第1話 本人は大真面目なのです
――
全体の敷地面積はかなり大きく、グラウンドの面積も相当に広い。
今は使われていない旧校舎を除いたとしても、その広さは野球部とサッカー部が多少なりとも譲り合うようにすれば問題ない程に、だ。
県内では中の上ぐらいだと言われているその高校は、周囲からは生徒の自主性を重んじる校風として知られていた。
どれぐらいなのかといえば、結果さえ残せればある程度は多めにみると歴代校長が公言しているぐらいだから、何となく察せられよう。
当然、と、前置きするのは些か言い過ぎ(あるいは、失礼か)かもしれないが、通っている生徒も実に個性豊かであった。
……例えば、この学校にしかない、こけし愛好会や、さんぽ部、神社巡り同好会などが、そうだろうか。
部室や部費こそないものの、同好会や愛好会(あるいは、部活と自称している所もある)という形で活動しているグループの数は十を超えているとされている。
顧問はいないし、活動内容も不確定であり、何人が参加しているグループなのかも不明。犯罪にさえ手を染めていなければ、基本的には大丈夫。
そういう愛好会をしていて、どのような活動をしていると報告さえしておけば、それだけで学校側が黙認してくれる。それだけで、その自由さが窺い知れることだろう。
果たしてそれは、個性溢れる学生が集まるからこそ自由な校風になったのか、それとも自由な校風に染まって生徒たちに個性が溢れてしまったのか。
あるいは、ただ単に大らかな考え方が今も受け継がれているだけなのか、何も考えていないだけなのか……今になってしまえば誰にも分からぬ話である。
……とはいえ、だ。
何時からそうなったのかも分からぬ話だけれども、放課後になればコスプレして歩いている生徒がいるぐらいなのだから、誰もそのことについてはあまり深く触れようとはしなかった。
……しかし、この年。
建立93年近くも経ち、良い意味でも悪い意味でも知られているその学校の、その年。
毎年、一人か二人は特に変わった生徒が入って来るのが何時ものことだと言われていたその年に、ひと際変わった生徒が入学した。
――生徒の名は、
今時珍しい、昔の女性によく名付けられたらしいその名を持つ生徒は、入学式に姿を見せたその瞬間から、生徒たちの注目どころか教師たちの注目を一身に浴びる有名人であった。
何故そうまで視線を集めたのかといえば、まず、伊都の風貌……出で立ちが原因であった。
一言でいえば、伊都の風貌は『人間サイズの市松人形』であるからだ。
艶やかなおかっぱ頭に小さな背丈、世辞抜きの美貌。昨今では式典の場でも中々見られない着物姿(晴れ着ではない)であったから、余計に周囲にその印象を与えた。
加えて、伊都は他の学生が履いているような室内用の上履きではなく、何故か下駄を履いていたのだ。それも、一本歯とも呼ばれている一本足の下駄を、だ。
……いったい、何時の時代からタイムスリップしてきたのだろうか。間違っても、大正時代からワープしてきたわけではあるまい。
似合ってはいたのだが、学生服やらスーツ姿やらが入り混じる体育館に、その出で立ちは実に目立った。それはもう、伊都の周囲の生徒が注意されるぐらいに、その生徒は注目を浴びた。
そのうえ……教室での最初のHR(ホームルーム)においても、その生徒は注目を一身に浴びた。
何をしたかといえば、その生徒は簡単な自己紹介を終えた後、こう話したのだ。
――皆様には想像しがたいことだとは思いますが、私は前世の記憶を持っています。この身体に生まれ変わる前は神様に仕える御付として修行を積んでおり、ほんの十数年前に転生を果たしました。
集まる視線の最中、顔色一つ、声色一つ震わせることもなく。
――見た目こそ10代半ばではありますが、精神的には数百歳といっても過言ではありません。会話が上手く噛み合わないことがあるとは思いますが、ご容赦願います。
そう、言い切ったのであった。
……何とも、ぶっ飛んだ話である。
人伝でその時の状況を聞いた者は例外なく絶句したのだから、実際にその場にいた担任や生徒たちの身を襲った何とも言えない空気は……相当に冷え込んでいたことだろう。
実際、伊都を担当することになった教師は、さぞ頭を抱えることになったのは言うまでもない。
何せ、奇想天外は良くも悪くも人を引き付けるが、それが必ずしも良い結果で終わるとは限らないことを教師たちは知っているからだ。
今はまだ生徒たちも環境に慣れるだけで手一杯だが、一月も過ぎれば周囲に目が向くようになる。
