第22話
俊一は八時に東急田園都市線の三茶駅中央改札出口で沼田と待ち合わせをした。
きょうは俊一より先に沼田が来ていた。ふたりは申し合わせたように手を挙げて挨拶をすると、自然と北口の階段を昇り出す。
「飯まだなんじゃないの?」
先を歩いていた俊一は、階段の上に視線を置いたまま訊ねる。
「うん、きょうはまだ食べてない」
沼田は当然であるかのようにいった。
「僕もまだだからじゃあ何か食べながら話をしよう」
ふたりは、地上に出て目についた洋食レストランのドアを開けた。
六卓ほどのテーブルには客が二組食事をしていた。通り沿いの席に案内された俊一たちは、早速メニューに目を通す。
「オレ、サーロインステーキとライス。それとグラスビール」
沼田の注文の仕方に澱みはなかった。
(こいつ、ステーキが食べたかったからあんな思わせぶりなメールを送ったのか)
「僕は、魚フライ定食。僕にもグラスビールを」
俊一は当てつけのようにいちばん安い定食を択んだ。
ふたりは料理が出て来るまでひと言も話さず、ただグラスビールを飲むばかりだった。そのぼやけた時間を払拭するように、沼田は煙草を取り出したが、店内禁煙に築いて胸のポケットにそっと戻した。
やがて、沼田の元に脂のはねる音を伴って鉄板が搬ばれる。あまり目にしたことのないくらい大きなステーキが載っていた。躊躇なくナイフとフォークでひと口サイズに切り分ける。なかは鮮やかなピンク色をしていた。
間もなく俊一の注文した魚フライ定食が目の前に置かれた。耳を澄ませばちりちりと音の聞こえそうな揚げたてフライに、たっぷりのタルタルソースが添えられてあった。空腹だった俊一は、キツネ色の衣を纏ったフライに箸を入れる。軽やかな音と共に白い湯気が微かに立ち昇った。
口に入れた瞬間形がなくなるほどフライの魚はふわふわで、まるで綿でも食べていると表現したくなるくらいだった。
しばらくふたりは黙々と食事を進めた。
それでも俊一の頭には、沼田の正体を知るために、幾つかの質問があった。だが、あからさまに口にするわけにもいかない。いかにして本性を引き出すか、そればかり考えていた。
「で、どうなの? 何かわかった? あのバーのこと」
ナイフとフォークを鉄板の上に置いた沼田がようやく口を開いた。
「いや、まったくといっていい。ところで、よく君は『あのバー』っていうけど、僕が調べた限りでは、あの店は何屋なのかわからなかった。なのにどうしてバーというのかなと思って……」
とうとう俊一は気になって仕方なかったことを切り出した。
「すいません、グラスビールをふたつお願いします」
沼田は俊一の話をはぐらかすようにビールを追加する。
(何を考えてるんだ、この男は?)
沼田はビールが搬ばれるのを待って、口を湿らせるとこういった。
「あん時も話したじゃん、オレの知り合いが綾香のオヤジさんがあのバーに入るのを見たって。忘れちゃったの?」
沼田は少し苛立ったような話し方をした。
「それは覚えてるよ。じゃあ訊くけど、その知人って誰なの?」
俊一は、ここまで来たらもうあとには退けないと思った。
「そこまで話さなきゃなんないのかよ。これって、オレを疑ってるってことかよ」
沼田の自尊心を傷つけられたと思ったのか、乱暴な口調になっている。
「いや、誤解しないで欲しい。これは商売柄しょうがないんだよ。すべての辻褄が合ってないと記事が進まないんだ」
そうはいったが、本心は疑惑を捨てたわけではない。
「わかったよ。別に隠すこともないから全部話してやるよ。その綾香のオヤジさんの目撃者というのは、オレのダチだよ。ダチといっても遊び友だちじゃなくて、仕事上のいわゆる仲間という奴で、三年ほど前にあのバーの近くでマンションの工事があったんだ。だから毎日あの近所を歩いてた。その頃はあの店はバーとして営業していて、マンションが竣工近くになった頃、オーナーが現場監督の慰労であの店に連れて行かれた。一緒に誘われたのが友だちの隅田という男だった。その日偶然あのあたりを歩いていて、隅田が綾香のオヤジさんを見たと教えてくれた。それだけのことさ」
沼田は残ったビールを一気に飲み干した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます