのは分かっていたし、他言するようなものではないからだ。


 まあ、話した所で信じて貰えるとは欠片も思っていない。当然、冗談を言うなと華子から怒声をぶつけられることは想定していた……が。



「あー、うん、なるほど。そういうことなら納得だわ」



 まさか、あっさり信じてくれるとは思わなかった。「……え、信じるのですか?」あまりにすんなり信じてくれたせいで、逆に伊都の方が不信を覚えたくらいであった。



「――言ったでしょ、付き合いは長いの。でも、私は舞世ちゃんが大変な状態になっているってのは知っているけど、何がどう大変なのかは全く知らない。それを、念頭には置いといてね」



 ……それでは、そもそも舞世のことを尋ねる事についての信じる根拠にならないのではないか?



「前にね、一回だけ舞香から相談を受けたの。『妹を助けたいから、霊能力者の知り合いがいたら教えてくれ』ってね」

「はあ、それは……」

「だからってのも変な話だけど、舞世ちゃんがとんでもないことになっているのは、何となく想像はしていたんだ」



 そんな内心が、伊都の顔には出ていたのだろう。「見た目の雰囲気とは裏腹に、分かり易い子だね、伊都ちゃんは」そう呟いた華子の顔には、苦笑が浮かんでいた。



「それにさ、舞世ちゃんの事とは別に、舞香のやつ、一年ぐらい前から霊能力者がどうたらこうたらって感じで凄かったの。最近は、人前で見せるようなことはしなくなったけどね」



 まあ、その代り心霊研究部とかいう部活を一人で作っちゃったけど……と前置きを入れてからの華子の説明は、華子が苦笑してしまうだけの理由があった。



 ――曰く、以前の舞香は病的なまでにオカルトへ傾倒していたのだという。



 比喩抜きで、朝から晩までオカルト一色。二言目には幽霊が、霊魂が、心霊が、だのを口走るものだから、一時は精神に異常が出ているのかと教師陣の間で問題になっていると噂が立ってしまっていたらしい。


 元からそうだったのならまだしも、ある日突然、幼馴染の華子すら予兆に気付かぬまま、前触れもなく、そうなった。そのせいで、当時は色々と厄介な面倒事まで発生してしまったらしい。


 具体的にいえば、元々あった心霊部……当時はオカルト愛好会なるものだったらしいが、彼女が関与したことでソレが壊滅してしまい、愛好会そのものがなくなってしまったというのだ。


 何があったかといえば、彼女の気を引きたい一部の者たちによって、愛好会そのものの活動が不可能になってしまったからだ。



 ……詳細を聞けば、だ。



 今でこそ心霊研究部なるオカルト部を一人で作って(部活設立の為に名前だけ何人かから借りたらしい)活動を行っているが、当時は知識も何もなかった。



 そんな彼女が目を付けたのが、オカルト愛好会であった。



 餅は餅屋にということわざがあるように、彼女は己の無知を素直に受け入れる性質であった。それ故に、彼女は何の偏見も抱くことなく、素直に愛好会に所属した。



 ――それ自体には、特に問題はなかった。それに、オカルト愛好会側にも下心がなかったといえば、嘘になるだろう。



 何せ、舞香は美人だ。特定の彼氏がいないことだけでも奇跡的なのに、そんな子が忌避せず積極的に活動に参加して、色々と忌避せずに話しかけ、尋ねて来るのだ。


 あわよくばとまではいかなくとも、友達ぐらいになれたらと愛好会の者たちが考えるのも不思議ではなかった。


 実際、傍から見れば舞香の気を引きたいのがバレバレではあったが、舞香と愛好会との関係は良好であった。


 気を引きたいが強引に迫る事はない消極的な彼らと、それを分かったうえで心情を理解し、適切な距離感を意識して保つ舞香。


 それはいわゆる美女とキモオタという光景ではあったが、愛好会事態は平穏であった……一部の男女に、目を付けられるその時までは。



 その男女は、言うなればスクールカーストと呼ばれるカテゴリーにおいては、上位にランクインしている男女たちであった。



 彼ら彼女らに、悪意はなかった。だが、同様に善意もなかった。


 つまり、愛好会側が不快に思ったところでどうでもいい。嫌ならお前たちが出て行けばいい……それが彼ら彼女らの本音であった。


 何故なら、彼らにとって重要なのは舞香である。と、同時に、その舞香に想いを寄せる男子たち以外はどうでもいいというのが、彼女らであったから。


 それ故に、彼ら彼女らは愛好会の人達をいない者として扱った。


 舞香の目がある時はそのようには見せず、あくまでフレンドリーな態度だったらしいが、一度舞香の目が届かなくなれば……その扱いは酷いものだったらしい。


 話しかけられても無視は当たり前。


 『冗談』の一言で愛好会の共同物や私物を壊すやら何やらで、舞香がその事に気付いた時にはもう、愛好会の人達から『俺たちに関わらないでくれ』と言われ、離れて行ってしまったのだとか。