だいたいの生徒は口出しすることもなく放って置くが、どうしても一部の生徒が……ちょっかいを掛け始める頃なのだ。
これがまた、厄介な事なのだ。何故なら、一度でもそういう対象になってしまうと、後々に渡って尾を引いてしまうからだ。
しかし、分かってはいたが……あえて、どの教師も、生徒を職員室等に呼び出すようなことはしなかった。
――というのも、だ。
一風変わった生徒ではあるが、近隣では自由過ぎると言われている桜花高等学校。制服だと自己申告さえすれば、(用意できるかどうかは別として)甲冑を着て来たとしてもOKである。
故に、似たような事をした男子や女子の前例が、何年か前にもあったのだ。
だから、発言こそぶっ飛んでいても、行動自体は規律に従ったものであるならば、本人が自覚するまではと静観の構えを取らざるを得なかったのだ。
――どうか、何事も起こりませんように。
誰に対してと公言したわけではないが、教師たちの願いは自然と一方向へと向けられるようになった。
だが、しかし……蓋を開けてみれば、教師たちが危惧しているような事態には全くならなかった。
何というか……教師たちの目から見ても、クラスメイトである生徒たちの目から見ても、伊都はこれまで出会ったことのないタイプの、不思議な生徒であったのだ。
授業中は私語を一切しないし、休み時間は席から動くこともない。
だからといって、落ち着きがない様子でもないし、寂しそうにしている素振りもない。話し掛けられれば答えはするが、自分から話しかけることはほとんどない。
そうかと思えば、団体行動に反する行動を取る者がいれば頭を叩いて戒め、指示に従わない生徒を無言のままに蹴りつけて誘導する。
注意された生徒が怒りに任せて嫌がらせを行ったかと思った翌日には、(おそらくは嫌がらせをした生徒だろう)泣いて伊都に土下座をしているという目撃証言が一人、二人、三人。
そこには、学年も人数も、関係なかった。
いったい何をしたのか……いや、何をされたのか。絆創膏やら何やらを顔に貼り付けたまま青ざめて首を横に振る上級生たちの誰もが、その件については口にせず沈黙した。
故に、それを見て、誰も尋ねられなかったし、誰も尋ねようとは思わなかった。
だが、誰も彼もが認識することとなった。伊都と名乗るその生徒は、只の目立ちたがりではないということに、だ。
……しかし、教師たちの懸念とは裏腹に、だ。
一目置かれはするものの、誰も(不用意に喧嘩を売った者は除き)伊都のことを怖がることはなかった。
何故かといえば、伊都は素行が悪いとされている生徒とは違い、真面目にしている者に対しては一切の暴力も横暴も行わなかったからだ。
そのせいか、いわゆる不良と揶揄される生徒たちからは、『下手に手出し出来ない相手』という具合で畏怖され、ちょっかいを掛けられなくなっていて。
同学年やクラスメイトからは、伊都は『どう接したらいいか分からないけど、良いやつ』だと認識され、遠巻きにされるようになっていた。
……。
……。
…………そうして、さらにひと月半程の時間が流れた頃。
暦の上では、ゴールデンウイークも明けてしばらく過ぎた、5月末。
そろそろ梅雨の影をちらほらと予感する時期に差し掛かって来ていて、教室内には何とも言えない蒸し暑さが漂い始めていた、放課後。
――かこん、かこん、と。
一本歯を鳴らしながら歩く着物姿の伊都の姿に見慣れ、誰も彼もが気にしなくなった……その頃。
色々な意味で注目を集めっぱなしの伊都は……一人、職員室を後にし……旧校舎へと向かっていた。
向かう目的は、『俳句部』に入部するに当たって与えられた部室へと赴く為だ。
俳句部とは、言葉通り俳句に関することをする部活である。
伊都としては馴染みがあるから選んだのだが、実はこの俳句部、現時点で問題が一つある。それは、部員数が0ということだ。
どうしてそうなっているのかといえば、答えは単純に生徒から人気がないからだ。
その為、最後の部員が7年前に卒業してから今まで、部員数は0。いちおう部としての歴史が古いから同好会への格下げには至っていないようだが……まあ、察する。
部室を与えられたという言い回しなのは、7年前に使われていた部室はとっくの昔に他の部活に使用されているから。
なので、今回、伊都が向かうのは、新たに用意されたらしい、部室という名の空き部屋だ。伊都は今日、そこの下見に来たというわけであった。
しかし……どうして伊都が、寂れてしまったそこへ入ろうと思ったのか?
