第37話

「櫻子、警察だ、警察に連絡を」

 上ずった槇原の声がコンクリートで囲まれた空間に響いた。

「はい」

 櫻子が警察に連絡を取っている間に、やっとのようにベッドから脱け出した俊一は、這うようにようにして格子の所まで来ると、

「早く、ここから出して下さい」

 ようやく聞えるような声で訴えた。

「よし、わかった。いますぐに出してやるから」

 そういった槇原だったが、頑丈な格子の扉はびくともせず、逡巡していたその時、電話をかけ終わった櫻子が、コンクリートの壁にかけてあった鍵を鍵穴に差し込んだ。

 まともに歩くことの出来ない俊一を抱えるようにして檻から出した槇原は、俊一の躰を壁に凭せ掛けると、何か懸命に話しかけている。

次の瞬間、櫻子は異様な行動に出たのだ。

 櫻子はいままで俊一が監禁されていた格子の部屋に入り、手にあったカメラで手当たり次第にシャッターを押した。それがすむと両隣りの格子部屋も同じように撮影をした。

 まだ警察は到着していない。櫻子はこのチャンスを逃がしたらスクープ写真を撮りそこなうと考えているらしく、別のフラッシュパネルで閉ざされた部屋にも入り込んで撮影をしようとした。

 ところがその部屋だけは、どこの病院にでもある、それも個室に見られる立派な病室だった。壁のスイッチを入れると、その部屋だけは白色の蛍光灯が灯った。

これまでとはまったく違った環境に戸惑いながら部屋を出ると、今度はいちばん奥にあるアルミ製の扉のノブに手をかけた。

「櫻子、何があるかわからないから、気をつけろよ」

 これまで俊一に付き添っていた槇原は、すっくと立ち上がって大きな声を出す。

「はい」

 櫻子はわかっているのかいないのか、どんどん前に進もうとしている。

 槇原が心配したのは、もうこの建物のどこにも人の気配はないだろう。ただいるのは自分たち三人だけのはずだ。そんな場合考えられるのは、証拠隠滅のために建物すべてを爆破させる可能性があるということだ。何度それを考えて俊一を外に連れ出そうと考えたか知れない。だが、槇原だってジャーナリストの端くれだから、櫻子と同様のことを考えていた。俊一には悪いが、それがあって脱出より特ダネのほうを択んだ。

 ノブを右に回して一瞬動きを止める。そしてゆっくりとドアを引いた。すると、その瞬間にこれまで薄暗かった地下室に、すべてを押し退けるように蛍光灯の光りが拡がった。

 突然の光りの布に目が眩んだ櫻子だったが、強く目を瞑ったあと、カメラを持つ手にちからを込めて部屋に入って行った。

 櫻子は目を疑った。これまでとは違って部屋は広かった。真ん中よりやや壁に寄った所に手術台、その真上から無影灯が下がっている。どう見てもここは手術室に違いない。

 手術台の周囲には、モニターがついた無数の医療器具が配されており、おそらくついさっきまでここで作業をしていたのか、それらに電源が入ったままになっている。手術用道具も手術台の上に放り出されたままになっている。

 手術室の奥にドアがあり、櫻子はそのドアの向こうに興味を抱いた。そしてそのドアに近づいた時、激しい物音と同時に数人の警官が眉根に皺を寄せるようにして部屋に入って来た。さすがにそれを振り切ってドアの向こうを覗くことは出来なかった。

 俊一は同時に到着した救急車でS総合病院に搬送されることになり、櫻子は付き添いで同乗することになった。

 救急車は吹鳴と共に小雨の闇に遠ざかって行った。

残った槇原は、しばらく現場で警察官の質問に答えていたが、警察の応援隊が到着すると同時に、藤沢警察署で事情聴取を受けることとなった。

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