「それがあってから、舞香に対して自称霊能力者が近づくことが無くなったからね。だから、今になって霊能力者を自称するのは本物か、当時を知らないやつの二つに一つ……伊都ちゃんは前者でしょ?」

「……? 本物なのは否定しませんが、それがどうして自称霊能力者が近づかなくなったのですか?」

「舞香もそうだけど、半端ない金持ちを本気で怒らせるとシャレにならないっていうのが、学校中に知れ渡ったからよ」



 小首を傾げる伊都に、「私もさ、詳しくは知らないんだけどね」華子は思い出したくもないと言わんばかりに苦笑いを浮かべた。



「その連中の内の一人の親が会社をやっていたらしいんだけど、その事が有ってから三ヶ月経たない内に潰れたのよ」

「潰れた? 会社が、ですか?」

「銀行からの融資が下りなくなったとか、関係している企業の全てから一斉に取引停止を食らったとか、色々と噂はあったけど……半年後には全員の家が更地になっていたあたり、本当の本当に頭にきていたんだろうなあ……」

「……なるほど」



 舞香の姿を思い返し、伊都は何となくではあるが納得した。穏やかな雰囲気ではあったが、だからといって、おとなしいようには見えなかった。


 薄々察してはいたが、時には烈火の如き激情を露わにする人なのだろう……そう、舞香について評価した伊都は、改めて、気になっていたことを尋ねた。



「華子さんは、舞世さんについては如何ほどを知りえているのですか?」

「ん~、そうだね、伊都ちゃんは、舞香の所のセバスっていう人とは顔を合わせた?」



 一つ頷けば、「あの人から、かるーく教えて貰ったぐらいだよ」華子はそう答えた直後、「舞世ちゃんとは、ずっと顔を合わせていないの」そう言葉を付け足した。



「何度かお見舞いには行ったけど、今は難しい状況だからって言われて……だから、今の舞世ちゃんがどうなっているのかは伊都ちゃんよりも知らないよ」

「そうなのですか?」

「うん、舞香の方からね、今はちょっとって断られるんだ。だから、私が知っている舞世ちゃんは全部一年ぐらい前のことだよ」



 ……一年前。その単語に、伊都の目が僅かに細められた。



「それはつまり、舞香さんから相談を受けたのが一年前ということなんですよね? もしかして、心霊研究部という部活を設立したのはその後で、それまではオカルト……特に、心霊関係には興味を示していなかったとか?」



 それは、質問というよりは華子の言葉の再確認。そして、自分が理解しているかどうかの確認の意味合いが強い問い掛けであった。



「うん、そうだよ。ある日突然、いきなり幽霊がどうとか霊魂がどうとか話し始めたから、あの時はビックリしたよ」

「それは、歴史や伝承といったものから、神通力……いえ、超能力といったモノに対しても、同様に?」



 華子は、頷いた。少なくとも、自身を含めて学校ではそういう話題は一度も挙げたことない。いや、それどころか、苦手な素振りすら見せていたと、華子は答えた。



(やはり、原因を探るには一年前に何があったのか知る必要がありますね)



