結
ザザ、ザザ、ザザ——
音が高くなる。
純夜はパニックを起こしそうになって、何も考えられなかった。
「どうしよう。竜児。どうしよう」
オロオロしていると、竜児が立ちあがり、雨戸の一枚をほんの少しだけひらく。すきまから外をうかがいだした。
ほんとうはイヤだったが、純夜も布団から這いだして、竜児のとなりにならぶ。
「やめなよ。竜児。怖いだろ」
だが、答える竜児の声は冷静だ。
「女が歩いてる」
「えっ? 女?」
意外だった。こんな深夜に女が一人で外をうろつきまわるなんて。
「おまえも見ろよ」
「やだよ」
「大丈夫だって。死人じゃない。生きてる女だ」
「なんで、そんなことわかるんだ?」
「だって……」
言いよどんだあと、竜児は純夜の背中を押した。
「いいから、自分で見てみろよ」
雨戸に押しつけられ、しかたなく、純夜はすきまに目をあてた。
最初は何も怪しいものは見えない。
黒っぽい茂みのシルエットだけ。
音が近づいてきた。
右のほうからだ。そっちに眼球を動かす。
すると、離れのかどをまがり、人影が現れた。
たしかに女だ。
シルエットで若い女だとわかる。
女はまっすぐ前を見つめて、一心不乱に歩いている。
きゃしゃな体格。すらりと伸びた手足。
長いストレートの髪が、サラッとゆれる。
あやうく、純夜は声をあげるところだった。
(詩織さんだ!)
叫びそうになる自分の口をあわてて両手で押さえる。
すきまから目を離し、となりを見ると、竜児が大きくうなずく。
(詩織さんだろ?)
(詩織さんだな)
目を見かわしただけで、たがいの考えが理解できた。
なんだって、詩織がこんなところを歩いているのか?
いたずらにしてはタチが悪すぎる。
雨戸のすきまの前を通りすぎ、詩織の姿が見えなくなった。しかし足音はやまず、数分して、また姿が現れる。何度も何度も、くりかえし。
妄執じみたその姿に、ゾッとした。
竜児が雨戸をしめ、部屋の中央へ行って手招きしてくる。純夜もついていった。
竜児は小さな声で言いだした。
「なぁ、これって、あれじゃないのか? 都市伝説」
「都市伝説……」
言われて、ハッとする。
お百度詣りだ。
お堂を百周まわると、願いが叶うという、アレ。
詩織自身が話してくれた村の伝承。
たしかに、詩織はさっきから何十周と言えないほど、この建物をめぐっている。
「でも、ここはお堂じゃない。こんなことする意味ないよ」
もしも、歩いているのが宿の客なら、あの崖の上のお堂と離れをまちがえて、都市伝説を試しているだけなんだと、純夜は考えただろう。だが、詩織が場所をまちがえるはずなどない。
純夜はその考えを竜児に話した。
すると、竜児はしばらく口をつぐんだのちに、こう告げた。
「ウソだったんじゃないか?」
「ウソ? あの伝承がウソだったってこと?」
それには首をふり、
「違うよ。あのお堂、変じゃないか。伝承のとおりなら、まわりを歩けるはずだ。それに、あれはお堂っていうより、祠だろ。お堂って、やっぱ、もっとデカイだろ」
なんとも言えず、生ぬるい感触に胸の内側がザラつく。
純夜は聞く勇気がなかった。
何におののいているのか、自分自身、よくわかっていない。それでも怖い気がした。直感だった。
「……あれは祠で、お堂じゃないっていうんなら? なんだって言うんだ?」
「だから、詩織さんがウソをついたんだよ。おれたちにお堂はあっちだって、ウソを教えたんだ」
「じゃあ、つまり……」
竜児は断言する。
「ここが、ほんとのお堂なんだ」
ここがお堂。
ここがお堂。
離れだと思っていた、この場所が、伝承で使われていたお堂。
「なんのために、詩織さんはウソをついたんだろう?」
「そんなこと知るかよ」
「お堂のまわりを百周すると願いが叶うんだろ? 詩織さんは願掛けに来たってことか?」
「だから、おれが知るかよ」
竜児は短気を起こした。
「捕まえて聞きだしてやる」
ズカズカと床をふみならし、雨戸のほうへ歩いていく。
しかし、そのときだ。外を歩く足音がやんだ。
ガラリと、竜児が勢いよく雨戸をあけはなったときには、詩織の姿はもう見えなくなっていた。
どうやら百周し終えたらしい。
(願いが叶わなかった……ってことか?)
