第三章

第三章

今日も杉三と蘭が、影山家の食堂で、二人でお昼を食べている。二人に取っては、なんてことのない風景なんだけれども、こうして他人どうしで集まってお昼を食べるなんていう光景は、ちょっと異質な光景に見えるかもしれない。

現代の人にとって、他人どうしで家に入るという行為はまずしないだろう。今は、隣の家の人でも、家にはいれば不法侵入とか、プライバシーの侵害ともいわれてしまうのだし。

本当は、そうなってほしくないと思うのだが、どうも、誰かと関わるのは機械任せで、じかに顔を合わすという行為は、だんだん減少しているようだ。

「どうしたんだよ。蘭。ボケっとしてないでさあ。何か食べたらどうなん?」

杉三に言われて蘭は、ごめん、と箸を動かした。

「ううん、一寸悩んでいることがあっただけさ。杉ちゃんに聞かれても、わからないと思うよ。」

こういわれると、普通の人であれば、あ、そうなのね、で放置してしまうはずなのだが、杉三はそれでは容赦しなかった。

「わからないかわかるかは、蘭が決めることじゃなくて、こっちで判断すればいいんだ。頭にため込んでおくのが一番よくないから、口に出せるだけ言ってみな。」

あーあ、また杉ちゃんの悪い癖が出てきたよ。と、蘭は思う。

「杉ちゃん。やめた方がいいよ。他人の話に首を突っ込むのは。そうやって、善人ぶって、人の悩んでいることを聞いても、何の解決策を打ち出すことはできないでしょ。其れなら、相手に失礼だから、初めから聞かない方がいい。」

「おう、それは当たり前だがや。誰だって、答えを出すことはできないさ。それは当たり前だ。専門家でもない限り、答えは出せないよ。でも、話した方がいいよ。」

どういうことだ、答えが出せないのに、悩みを言ってみろなんて。

「人間なんてそんなもんさね。だれも答えなんか打ち出せるやつなんかいないのさ。だけど、悩んでいることを、ため込みすぎると、おかしくなるのも人間だ。答えなんて、出ないけど、話をする必要はあるんだよ。そういうもんじゃないのかよ。」

「変な奴だねえ、杉ちゃんは。そういう矛盾したこと平気で言うんだから。」

蘭は、あきれた顔で言った。

「矛盾してるっていうか、機械じゃないんだもん、それで当たり前だよ。機械は、0とか1とかそういう数字しか出せないけど、人間ってのは、0でなければ1でもない答えを出すんだよ。それが面白いんじゃないか。」

あーあ、何を言っても糠に釘だよ杉ちゃんは。本当にどうしてこういう発言が平気でできてしまうのだろうか。もう、こういうことを回避するためには、率直に言ってしまった方がいいと、蘭は思った。

「もう、じゃあ、いう。お客さんに言われたんだよ。先生は、大学院までいったんだから、僕らの事なんてわからないだろうって。その人、腕のもとの皮膚がわからなくなるくらい、リストカットの跡が一杯ついててね。それを消したかったんだろうね。それで、僕のところに来たんだが、僕もあまりのひどさに彫るのを躊躇してさ。そしたら、お客さんのほうが怒り出してしまって、、、。」

「ははんなるほど。まあ確かに、偉いやつってのは、そういわれちゃうんだよな。それは、しょうがないことだと、あきらめて考えろ。そういう人は、きっと世の中に対してたくさん辛かったことがあったんだと思うよ。それは、やっぱり大学院を出たような奴らにはわからないと言われても、それはねえ、、、。」

蘭が、そういうと、杉ちゃんはやっぱり答えのない答えを言い始めた。

「きっとね。そういうやつは、どうしようもないんだと思うの。つらいけど、お医者さんとか、カウンセラーとかには敷居が高くて行けないんだと思う。だから、お前さんのところに来るんだろう。蘭ができることはな、まずそういうやつらに謝罪して、君たちがいるから、僕たちは生きられるみたいな態度で接するといいよ。」

「杉ちゃん、すごいこと言う。」

「すごいことでも何でもないの。ただ、庵主様に習ったことを繰り返しているだけの事。こないだの観音講でさ、習ってきたんだ。底辺を支えてくれる人のおかげで初めてトップが生きるってな。」

観音講か。蘭は、もともと宗教には疎いこともあってか、そういう教えを素直に受け取る気にはならなかった。その観音講には蘭も参加したことがあったが、数回でやめてしまった。と、いうのも、小久保さんから、もともと同和地区の始まりは、仏法で屠殺を嫌っており、それをする人を隔離することから始まりという説もあるから、と聞かされたからである。そういわれると、蘭は、どうしても、その教えを受け入れることができなくなった。杉三は、それを悪い方へ解釈した人間が悪いんだと言っていたが、蘭は、どうしても、それを受け入れることができなかったのである。

「杉ちゃん、僕はそういう教えというものは好きじゃないよ。」

「好き嫌いの問題じゃないよ。事実そうなっているじゃないか。それをはじめから知っておけばな、大学院を出たって、何の大したこともないってことがわかるはずなんだ。それは、巷では偉いと思われるかもしれないが、何の飾り物にもならないのさ。」

蘭は、あーあ、杉ちゃんに話したら、かえって余計に落ち込むなと思いながら、がっくりと肩を落とした。

僕はどうしたらいいんだよ、、、。

結局、杉ちゃんに話したって、解決策は浮かぶわけでも無い。それどころか、聞きたくもない仏法的な話を持ち出されて、余計に気分が悪くなった。こんなわけだもの。人に話して何の得になるというのか。インターネットで、答えを探す方がよほど早いのではないだろうか?

と、そこへインターフォンが鳴った。

「あれ、今頃誰だろう?」

「おーい杉ちゃんいるかーい!ちょっと風呂貸してくれ!」

華岡だ。また事件が解決しないので、長風呂をしにやってきたんだろう。こんな時になんで!と蘭は思うが、

「いいよ、華岡さん。何時でも沸かしてあるから、入んな。」

と杉三がそういったため、華岡は喜んで杉三の家に入ってきた。

「いやー、これでやっと温かい風呂にはいれるよ。俺の使っている風呂なんか、もう狭いし寒いしほんと最悪だから。」

そういって華岡はどんどん浴室に向かってしまう。ちなみに、杉三や蘭のような歩けない人間が一戸建ての家に住んでいる場合、介助者がいることを考えて、浴室は一般的なものより広いことが、多いのである。

まもなく、浴室から、華岡の炭坑節が聞こえてきた。声が杉ちゃんのようなベルカントではないので、蘭は余計に不快だった。あれを40分間聞かせられることになるのか。

その間に、杉ちゃんのほうは、冷蔵庫にまだ残っていたカレーをあっためたりするなど、いつも通りの食事の準備をしていた。風呂からでたら、必ずと言っていいほど、カレーを食べさせてくれというのが、華岡のいつものパターンだからだ。

「ああー、いい湯だったあ。ありがとうな。暫く署で泊まり込みが多かったからさあ。気持ちよかったよ!」

一時間ほどして、華岡が風呂から出てきた。全く、一時間も風呂に入って、よくのぼせないな、と、蘭は、呆れた顔をして、華岡を見る。

「それでは、おいしいカレーが楽しみだな。」

やっぱり、予想した通り、華岡はそういいだした。

「おう、できてるよ。テーブルの上に乗っているから、それで食べてくれ。」

「やったあ!うまそうなカレーだなあ。俺がいつも食べているインスタントのカレーとは偉い違いだよ。よし、いただきまあす!」

華岡は、杉三に渡された匙を取っていすに座り、カレーにかぶりついた。

「ああ旨いな!これは最高だ!」

「本当にオーバーだな。なんでカレーを食べただけで、そんなにうれしそうな顔をする?」

蘭は、思わず笑いたくなってしまう。警視まで昇格した人物が、なんでこんなに庶民的なんだろうと、

思ってしまうのだ。

「で、華岡さん、今日は一体どうしたの?」

杉ちゃんに言われて、華岡は、カレーを急いで水で飲み込んだ。

「う、うん。それがな。こないだ、富士川駅の近くで男の死体が出た事件があったよなあ。」

「ああ、そういえば、テレビのニュースでやっていたね。その人の職業が、何とも、最近話題になっている、藤樹園の職員だったそうで、あの善良極まりない施設で殺し合いなど起こるわけないと、話題になってたね。」

華岡の話に、蘭は、とりあえず一般的なことをいった。

「うん、まあそうなんだ。今、遺体の解剖結果が出ていないので、自殺か他殺か何とも言えないが、それでもだよ、動機がないんだよ。藤樹園と言えば、有名な支援施設だろ。あの、教育施設として、有名な。」

「ああ、あの大検予備校か?」

と、蘭は言った。

「うん、其れとはまた違うんだけどね。あそこはどちらかと言えば、大人を預かる施設だし、それにやることとすれば、大検を取らせることだろ。藤樹園は、そことは違って、障害者の矯正施設みたいなところだから。」

「へえ、どう違うんだ?」

と、杉三が口を挟む。

「おう、俺もこういう分野はまだ勉強中だからはっきり知らないんだが、藤樹園は、問題を抱えている、まあ、不登校とかそういう子たちを親元から預かって、立ち直らせるための施設だよ。あの有名な大検予備校である、夷隅学校は、はどちらかというと、学校であり、預かるところじゃないからな。それが違いとしてははっきりしている。つまり利用者は、自宅からそこへ通っている。」

「なるほど、そういう訳ね。困るよな、そういう施設って、種類があまりはっきりしないから。そうではなくて、目的をはっきりと打ち出してくれればいいのに。」

華岡の説明に蘭は、やれやれと頭をかじった。

「結局のところ、藤樹園と、その大検予備校と、支持者はどっちが多いんだろうね。」

と、杉三が聞くと、華岡はこう答える。

「藤樹園のほうが圧倒的に多い。それは親御さんたちが、もう手一杯になってしまって、子どもをもう一度立てなおそうという意欲が減ってきてしまっているようなので。」

「どうも変なところだな。そこで事件が起きちゃうなんてな。」

蘭は、くびを傾げてそういうのだった。



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