第七章

第七章

今日も杉三の家に華岡がやってきている。先日と比べると、ずいぶん落ち込んだ様子だった。

「どうしたの華岡さん、落ち込んじゃって。」

杉三がそういうと、あーあ、という顔をして、華岡は、お茶をあおった。

「一体どうしたんだよ。そんな大きなため息をついて。お前らしくないぞ。」

ついには蘭にまでそういわれてしまうが、華岡は、まだ落ち込んだままだった。

「ちょっと話してみたらどうだ?」

杉三にそういわれると、華岡は、うん、そうだと思い立ったらしく、よし、と決断してこう話し始めた。

「こないだな。藤樹園に家宅捜索にいったんだが。」

「はあ、それがどうしたの?」

「そうしたら、そのな、、、。」

ここで華岡の話は止まった。

「一体どうしたんだよ。」

蘭が、そういっても、華岡は黙ってしまう。

「そうもったいぶらないでさあ。全部話しちゃえ。どうせ、部下の人に言っても、きいてもらえないんだろ。それでは、まずいもんね。華岡さん。」

杉三にそう言われて、華岡は、

「おう、藤樹園は支援施設というより、虐待施設だ!俺たちが施設に入ったら、平気で暴力が行われていた!」

とでかい声で言った。

「そうなのか。具体的にどんな?」

「おう、一寸でも成績が悪いと、すぐに殴るんだ。大声で怒鳴ったり、机を蹴っ飛ばしたり、靴を脱いでその靴で殴ったり、もうひどいもんだった。あれでは、利用している子供たちがかわいそうだよ。」

と言って華岡はお茶をあおった。

「かわいそうか。其れだけひどいのか。」

蘭がそういうと、華岡はさらに言った。

「おう、もっと可哀そうなのは、あの施設長の洗脳教育だ。俺が、一寸ひどすぎるんじゃないかと施設長に言ってみたところ、こいつらを治せるのは、俺たちだけですって、施設長は堂々と言ったのさ。

親に甘やかさせすぎて、暴力をふるうような子供たちを預かるには、力で抑えなければダメだってさ。」

「まあねエ、確かに、手が付けられなくなると、そうなるしかないのかもしれないね。まあでも、やりすぎはいけないって、青柳教授は言ってたよ。」

華岡の話に杉三は口を挟む。

「それでもさ、けがをさせるまで殴るというのはちょっとやりすぎなんじゃないか?」

「うーんどうかな。今の子は、大きなけがをすることも病気をすることもないんだから、多少不自由になったほうが、生きるありがたみってのは、わかるもんじゃないの。」

「そうだねえ杉ちゃん。でも、それよりもさ、俺、少年犯罪を捜査する部署にいたことがあるから、何となくわかるんだけど、ああいう施設でいくら殴られても、人のありがたみがわかるかって言うと、

そういう事でもないぞ。それよりも、世の中から捨てられて、もう自分は必要ないんだっていう、劣等感を植え付けてしまう場合が多い。それは更生施設だけではない。精神科とか、そういうところでも同じだ。だから、どこかに居場所みたいなものを作ってやらなくちゃ。でも、そういうことをちゃんとやっている施設はすごく少ないぞ。今は、レールを外れないで、働ける奴にはものすごくいろんな特権をつけてくれるようになったが、それができない奴は、やっぱりまだまだ白い目でにらまれて、そういう収容所みたいな所しか行き場がない。一応幸せに生きているように見えるけど、そういう人達を隔離して、排除したうえでの幸せなんだ。」

「そうなんだねえ。確かにそれは言えてるよな。誰に対しても幸せっていう風に日本は出来てないもの。ちゃんとレールは用意されていて、面倒な選択をしなくていいというのはあるかもしれないよ。だけど、そこからちょっと疲れて脱落すると、何も出来なくなってしまうというのは、ちょっと生きづらさを与えてしまうかもね。それは確かに言えてるよな。そして、そういう人は、二度と人並みの幸福にはありつけないという、宿命みたいなものが待っているよな。僕のお客さんにもそういうやつがいたから、なんとなくだけどわかるよ。」

蘭は、華岡の話に同調した。

「僕のお客さんにも、そういう人はいたからなあ。本当にかわいそうな印象を与える人。犯罪者というわけじゃないけど、どうしてこんな運命しか与えられないのだろうという人。」

「蘭のお客さんなんて、ほとんどそうじゃないの?それをどうしても消し去りたいから来るんでしょ。どうしようもない自分への怒りとか、どうしても変えられない家庭環境の中で生きていかなきゃならない人たち、蘭が相手にするのはそういうやつらばっかりじゃないかよ。」

また杉三が口を挟む。今回、蘭はそれを注意するのを忘れていた。

「そうなんだよねえ。どうしても、その環境で生きていかなきゃならないから、せめて自分だけは強くなりたいので、腕でも背中でも、彫ってもらえないかという人は、本当に多いなあ。一昔前なら、極道がやるもんだと定義されているようなところがあったが、今は極道とは限らないね。」