お百度詣りを終えたとき、願いが叶うなら、座敷わらしが現れるはずだ。
見たところ、何も変化はない。異変もなければ、異常なものも見あたらない。それどころか雲が晴れて、きれいな月が出てきた。
詩織がなんのためにウソをついてまで、ここに純夜たちを泊めたのか、何が目的だったのかわからないが、バカバカしくなってきた。
気のぬけた笑い声をもらしていると、とつぜん、竜児がビクッとハネあがった。声もなくとびあがり、二、三歩たたらをふんで尻もちをつく。
「何してるんだよ?」
純夜がたずねると、ひきつった顔で前を見たまま、指をあげる。その指は純夜の背後をさしている。
「……なんだよ。また、からかう気か?」
それにしては、竜児の表情がふつうでなかった。
月明かりのもと、両眼を見ひらき、こわばっているのがよく見える。
おそるおそる、純夜はふりかえった。
——と、そこには布団があるだけだ。
純夜の寝ていた布団と、そのとなりの布団。
「おどかすなよ。もうその手にはのらないぞ」
「ちが……よく見ろって」
しつこく言われて、もう一度、ふりかえる。
そこには布団があるだけだ。
二人ぶんの布団の一方に、誰かがよこたわって……。
「えっ?」
純夜の布団は、もちろん、カラだ。めくった掛け布団もそのままになっている。
だが、もう一方は?
そこは誰もいないはずじゃなかったか?
丸みをおびて、人間の形にふらんでいる。
もしかして、竜児の彼女か?
さっき、竜児と二人で外をのぞいているうちに、そっちにもぐりこんで……?
あれ? 竜児の彼女って、誰だったっけ?
ぼんやりしていると、布団が持ちあがった。
頭から誰かがかぶって立ちあがったかのように、掛け布団がつりあげられていく。
純夜は体がふるえるのを感じた。
誰かが、そこにいるのか?
でも、誰が?
布団のかさなりあった前面がゆっくりひらく。
そこには誰もいない。ただ黒い虚空があるだけだ。
見つめているうちに、パサリと布団が落ちた。
人型の丸みも見えなくなる。
「りゅ、りゅ、りゅ……竜児……」
「あ、ああ……」
二人とも、まともに声が出ない。
いつのまにか、竜児の腕にしっかりつかまっていたことに、今になって純夜は気づいた。
「あれ、な……なんだったと思う?」
「風だよ。風のせい、だろ?」
夏布団だから、たしかにかるいが、風で天井近くまで持ちあがるなんてことがあるだろうか?
それに持ちあがったあと、しばらく、その位置で浮いていたように見えた。
ぼうぜんとしているところへ、背後から声がかかる。
「もう、いつまでさわいでんの? 寝らんないよ」
やっと女の子が起きてきたらしい。
見ると、ぼさぼさの髪の美野里と円華がとなりあった布団から、それぞれ起きあがってきた。
あれ? 何かおかしい——純夜はすぐに、そう感じた。
「……そっちは、竜児と彼女が二人で使ってなかったっけ?」
「え? 何が?」
「いや、だから、布団」
「なんで、竜児とあたしたちが?」
「だって、つきあってるからって……」
「そうだっけ?」
話がかみあわない。
ぼそりと、竜児がつぶやいた。
「なあ、おれたち……三人じゃなかったか?」
「バカ言うなよ。四人だったろ?」と言ってから、純夜は自分でおどろいた。
いや、三人……だったような?
