第52話

「ケイおはよぉ」

朝のいつもの声。でも今日はいつにもまして眠い。目も開かない。それでもなんとなく手を伸ばす。その手を掻い潜って柔らかいかたまりがしっとりとした重みと共にオレの上にのしかかってきた。あ、なんか良い匂い。柔らかくて暖かくて幸せな感じを手放したくない。思わず抱きマクラにしてしまった。

「ひゃ。ケイ、寝ぼけてるの」

その声に、どうにか薄目を開け

「あれ?真由美?夢かな?可愛いからいいや。愛してるよ」

とつぶやいて、スリスリしてしまった。が、リアルな感触に徐々に意識が覚醒し

「ん??あれ??真由美!!本物。ごめん」

と、視線を向けると。真っ赤な顔で、でも蕩けるような笑顔の真由美が居て。

「んふ、ケイ、今日は合宿初日だからいつもより早起きしないとだよ」

と、言いながらギュッと抱き締めてキスをしてきた。そして、ベッドから降りると

「あまり時間ないから、ちゃんと起きて」

と手を出してきた。手を握ると、グイっと引っ張り起こしてくる。

眠い目を擦りながら

「ふわぁ、おはよう真由美。いつも起こしてくれてありがとう」

「ほんとケイってお寝坊さんなんだから。着替えたらご飯だからね」

などとちょっとポワポワとした雰囲気でしゃべっていると、ふいに部屋のドアが開いた。

「あ、なんだ普通に起こしただけじゃん。またラブラブエッチな事してるかと思ったのに」

あのことがあってから奈月はチョコチョコ覗きに来てはこんな爆弾投げてくるようになった。

「あのなぁ、朝からそうそうヤバイ事しててたまるか」

奈月はじぃっとオレの顔を見た後、真由美に視線を移して。ニッコリすると。

「まぁおねぇさんが純粋に幸せそうだから良いや」

と何か分けの分からない事を言いながら部屋から出て行った。直後に顔だけを出して。

「早くしないと間に合わないんじゃないの?」

確かに普段と違って今日は遅刻するわけにはいかない。大急ぎで着替えをして朝食を食べた。

「あれ、奈月は?」

と母さんに聞くと

「さっき、何か用事があるって急いで出かけたわよ。こんな朝早くに何かしらね」

「ふ~ん」

オレと真由美はちょっとニヤニヤしながら聞き流した。順調なようでよかった。


集合場所に着くと。予想通り雄二とニコニコと楽しそうにおしゃべりをしている奈月がいた。軽く抱きついたりして彼女感出ていていい感じだ。周りの部員達は不思議そうな顔で見ているが邪魔をする気はないようだ。

「おい、伊藤。あの森川兄と一緒にいる女の子の事知っているか?」

「知ってますよ。でも、まぁ雄二との関係性は俺からは言えないかなぁ」

先輩からの問いかけにウソにならない範囲でごまかす。ふっと周りを見回すと陸上部以外の女子がチョコチョコ見える。ふ~ん、お見送りかね。目的は誰かなぁ。

とりあえず、真由美を左腕にぶら下げながら雄二達のそばに行く。

「おはよう雄二」

「あぁ、おはようケイ」

「あ、にぃとおねぇさんも来たんだ。ちゃんと間に合うように来れたね」

オレに飛びついてきそうな雰囲気を軽いチョップでいなす。

「うぅおにぃ、可愛い妹にそれは酷いんじゃないの」

涙目で抗議して来る奈月に

「TPOを考えやがれ。しかも自分で可愛い言うな。今のお前は雄二の彼女ポジであってオレの妹ポジじゃねぇだろが」

「何よ、ポジってどんなだって私はおにぃの妹だよ」

真剣に抗議して来る奈月。ふぅ、とため息をひとつ。まぁそれは事実ではある。雄二の彼女とオレの妹は当然両立できる。出来るが、いろいろ説明が面倒だと思ってしまっただけなのだ。だから

「わかったよ。ちょっとその後の説明が面倒だって思っただけだ」

とたんにニパーっと明るい笑顔になると、おれに抱き付いてきた。

「おにぃ大好きぃ」

とりあえず空いている手で頭を撫でてやる。とたんに周囲からザワっとした雰囲気が伝わる。まぁそうだろうなぁ。普段女子がこんなことしたら、真由美が黙って居ない。それなのに隣に居る真由美もニコニコしているのだから。あぁ抱き付き方がちょっと密着度上がった気がするが、その程度だ。それどころじゃないな。真由美の手が奈月の頭を優しく撫でている。そりゃ周囲からすりゃ事件だわ。

「雄二。奈月とはどうだ。奈月が迷惑を掛けてないか?」

「あはは、まぁ迷惑は、いっぱい?」

とたんに口を尖らせて奈月が抗議する。

「えぇ?迷惑って何よ。雄二さん気にするなっていつも言ってくれるのに」

「いやいや、気にしなくて良いよ。なっちゃんが俺に迷惑掛けるのは俺は全然平気だし、むしろ嬉しいから」

それを聞いて真由美が

「へぇ、兄貴がそんな事を言うとはねぇ」

雄二は頬をポリポリとかきながら

「いやぁ、真由美がケイにあれだけ迷惑掛けているのに、ケイはむしろ嬉々として相手してたのが、ようやく分かったって感じだな」

「ふふふ、順調そうで何よりだ。ほれ、奈月そろそろ雄二のほうに戻れ」

「ほーい」

今度は素直に雄二の横に移動し・・・やっぱり抱きつく奈月。

話が1段落ついたのを察して京先輩が声を掛けてきた。

「あのぉ、4人さん。そのちょっと関係性とか教えて貰っていいかしら」

「「「「え?」」」」

4人の声が重なった。

「その、真由美が、他の女の子がケイに抱き付いているのに平気でいるっていうか、むしろ当然みたいにしてて、しかも頭撫でてるし」

「あれ?京先輩って奈月のこと知りませんでしたっけ?」

「奈月・・さん?」

少し考えるふうな目をしたあと

「あ、あの、ケイの妹さん?あの中学時代に登校時にも下校時にも今の真由美みたいにケイに抱き付いていた」

真由美と奈月が抗議の声を上げる。

「あたしはあのころのなっちゃんほど問答無用に抱き付いてません」

「あたしは抱き付いていたんじゃなくて、手をつないでただけです。今のおにぃとおねぇちゃんみたいにべったり抱き付いてなかったです」

軽く頭を抱えながら、それでも京先輩は聞いて来た。

「その子が、ケイの妹の奈月ちゃんだという事は分かった。けど、雄二に抱き付いているのはどういうことかな?」

俺は頭を抱えた。この人は、凄くいい人なんだが、こういうとこがポンコツなんだよなぁ。

「ほら、雄二。ここからはお前の出番だ。オレに言わせるなよ」

京先輩の目が雄二に向く。当の雄二は照れくさそうに、顔を赤らめながら

「なっちゃんは、俺の彼女です」

京先輩が近づいてきてから、ジリジリと距離を詰め、オレ達の周囲に来ていたやつらの主に陸上部以外の女子から一斉に悲鳴があがる。

「京先輩、そろそろ時間じゃないですか」

「あ、あぁそうだね。みんな集合。これから電車移動で合宿所最寄の駅まで行く。そこに合宿所のバスが迎えに来る事になっています。午後には合宿所周辺で軽くトレーニング予定です。はぐれたり等の緊急時には部のグループラインへ連絡を入れる事。グループラインに入って無い人はいないね。じゃぁ移動します」

周囲の女子の悲鳴が収まらない中、合宿所へ向けて移動を開始した。

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