「うん、それは俺もわかる。でもさ、蘭が彫ってくれれば、俺たちの仕事が減るんだったら、それに越したことはないので、俺は、蘭の活動を応援しているよ。あんな虐待施設なんかに隔離されて、外の世界に戻らせてもらえない、可哀そうな人生を送るよりよほどいいと思ったよ。やっぱりそういう所しか居場所がなくなってしまうと、この子達は何のために生まれてきたのかなって、俺、考えちゃうもん。」

蘭と華岡がお互いそういうことをいいあうなんて、あり得ない話かもしれないが、そういうことは、事実あるのかもしれなかった。今は、リストカットなどを消すために刺青をする人も少なからずいることは、インターネットなどでも公表される時代になっている。

不意に華岡のスマートフォンがなった。

「おう、華岡だ。なんだよ、こんな時に、えっ、何だって!わかった、すぐ戻る。」

と、いうことは、事件について何か動きがあったという事だ。

「悪いが署に急用ができて、、、。」

と、華岡は、持っていた鞄を取って、杉三の家を出て行った。

一方、ブッチャーの家では。

「え!姉ちゃんが藤樹園に!」

有希の発言を聞いて、ブッチャーはまた驚いた。

「おいおいおい、あのなあ。藪から棒に何を言うんだよ、姉ちゃん。」

「だから、自分、これではだめだから、こういう施設に言って、更生しようかと思って。」

有希は、静かに答えた。

「だけど、それは姉ちゃんが勝手に決めることじゃないんだよ。昨日ジョチさんに言われたんだけど、そういう施設は、俺たちを含めて、家族全員の同意を得て、それから利用しないと、まったく意味がないんだ。」

「じゃあ、聰は、あたしを入れることは反対なわけ?」

ブッチャーが反論すると、有希はすかさず言った。こういうときは、はっきりとした答えを伝える事。あいまいな文章にしてはいけないという、ジョチさんのアドバイスを思い出して、ブッチャーは次のように言う。

「俺は反対だ。俺はあのようなところ、姉ちゃんを預けたら、心配だからな。」

「なんで、あたしが消えれば、家の中が安全になって、聰だって、着物屋のしごともできて、充実した人生になるのではないの?」

「いや、ならない。逆に心配過ぎて、俺は落ち着かない。そういう事なら、家の中にいてくれた方がずっといい。」

ブッチャーは、少々きつい言い方をして、姉に言った。

「どうしてよ。あたしが消えたほうが、このうちはもっと幸せになれるんじゃないの?あたしが、こういう精神障碍者ではなくて、普通の人間になるために、更生施設にいったという方が、あんただって、世間体も少し良くなるかもしれなくてよ。」

「いや、そうはいかないんだよ。姉ちゃんはいくら良くても、俺たちがよくなかったら、そういうところを利用しても、全く意味がないんだ。それに、今日テレビのニュースでやっていたんだが、あの藤樹園という施設は、たいへんなスパルタ教育で有名なんだって。そんなところに姉ちゃんが順応できるわけがないだろ。だって、高校でさえも順応できなかったくらいの姉ちゃんなのに。」

有希がそういっても、ブッチャーは反論した。確かに、それはそうだった。有希はよく、高校時代、高校の先生がやくざの親分みたいに怒鳴って怖いと漏らしていたことがある。そんなわけだもの、スパルタ教育に順応できるはずがない。

「姉ちゃん、目を覚ましてくれ。あの施設は確かに、救いの神様見たいな文句を歌っているけどさ、俺たちは、寧ろ地獄へ突き落すような施設だと思っている。それではいけないんだよ。勿論、厳しさが必要なことだっていろいろあるけれど、その反面で別のものがあると、しっかり打ち出しているのが教育っていうもんだって、よく評論家の人が言うだろう?」

「だったらあたしは、どうしたらいいのよ。変わりたくても、変われないじゃないの!」

有希は、そういって涙を漏らして泣き出した。姉ちゃんもちゃんと自分のことを意識しているのは分かったが、こうしろああしろと具体的な答えを出せないのが、ブッチャーにはつらかった。

「だったら、ジョチさんに貸してもらったあの本を読んでみればいいよ。もしかして、意識を変えただけでも、運命は変えていくことだってできるかもしれないよ。本というのは、きっかけを作るもんじゃなくて、人の意識を変えるためにあるんだって、ジョチさんに俺、言われたことがあるんだ。きっかけを作るとなると、またいろんな問題が発生してくるけどさ、意識を変えることは、本人だけの問題だから、それはただでできるじゃないか!」

「でも、具体的に動かなければ意味がないって、言ったわ。」

誰が?とブッチャーは聞くと、有希は高校の先生がそう怒鳴ったのだと答える。つまり有希の中では、まだ自分は中退した高校にいるという、錯覚に陥ってしまっているのだ。

「それは、高校の先生が、試験勉強させるために言った言葉であって、姉ちゃんが悪いとかそういう訳ではないんだよ。人が集まっているところに、そうやって洗脳的な言葉を言われちゃうと、あたかも本当にそうなのかっていう風に見えちゃうの。でも、それは、いまの生活には全く合致しないというか、必要ないんだよ。姉ちゃん、いつでも具体的に動くのが、素晴らしいかというとそうでもなくて、意識を変えるほうが大事なんだってこともあるってことを、考え直してくれよ。」

ブッチャーはそう姉に言った。全く人間というものはどうしてこうなってしまうんだろうなと思いながら。

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