第39話

「それってちょっと面白そうだな。その線から進めてみるか、なあ櫻子」

「はあ」

 櫻子は気のない返事をする。自分の構想では、第一弾はスクープ記事から入るのではなく、もっとインパクトのある記事から入って読者を掴みたいと考えていた。だが、事件が解明されなければ尻すぼみの記事になってしまう。櫻子はそれを危惧していた。

「くれぐれも慎重に動いてくれよな。まだはっきりしたわけじゃないけど、これまでの話からすると大物政治家が絡んでいるというから」

 槇原デスクは、椅子から立ち上がりながらいい、ふたりを遺して会議室を出て行った。

 一週間後、俊一が経験した拉致事件が「ミステリーゾーンを探る」の第三弾として発売された。

“ミステリー・スポットを探せ” 第三弾『本誌記者が体験! 21世紀最大の怪奇』

 タイトルはこれまでと違って、壮大なスケールを想像させるものとなった。

 そのタイトルに惹きつけられたのか、各販売店で売り切れが続出し、売上レコードを更新したことによって、少なからず出版業会の建て直しに寄与する形にまでなった。


 このところの槇原デスクはご機嫌だった。

 ある日の午後、櫻子と俊一に槇原デスクから、仕事がすんだら時間を開けて置くようにと用命があった。上司からの声がかり上無下に断るわけにもいかず、ふたりはどうにか都合をつけることにした。

 七時半頃になって、槇原の声がけで三人揃って退社をした。エレベーターのなかで聞かされたのは、ふたりの慰労のために槇原が一席設けたということだった。

一席といってもそれほどかしこまったものでもなく、一緒に食事でもしようというレベルのもので、連れて行かれたのは槇原がよく利用している高級焼肉屋だった。

個室に通されると、そこにはすでに三人の席が用意されてあった。

「ふたりとも今回はよくやってくれた。きょうは君らの尽力を労うためにここに呼んだ。だから遠慮なく好きな物を好きなだけ食べてくれ」

 席に着くなり槇原は相好を崩していった。

 突然のことに櫻子と俊一は目を白黒させている。

「はあ」

 これまでこんな対応をされたことがなかったため、まだ半信半疑のふたり。

「それからこれは、社から君らへの特別手当だ。遠慮なく受け取ってくれ」

 そういいながら槇原は上着の内ポケットから白い封筒を取り出した。

 封筒の表には寸志と書かれてあった。

 櫻子はすぐに手を出したらいいものか躊躇している。

「いいから、さあ。これは君たちが躰を張って仕事をした当然の報酬だから、遠慮しなくていい」

 槇原は両手のひらの封筒をふたりの前に突き出した。

「ありがとうございます」

 ふたりは声を揃えていいながら、おずおずと受け取った。

 しばらくすると鮮やかな色をした肉がトレーに載って搬ばれて来た。

 それぞれの肉の上には部位の名前が書かれたプレートが置かれてある。

 ロース、タンはもちろんのこと、ミスジ、カイノミなどの希少部位が見事に盛られてあった。

「さあ、遠慮しなくていいから」

 槇原の言葉を聞いて、俊一は焼きにかかろうと箸に手を伸ばした時、横から櫻子がそれを制した。一連のことは、本当に俊一が身の危険を顧みずに挑んだ結果だけに、これくらいやって当然だと思った。

 たちまち肉の焼ける匂いが立ち込め、焼ける匂いに三人の会話がまったく消された。

「このあたりもう大丈夫です」

 櫻子はトングで指差す。

 いちばん先に手を出したのは槇原だった。その後も次から次に箸を伸ばし、生ビールを飲むペースも目を見張るものがあった。こうなると誰のための食事会なのかわからなくなってしまった。

 満足した槇原は煙草に火を点けながら、ようやく肉が口に搬べるようになった櫻子たちをのんびりと眺めている。

「しかし臓器売買のシンジケートの全貌はほぼ解明出来たけど、やはり政界の黒幕までは手が届かなかったのが残念だったなあ。そいつを捕まえることが出来たら、もっと部数が伸びたのに」

 槇原は自分が食べ終えたからか、平気で臓器売買の話を持ち出す。

 櫻子たちは聞えぬ振りをして、滅多に口にすることの出来ない牛肉の希少部位を頬張り続けている。

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