 それを聞いて、伊都は確信する。次いで、思考する。



 ――これで、分かった。この件に関する根本は、一年前……崎守舞世が今のような状態に至る直前、あるいはその時、何かが起こった。


 それが原因とみて、間違いない。


 しかし……そうなると、気になる点が一つと、不可解な点が一つある。


 気になるのは、一年前。おそらくは舞世の身に何かしらの異変が生じた時、あるいは直後。


 いったい、彼女は何を根拠に妹の症状が『霊的なモノが原因である』ということに思い至ったのだろうか、という点だ。


 舞世もそうだが、姉である舞香にも霊的な素養というか、素質はほとんどない。厳しい修業をすれば別だが、現時点では……だ。


 それは、伊都が直接彼女を視認したから、よく分かっている。


 その舞香は、いったいどのような経緯を経て、どのような理由をもって、舞世の身に霊的な何かが起こっていると判断したのだろうか。



 そこが、伊都には分からない。



 次いで、不可解なのは、どうして動物霊ばかりが集まってくるか、だ。



 伊都が見た限り、舞世は『霊媒体質』ではない。また、悪霊に憑りつかれているようにも見えなかった。


 巧妙に隠れられるやつなら、逆に伊都の目には見つけやすい。なので、そういう厄介なやつが憑りついているわけでもない。


 至って、普通だ。舞世の身体に特異な点は何もなく、異常は何も見られなかった。伊都が見た限り、動物を引き付けてしまうといった性質も持ち合わせてはいなかった。



(三十年、四十年前の話ならまだしも、たった一年前のことならすぐに分かるのだけれども……それらしいのは何も感じなかった)



 『霊媒体質』というのは、基本的には先天的な要素が強い。稀に後天的にそのような体質になってしまう者もいるが、その場合には必ずそうなってしまう原因がある。



 例えば、悪霊渦巻く場所で三日三晩過ごすとか、穢れてしまった神に触れてしまうとか。



 だが、そのどちらも伊都が見ればすぐに分かるもので、そうでなくとも後天的なものなら、一目見ただけで伊都は看破する。


 その伊都が、何も無いと判断した。なのに、異変が舞世の身に起こっている。


 それが、伊都には不思議であった。例えるなら、検査機では何一つ異常が見当たらないのに、明確な異常を肉眼で確認出来るような状態だろうか。



 ……仮に、だ。



 舞香が元々霊的な話(いわゆる、オカルト系)が大好きである。あるいは、そちらに詳しかったのであれば、まだ説明はつく。


 見えなくとも、実際にあのようなことが起こったのだと受け入れる下地が出来ているはずだからだ。


 けれども、舞香にはそれがない。


 霊視が出来る程に霊感がなければ、そういった方面への知識も興味もなかった。



 ……そんな人物が、いったいどうして霊的なモノであると判断した?



 常識的に考えれば、まずは頭の病気を疑ったはずだ。


 それが違っていたなら、別の病気……そして、最後は心の病気を疑ったはず。普通に考えればそうなるところを、舞香はそれらをすっ飛ばしていきなり『心霊現象』だと――っ。



「――あら、どうしたの?」



 そこまで思考を巡らせた辺りで、がらりと保健室の扉が開かれた。ハッと我に返った伊都が顔を上げた先には、「おいっす、せんせー」入って来た保健師に向かって片手をあげる華子の後ろ姿があった。



 ……どうやら、少々長く考え込み過ぎたようだ。



 一度考え始めると時を忘れてしまうのは、己の悪い癖だろう。それまで放っておいても帰らずに待っていてくれた華子には、申し訳ないことをしてしまった。



(お二人は知り合いなのでしょうか……邪魔をするのも、何ですかね)



 何やら談笑を始めた二人を横目にしつつ、よっこらしょと伊都は腰を上げる。時計を見やれば……ふむ。


 一つ頷いた伊都は、「頂戴致したお時間、有り難く使わせて貰います」華子と保健師に頭を下げて廊下に出た。


 ……すると、一拍遅れて、華子も廊下に出てきた。


 どうかしたのかと思って振り返れば、「――ちょっと伊都ちゃん、置いてかないでよ」幾分か機嫌を悪くした華子が走り寄って来た。



 ……はて、いったい何を怒っているのだろうか?



 小首を傾げながら尋ねてみれば、「……え、本気で言っているの?」唖然とした視線を華子より向けられた。


 ……ますます意味が分からずに目を瞬かせていると、華子はしばしの後……深々と、ため息を零した。



 ……何か、気に障ることをしてしまったのだろうか?