それは、ここ、桜花学校では何かしらの部活に入るのが原則となっているからだ。
その気があまりない伊都とて例外ではなく、他の生徒たちと同様に、伊都もまた部活への入部を義務付けられていたからだった。
……本来、体験入部を経て入部し、問題が無ければ5月の半ばにはほとんどの生徒が入部を終えているところだ。
しかし、伊都はまだどこの部にも所属していなかった。
何故そうなっているのかといえば、答えは単純。入部希望先の生徒たちから歓迎されなかったからなのと、伊都の方から入部を辞退したからだ。
……と、いうのも。
半神半人である伊都は、ある程度、相手の感情を読み取ることが出来る。その伊都が、行く先々で感じ取ったのは……『緩やかな拒絶』であった。
相手方は、言葉にはしていない。表情にも出していない。表面上は、他の生徒たちと同じように接してきた。
しかし、伊都には分かってしまった。
己が、厄介者だということを。あまり、歓迎されていないのだということを……だから、伊都は今日までどの部活にも入っていなかった。
そりゃあ……変わるとは決めていた。
しかし、さすがに嫌がっている相手を無視して突入する勇気も強引さも伊都にはなかった。
長く時を重ね過ぎた弊害か、あるいは性分か。どうしても、己がまず一歩引いて、相手に譲ってしまう。
それを繰り返していれば、伊都の足が自然と遠ざかってゆくのは、考えるまでもなく当然の結果であった。
「……普通というのは、中々に難しいものなのですね」
ぽつりと零した、伊都の内心。その場には誰もいない故に、誰にも聞き留められることのないそれは、伊都の現状を的確に表した言葉でもあった。
高校生になって、早2ヶ月弱。それなりにグループが形成されているクラスの中で、伊都は己がクラスに馴染めず孤立していると理解していた。
――理解出来た理由は、まあ簡単だ。
今日まで会話はおろか挨拶すら数える程度にしかされず、遠巻きにされているのだ……はっきり言えば、馬鹿でも分かることだ。
しかし……それでも、伊都には理解出来ない点が一つある。
それは、遠巻きにされている理由であった。少なくとも、伊都は何が原因で遠巻きにされているのか、皆目見当すら付いていなかった。
そりゃあ、入学してすぐの時には色々とちょっかいを掛けられ、返り討ちにしたというのは何度かやった。
非も無く女に手を上げるとは、男の風上にもおけぬ。そう思って、ついつい投げ飛ばす回数が増えてしまったのは……まあ、否定出来ない。
しかし、こちらから手を出したことは一度としてない。
伊都にとってそれらはあくまで躾であって、時には痛みを伴わなければ理解出来ないこともあるという、彼女なりの優しさから来る好意でしかなかった。
――だが、結果はどうだろうか?
拒絶して嫌ってくるわけでもなければ、怖れて嫌うわけでもない。
こちらから話しかければ応じてはくれるものの、さりげなく話を切り上げて離れてゆく。
それならば沈黙に徹すると、遠巻きから見つめてくるばかりで、近寄ってすら来ない。
(最近の子は何を考えているのか、さっぱり分かりません。こうまで手応えが見られないのが、今は普通なんでしょうか?)
