翼をください
笑った。心底見たかった彼女の笑顔。今日ほど自分がキョドりやすい人間で良かったと思う日は今までもこの先も無いだろう。
彼女と目が合って動揺してしまった。そのまま質問に答える形を取ったのが幸運だった。声が裏返り情けない返事となったが彼女は笑ってくれた。
「翼をくださいだけど」
今私の願い事が叶いました。悲しみの無い大空に飛んでいこうなどと微塵も願ってなかった。
ただ彼女の笑顔を見たい。それだけを願って強気になったり怒られて凹んだりしていた俺の努力? が実を結んだ。
「うん。優勝狙ってるからね」
気分は最高潮だ。彼女のしょうもない嘘も追求しようとは思わない。優勝を狙っているというのはおそらく嘘だろう。本気で優勝を目指してるなら放課後に教室から合唱が聞こえてくるはずだ。
俺のクラスは放課後、部活に入っている生徒を30分ほど教室に軟禁し合唱の練習をさせている。優勝を狙っているからだ。しかし、他の教室から声が聞こえたことは一度もない。
そう言えば、他のクラスの男子が合唱コンクールをボイコットしようなんて話をしているのを聞いたことがある。もしかしたら彼女のクラスかもしれない。まぁ、今の俺にはどうでも良いことである。
「有志で何かやったりするの?」
俺は単純だ。テンションが上がっている為に先程勢いで突っ込んで痛い目を見たことを一切反省せずに質問する。
「やらないよー。ダルいじゃん」
「そうなの? バンドとかダンスしてそうだなーと思ったからさ」
「やってないよー。あー、でもピアノは少し弾けるかな」
「そうなの? もしかして合唱コンクール、ピアノ担当?」
「違うよ。そこまで上手くないもん」
そのあと、軽いフォローをした俺は勢いを失った。話を広げることができないくせに突っ込んで結局盛り上げることができなかった。しかし嫌な感じはしない。むしろ俺のテンションはうなぎ上りで急上昇している。
彼女はこちらの目を見て話してくれていた。俺も彼女の目を見て話していた。勝手な妄想だが、カップル気分で会話をしていた俺。この会話がぎこちない感じは付き合い始めたばかりのよそよそしさに似ているんじゃなか? 彼女ができた事のない俺は心の中で妄想の青春を噛み締めていた。
**
どうやら私に慣れたらしい。そんな気がする。山中は軽快なテンポで私に質問してきた。
「そうなの? もしかして合唱コンクール、ピアノ担当?」
候補には挙がった。私を含めてピアノを弾ける人間が2人しかクラスにいない。だが、そのもう1人が男子であったためインパクト重視で行こうと、私はピアノ担当から落選した。全く、ボイコットしようなんて言ってたくせにインパクト重視なんてくだらない。結局、目立ちたいだけじゃないか。
「違うよ。そこまでうまくないもん」
「へー、でも楽譜とか読めるんでしょ?」
「そりゃ、まあ」
「すごいじゃん。俺、楽譜すら読めないもん」
「あんなの練習したらすぐ読めるようになるよ」
山中は優しい。素直にそう思う。そうだ、教師の悪口を言わないのも学校の不満を言わないのも山中が優しいからだ。私が今まで出会った人達はみな仮面をつけていた。優しい人間に見える仮面、仲間思いに見える仮面、悪っぽく見える仮面……数え出したらキリがない。
そんな中、山中だけが唯一仮面をつけていない。素の表情がそこにある。緊張してキョドっている顔も、強気になってムキになった顔も、撃沈して落ち込んでいる顔も……
「ねぇ」
「なに?」
「1つ聞いても……と言うか、何というか……」
「どうしたの?」
「うん……そのー……」
「なに?」
山中は煮え切らない私に対して思わず苦笑いを浮かべた。違う……その笑顔じゃない。
「怒らないから。どうしたの?」
あ、それ私が言った言葉だ。
「うん。じゃあ……」
「なに?」
「山中の笑顔が見たいです」
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