 そう思って見つめていると、華子は呆れたと言わんばかりに、もう一度ため息を零した。


 それから、閉じ合わせた唇から絞り出すように、ん~、と呻くと……ねえ、と唇を開いた。



「もしかして、この後に舞香の家に行ったりする?」

「いえ、これから所用がありますので、とりあえずは……それが何か?」

「その所用って、舞香に関すること?」

「さあ、分かりません。私はただ、来て欲しいと言われただけですので」

「……どういうこと?」



 意味が分からずに小首を傾げる華子に、伊都は昨日の手紙を見せた。


 誰にも見せるなとは書いていなかったので、特に気にする程でもないだろう。伊都にとっては、その程度のことでしかなかった……のだが。



「……伊都ちゃん、これ、誰から貰ったの?」



 何やら険しい顔で手紙を睨む華子を前に、伊都はまたもや小首を傾げた。


 何だか互いに首を傾げてばかりだと思いつつ、「玄関扉の下に差し込まれていました」素直に手紙の出所を明かした。



「――あんまりこんなことは言いたくないけど、伊都ちゃんってかなりの天然さんだね」



 そうすると、何故か華子より『天然さん』という称号を与えられた。あまり良い意味で使われることのないのだが、「てんねんさん、ですか?」幸か不幸か、伊都はその言葉の意味を知らなかった。


 けれども、それが逆に華子の言葉を証明してしまった。


 あのさあ……と。何かを言い掛けた華子は、次いで、口元を手で押さえる。


 いきなりどうしたと視線を向ける伊都を他所に、華子は何かを堪えるかのように頭を掻いた後……あのね、と少しばかり屈んで伊都と目線を合わせた。



「伊都ちゃん、どうしてここに行こうと思ったの?」

「……?」

「いや、そんな不思議そうな顔をされても……あのね、誰に呼び出されたかも分からないのに、一人で行くつもりだったの?」

「……? 私が呼ばれているのに、他の人を連れて行ってどうするのですか?」

「あ、駄目だ、これは色々と駄目なやつだ」



 呆れを通り越して戦慄している華子の様子に、伊都は幾度目かとなる困惑を見せた。


 それを見て、「が、ガチの純真無垢ってこういう子なのね」さらに誤解を深めている様子の華子を前に、伊都はまたまた困惑を深める。


 ――自分が呼ばれたから、自分が行く。そこに、他者が介在する要素は何もない。


 伊都にとっては、その程度のことでしかない。それなのにどうして、華子が驚いているのだろうか。


 今時の子は、よく分からない。嘲笑っているのではなく、本当に驚いているのが華子からもの凄く伝わってきた……と。



「決めた、私も行く」

「――え?」

「厚かましい話だけど、このまま伊都ちゃんを行かせたら気になって気になって仕方ないの。だから、私も行く、いいよね?」



 ――いや、邪魔になりそうだから来なくていいです。



 そう、言い掛けた伊都ではあったが、それは言えなかった。


 何故なら、己が両肩に置かれた華子の両手には力だけでなく『嫌とは言わせん!』という強い思いがこもっていたから。


 何故、華子はそうまでして一緒に行こうとするのか。


 何が、華子をそこまで掻き立てているのか。


 伝わって来る感情にあるのは、『心配』の二文字。



 ……もしかして、幼子的な感じで心配されているのだろうか。



 まあ、己の見た目が見た目だし、頼りなさそうではあるけれども……とりあえず、伊都は頷いたのであった。








 ……。


 ……。


 …………そして、約一時間後。伊都は、邪魔だと思った己の判断を恥じていた。



「伊都ちゃん……道が分からないなら、次からは素直に聞いてね」

「は、はい、すみません……」

「これでも先輩なんだから、道案内ぐらいはするからね」



 苦笑する華子の視線から逃れるように、伊都は肩を竦めていた。その顔を真っ赤に染まっていて、傍目にも羞恥心を堪えているのが丸わかりな有様であった。



 ――いったい、何があったのか?



 それは、道が分からなくなって、途中から華子の案内で待ち合わせ場所に連れて来られる形となってしまったから。つまり、伊都は己が未熟を恥じているのであった。



 ……さて、と。



 そんなこんなで待ち合わせ場所の『よもぎしろ公園』へと到着したのは、17時22分。予定の時間まで、もう間もなくといったところであった。


 公園は、公園なだけあって、特に物珍しい物は何もない。


 ブランコに鉄棒、滑り台に砂場にシーソー。公園といえばだいたいの人が思いつく程度の遊具がちらほらと設置されている。しかし、その広さは中々に立派なモノであった。


 事前に想像をしていたが、こうして目の前にしてみると、その広さがよく分かる。町中にあるにしてはかなり広い敷地のそこには、老若男女を問わず、様々な人たちがいる。


 木々の根元に置かれた多数のランドセルより少しばかり離れた場所でサッカーに興じる小学生の集団。ブランコの辺りには華子と同じ制服を着た集団がおり、何やらお喋りをしている。


 ベンチには年配の男女が座っていて、そこから少しばかり離れた場所には主婦らしき集団がたむろしている。夕暮れ時の、一幕というやつなのだろう。


 公園の中央に設置された時計台の根元には、他にも待ち合わせと思わしき男女がちらほらと見受けられた。



 ……ひとまず、中に入ろう。



 そう判断した伊都は、さっさと公園内に足を踏み入れる。一拍遅れて、華子がその後ろより付いて来る。着物姿の伊都の登場によって、気付いた幾人かが伊都へと視線を向けたが……その全てが、フッと外される。


 見た目の物珍しさはあるものの、伊都自身が目立つような振る舞いをしたわけではない。一切の気恥ずかしさを見せずに堂々としていれば、自然と周囲の興味は薄れてゆく。


 それは、サッカーをしていた子供たちとて例外ではない。いや、むしろ、ただ着物姿なだけだということに気付いた子供たちの方が、この場にいる誰よりも興味を失うのが早かった。


 ……だから、か。


 公園内に入って5分も経つ頃にはもう、伊都に対して注目する者はいなくなっていた。伊都も、平然とした様子で時計台の傍にて足を止めると、手紙の主を待った。



「……い、伊都ちゃんは怖くないの?」



 ――だが、しかし。



 落ち着き払った伊都とは逆に、そわそわと落ち着きのない様子の華子の方が視線を向けられることが多く、それが余計に華子から落ち着きを奪うという悪循環に陥っているのは……まあ、いいか。



「怖い、とは?」



 質問の意味が分からずに小首を傾げる伊都に、「……いや、だってさ」華子は言い辛そうに視線を逸らした。



「誰が来るか、全然分からないじゃん? もしかしなくても、男の人が来るかもしれないんだよ。襲われたらとか、考えたりしないの?」

「心配し過ぎです。たかが手紙で呼び出された程度の話ですよ」

「――伊都ちゃんは考えが甘い! 今時、手紙で呼び出すやつなんて絶滅危惧種だよ! 私だったら親か友達に相談するところだよ!」



 そんな大げさな……そう言い掛けた伊都ではあったが、それを口に出すことはしなかった。



「悪漢なら、投げ飛ばせばいいだけです。そんなことよりも、私はこれが悪戯であった場合の方がはるかに嫌です。下手したら、何時間も待ちぼうけになりますからね」

「うわ~、すっごい強気の発言。そこまでいうなら、いざという時は頼るからね、しっかり守ってちょうだいよ……!」

「……そんなに怖いのなら、どうして付いて来たんですか?」



 これではいったい、どちらが御守なのか分からない……けれども、だ。


 心配して付いて来てくれたのは確かだし、華子の協力が無ければ今もさ迷っていただろう……ん?



 不意に、伊都の視線が華子から外れ、とある方向へと向けられる。



 どうしたのかといえば、感じ取ったのだ。自身へと向けられる、強い感情。敵意でもなければ害意でもないが、友好的とも言い難い、揺れに揺れ動いている心の動き。


 伊都の様子を見て察した華子が、幾分か慌てた様子で辺りを見回す。その姿は遠目からでも分かるぐらいに挙動不審であった……が、その動きはすぐに止まった。



「真人、さん?」



 何故かといえば、華子も気付いたのだ。公園入口から、伊都の傍まで。脇目も振らずにまっすぐ向かって来た者……その人物が、華子にとっても顔馴染みであったから。



 ――崎守真人。



 伊都の記憶が正しければ、崎守家の長男であり、舞香と舞世の兄だ。セバスの話では、あの家では唯一といっていい、心霊に対して否定的な考えを持つ者……だったはず。



「彼とも、お知り合いですか?」



 ポツリと華子が零した呟きに関して尋ねれば、「何度か家に遊びに行ったときに……」華子はそう答えを返した。彼女の視線は真人に向けられている……彼女にとっても、この展開は予想外だったのだろう。


 一人は唖然として、一人は悠然として。


 ある意味対照的とも取れなくもない二人を前に、真人は無言のままに立ち止まる。


 華子の身長は平均よりもわずかに低く、伊都に至っては平均よりかなり低い。そんな二人と比べて、真人は平均よりも拳二つ分は高い。自然と見下ろし、見上げる形となった……後。



「……付いて来て、貰えるか?」



 何処となく険しい表情のまま、真人は話を切り出したのであった。





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