まるで、ぬかに釘を刺すかのような手応えのなさ。
失礼な事だとは思ったが、クラスメイトを含めた生徒たちに対して、率直に抱いた伊都の感想がそれであった。
……だがしかし、だ。
同時に、そもそも己も悪いのだとも伊都は思った。結局の所は、己が異質なのだ。異質なものに潜在的な恐れを抱くのは、ごく当たり前のこと。
そう、あの子たちを責めるのはお門違いでしかないのだ。
そう内心にて呟きつつため息を零した伊都は、止まり掛けていた歩調を早め、旧校舎へと向かう。
一人、とぼとぼと歩く伊都の後ろ姿は実に寂しそうではあったが、この場にそれを見られる者は一人もいなかった。
……ちなみに、この学校における旧校舎とは、今は音楽部を始めとした文芸等の部活で主に使われている校舎のことだ。
場所はグラウンドの端であり、向かうには一度外に出なければならない。基本的には、部活動(と、一部の選択授業)以外の使用は禁じられていた。
内履き用から外履き用の一本歯の下駄に履き替えた伊都は、かつんかつんとコンクリートに足音を立てながら旧校舎へと進む。
慣れない者が履けば転ぶところだが、文字通り数百年のキャリアがある伊都にとっては、一本歯の下駄は運動靴も同じである。
立てば市松、座れば市松、歩く姿も市松人形と言われたその後ろ姿は、正しく人形のようであった。
背筋はぴんと伸び、一本歯で支えられた身体は揺れず、まるでそこだけ時間の流れが異なっているかのような、穏やかな足取りであった。
運動場の端を通り、旧校舎へとたどり着いた伊都は、かこん、かこん、かこん、と下駄を鳴らして正面玄関より中へと入る。「えーっと、何年何組?」入ってすぐの場所には用務員らしき人が椅子に座っていた。
「1年3組の古都葉伊都です。連絡は来ていると思うのですが……」
「あ、君ね。それじゃあ、はいこれ」
用務員より手渡されたのは、紐付の名札と鍵であった。「説明は、先生から聞いているかい?」尋ねられた伊都が頷けば、用務員はそれ以上何も言わなかった。
……なので、伊都は一つ頭を下げると、さっさと旧校舎の中を進む。
この名札と鍵は、言うなれば許可証の代わりだ。基本的にこの許可証は旧校舎にいる間は常に装着が義務付けられており、出る時にそれを返却するようになっている。
旧校舎は新校舎とは違い、教師の目が行き届き難い。どうしても一部の生徒による溜まり場みたいな使われ方をされてしまう為、このような形を取っているわけだ。
(確か、3階の端だったか)
首から下げた名札を揺らしつつ、階段を上る。ぎいぎいと手すりが音を立てる。足元の踏み心地は、しっかりしている。少しばかり懐かしさを覚えつつも、伊都は初めて入る旧校舎の中を見回した。
……旧と名が付くだけあって、旧校舎の中は月日の流れを思い起こさせる物が多い。木造と鉄筋が入り混じる旧校舎もそうだが、薄汚れた内壁や所々傷ついて削れている床も、そう。
日焼けによって幾らか変色しているガラスの色合いが生み出す、何とも言えないノスタルジックな雰囲気に、伊都は落ち込んでいた気持ちが和らいでゆくのを実感する。
耳を澄ませれば、運動場の方から野球部やら何やらの掛け声が聞こえてくる。少しばかり距離があるはずなのだが、建物自体が古いせいだろう。3階へと上がった伊都は、窓越しに運動場を見降ろす。
聞こえてきたとおり、運動場には部活に勤しむ大勢の生徒たちがいた。
誰も彼もが、真剣に取り組んでいる。ちらほらと見えるジャージ姿の生徒は、伊都と同じく新入生だろうか。不慣れなのがここからでも確認出来ただけでなく、楽しそうにしているのも確認出来た。
「……若人の頑張る姿を見ていると、こちらも元気になりますね」
その辺りで、自覚しないまま伊都は笑みを浮かべていた。胸中にあった寂しさはもう、ない。
――機会があれば、縁というのは結ばれるものなのだ。
一喜一憂したところで、事態が好転するわけでもない。穏やかな気持ちと共に今をそうやって受け入れた伊都は、さて、と踵を翻し……ん、と足を止めた。
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