第34話

「おい! 沼田」

 俊一は呼び捨てた。

 その声にふと立ち止まった沼田は、ゆっくりと振り返り、鉄格子に近づいて来た。

「きさま!」

 俊一の血相に沼田は鉄格子から離れる。

「何だ」

「お前、よくもオレをこんな目に遭わしてくれたな」

「宝くじに当たったみたいなもんだ。まあ、仕方ないと諦めるんだな。いいじゃないか腎臓のひとつくらい。世の中の人のためになると思えば」

 沼田は薄笑いを浮かべて横目で俊一を見る。

「腎臓だって?」

「ああ、腎臓だって、目玉だってふたつあるんだから、一個くらい取り出したって死にゃあしないさ」

「………」

 俊一は呆れ返って何もいえなくなってしまった。

「いま食事にパンが出されていると思うんだけど、上等のビーフステーキが出されたら手術が近いと思ったがいい。摘出手術には体力がいるからな。最後の晩餐ってやつだ」

「オレはどこに連れて行かれるんだ?」

「いや、別にどこにも行きゃあしない。この奥にオペルームがあるから、そこでやるんだ。悪いけど、その先はどうなるかこのオレも知らない。ただ、こことは別の施設に送られることだけは聞いたことがある」

 それを聞いて俊一は、実感としてはまだないが、これから先に起ころうとすることを想像すると、膝から下のちからが抜け落ちて行った。

「いま何時だ?」

 こんなこと聞いても仕方ないと思いつつ、少しでも時間の流れを頭に入れたかった。

「いま朝の十時だ」

「こんな時間だったら仕事があるんじゃないのか?」

「ははは、きょうは日曜日だから現場は休みだ。だから朝早くに家を出て来た」

 その瞬間俊一はここがどこか聞き出せそうな気がした。

「ここはどのあたりになるんだ?」

「いくら何でもそれはいえない。もし口を滑らすようなことがあったら、このオレが献体することになる。それだけはごめんだ」

 沼田は笑いながらいう。それを見て俊一は鉄格子の桟を握り締めた。

「この際置き土産として、ジャーナリストにとって興味深い話を聞かせてやろうか?」

 沼田はもったいぶった言い方をする。

「何だ?」

「摘出した臓器は、早急にドナーのもとに届けられるのだが、それには当然高額な費用がかかる。その費用の一部が与党の大物政治家に献金されてるということだ。どうだ、ここに来た以上どうすることも出来ないだろうけど、これはせめてものオレからの贈り物だ。どうだ、これでなにも思い残すことはなくなっただろ」

 いい遺して沼田は急いで姿を消した。

沼田が去ったあと、俊一は沼田が話したことを何度も反芻するように頭の中思い浮かべた。そして出した結論は、とりあえず冷静になることだ。冷静になってからじっくりとここから抜け出す方法を考えることにした。

 ベッドで不貞寝をしていた時だった。鉄格子の扉を開ける耳障りな音がした。反射的にそちらに目を向けると、薄暗い灯りのなかにトレーを抱えた男が立っていた。

 俊一は躰を起こし、ベッドの端に腰掛けながら「何だ」とちからない声で訊く。男は何も答えることなく、トレーを俊一の隣りにそっと置いた。その瞬間香ばしい匂いが鼻の奥で踊る。そして黙ったままふたたび鉄格子の扉を閉めた。

 俊一はいよいよ沼田のいっていた晩餐時間が訪れたことに躰が震えた。

 横に置かれたトレーを見ているだけで腹立たしく思った俊一は、トレーを持って鉄格子の所まで行くと、思い切り外に向かって放り投げた。

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