第29話
俊一がラフレシアナの前に着いたのは、完全に日が暮れてからと思っていたので、午後八時半頃になった。胸を弾ませながら階段を昇り、重い木製のドアに手をかけた。これまでのように鍵がかけられているかもしれないと不安が過ぎったが、そんなこともなくすんなりと開いた。
少し狭い廊下があり、両側には等間隔でオレンジ色のライトが点けられている。廊下の右側に壁がオープンになっている部分があり、そこを潜り抜けるとバーカウンターがダウンライトの微かな光りを反射していた。
黒服の男が静々と俊一に近づき、「いらっしゃいませ」と挨拶をする。
「あのう……」
「存じ上げております」
その声は、先ほど電話をかけてきた男に間違いなかった。
「こちらにどうぞ」
案内されたのは、カウンターではなく、その奥にあるボックス席だった。
これまで味わったことのないくらい坐り心地のいいソファーだった。
店内は、外観からは想像出来ないくらい豪華な造りで、少し財布の中身が心配になるくらいだった。
「園山さま、お飲み物はいかがいたしましょう?」
ソファーに坐った俊一の目線と同じくらいのところまで膝を折って黒服は訊ねる。
「水割りを」
正直なところ、俊一はこういった場所に来たことがなかったため、何を頼んだらいいのかまったくわからなかった。いつも飲んでるのはビールと焼酎くらいなものだから、ほかの飲み物をすぐには思い出せなかった。
「スコッチでよろしいでしょうか?」
黒服は気を利かせて訊ねる。
「ええ」
「ご希望の銘柄はお有りでしょうか?」
「いえ」
「それでは」
黒服は立ち上がると一礼して下がって行った。
ひとりにされた俊一は、部屋のなかをぐるりと見回す。
壁と天井は黒く塗られ、壁に沿ってぐるりと真紅のソファーが配されており、天井の真ん中にはクリスタルのシャンデリアが柔らかな光りを放っていた。この店にはどんな階級の人間が客として来るのだろう、と想像をして見る。だが、さっぱり見当がつかなかった。
部屋の片隅にチークの扉がひとつある。どうやらそこは化粧室のようだった。
しばらくすると、黒服が水割りを載せたトレーを持ってやって来た。
「ごゆっくりどうぞ」
水割りのグラスを置いて黒服が立ち去ると、咽喉がからからになっていた俊一は、急いでグラスを口にした。
ひと息ついた俊一は、ふと綾香のお父さんのことを思い出した。お父さんはここに何しに来たのだろうか。いつもこんな調子で客はあまりいないのだろうか。もしそうだとしたら、経営は上手くいっているのだろうか。それともうひとつ、あれほどまでに会員制にこだわっていた店のはずなのに、ひと言も自分のことを訊かないのはなぜだろう、そんな疑問が次々を思い浮かんで来るのだった
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