第38話  11

 俊一は三日ほどで出勤した。ストレスと栄養不良なだけで外傷がなかったため、早めに退院が出来たのだ。幸いまだ事件が大々的に報道されてなかったため、テレビ局等の取材攻勢を受けてない。それだけは救いだった。

「お迷惑をおかけしました」

「迷惑ってことはないけど、あんたもう大丈夫なの?」

 櫻子は愕いた顔で、自席の向こうから挨拶をする俊一を見上げるようにした。

「大丈夫です。もういつもどおり仕事出来ますから」

「それならいいけど、槇原デスクに報告した? あッ席空きか。デスクが戻ったらちゃんと挨拶しときなさいよ。あんたのことずいぶん心配してたからさ」

 櫻子は、槇原の席に顔を向けたあといった。

「はい」

 久しぶりの出勤でやや戸惑いながら机の上を整理していた時、槇原が喫煙室から戻って来た。

「おう、俊一、もういいのか?」

 槇原も櫻子と同じ言い方をする。

「はい」

「あんなことがあったあとだから精神的に辛いだろうけど、あまり無理せずにな」

 そういったあと槇原は櫻子と俊一を会議室に呼んだ。

「――例のミステリーの企画のことなんだけど、いい感じで盛り上がって来ているのはお前たちも知っているだろう。そこに追い討ちをかけようと思う」

 槇原は右手で顎を撫でながらふたりの顔を交互に見た。

「それって、ひょっとして……」

「そうだ。このチャンスを逃す手はない。だってその体験者がここにいるんだから、これ以上のリアリティは何処探したってない。そうだろ俊一」

 槇原は鋭い目になって俊一を見据えた。

「はあ」

 俊一はまだ事の成り行きを把握していないようだ。

「頼りない返事をするな。この企画の今後はすべてお前にかかってるんだからな」

「でもデスク、まだ事件の裏で暗躍する闇組織や政界の黒幕の詳細が解明されてませんよ」

 櫻子は不安と逸る気持ちが綯い交ぜになった顔で訊いた。

「そんなことはわかってる。いま警察以外でその辺の事業をいちばんよく知ってるのは俊一だけど、油断をしてるとトンビ油揚げを攫われかねないからな」

 槇原はもう一度俊一の顔を見る。

「わかりました。いま調べられる範囲で情報を収集します」

 俊一は、ようやく槇原デスクのいっていることを理解した。

「そこでだ。折角のチャンスを逃すわけにはいかない。出来れば三週に渡って――いやそれ以上引っ張れればそれに越したことはない。櫻子が『まだ全貌が解明されてない』っていったけど、とにかく他社にさきを越されるわけにはいかない。そこで、まず第一弾はその訳のわからないバーの存在からはじめて、第二弾は拉致された俊一のドキュメント、そして最後に裏側の組織 にメスを入れるというスケジュールでどうだ」

 槇原は、まるでこの記事を自分で書きたそうな言い方をした。

「ラフレシアとかいったわよね、あのバーの名前」

「いえ、正確にはラフレシアナです」

 俊一は透かさず修正する。

「あら、ラフレシアじゃないの? てっきり私はあの熱帯に咲く世界最大の花の『ラフレシア』だと思ってた」

 櫻子はまだ信じていないといった様子で訊く。

「違うんです。ラフレシアナというのは、名前はそっくりなのですが、最後に『ナ』がつくとまったく違う植物になるのです。それはあの食虫植物のウツボガズラです」

 俊一は青いフレームのメガネを人差し指で上げながら、したり顔でふたりに説明をする。正直なところ檻に入れられた時、黒服の男に教えられた受け売りだった。

「へえッ、はじめて知ったわ。でもどうしてその名前にしたんだろうね。何か意味があるのかしら」

「そのへんはよくわかりませんが、あの組織からすると、自分たちの餌をおびき寄せて喰うという意味があるんじゃないでしょうか」

 俊一は、あの黒服の男から名前の由来らしきものを聞かされたことがあるが、それが本当かどうかわからなかったので言葉を濁らせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る