「四人だよ。去年も四人で旅行したよ」と、円華。
竜児は二、三度、頭を重そうにふった。
「そうだったかな?」
「そうだよ。なんで三人なんて思ったの?」
「なんで? なんで……だろう?」
竜児は納得のいかない顔だ。
しかし、竜児だけじゃない。純夜も頭のなかがモヤモヤする。記憶がハッキリしない。何かが変だ。
「四人……保育所のときから、いっしょだもんな。たしかに去年もこのメンバーで旅をした」
でも、そこで何かが起こった。
あのころ、竜児とその子がつきあっていた。ひさしぶりに四人がそろい話がはずんだ。海辺のホテルで一泊。夕食はホテルではなく町へ出て、店を見つけた。そこで竜児はハメをはずした。
「ビールいっちゃおうかな」
一年前、みんなはまだ十八だった。
「やめなよ。未成年だよ」
竜児の彼女のその子が言った。
「だまってりゃ、わかんないって。店員さーん。生ひとつ」
竜児は日ごろから飲酒の習慣があったのかもしれない。目の前で美味そうに飲まれて、つい、ほかのメンバーもつられて飲んだ。
酔っぱらってホテルに帰る途中、海岸ぞいの道路を歩いた。
南国の香りただよう夜の海。
ロマンチックな街の明かり。
「おれたち、ちょっと、そのへんで酔いさましてから帰るよ」
竜児がそう言って、彼女と肩を組んで海岸のほうへ歩いていった。
それが、生きているその子を見た最後になった。
翌日、その子は溺死体で見つかった。
竜児は酔っていておぼえていないと言いはった。
でも、目撃者によると、二人は口論していたという。それも竜児が誰かとその子を二股かけていたのが原因らしかった。
「あ……あのとき、死んだはずなんだよ! ここに四人いるはずがないんだ。おれたちは三人で、ここまで来たはずだ」
油断すると、あいまいになりそうな記憶をしぼりだして、純夜は叫んだ。
竜児と女の子たちの顔もこわばる。
「そう……そうだよな? だから、おれ、変だって言ったろ。三人なんだよ。ほんとは」
「そうだっけ?」と、美野里。
「わかんない」と、円華。
わかっていることが一つだけある。
このなかに一人だけ、死人がいる。
*
長いこと沈黙があたりを包んだ。
かたずをのんで、たがいの顔を見くらべた。
たまらなくなったのか、「わああッ!」と叫んで、竜児が外へかけていく。
しかし、そのときだ。
あけはなしたままの雨戸のすきまから声が聞こえた。
いつのまにか、詩織が立っていた。
「そこから出たら死ぬよ」
はだしで戸口からとびだそうとしていた竜児が、ピタリと雨戸の手前で立ちどまる。
「死ぬ……? なんで?」
詩織は美しいおもてに残忍な笑みをうかべる。
「昼間に話した伝承。じつは続きがあるの。このお堂のまわりを百周すると座敷わらしが現れる。その座敷わらしは故人の姿をしてるんだって。願掛けした人の親しい故人の姿を」
純夜の位置からは竜児の背中しか見えないが、とまどっているようだ。
「それって、あんたが……えっと、美野里か円華の知りあいってことか?」
「最初からそう言ってるじゃない。わたしは彼女の大学のサークルの先輩だったって。わたしたち、すごく仲よかったのよ。ほんとの姉妹みたいに。なのに、彼女はあんたに殺された」
「違う! あれは事故だったんだ。言いあいになって、ちょっとつきとばしたら海に——殺すつもりじゃなかった!」
「どっちだっていいの。言いわけは、わたしじゃなく彼女にして」
ハッと息をのみ、竜児は純夜たちのほうをかえりみる。
純夜のうしろの、二人の女の子のほうを。
詩織は静かな声で続けた。
「伝承では、百周したあと、お堂のなかに入るのよね。そしたら、故人の姿をした座敷わらしが現れる。そのとき、故人に愛されていた人は願いを叶えてもらえるけど、憎まれていた人は罰を受ける——そういう話よ。座敷わらしから逃げると、その場で死ぬらしいから、お堂からは出ないほうがいいんじゃないかな」
円華と美野里は同じ姿勢で、じっとして、なんだか無気味だ。月光を反射して、ギロギロと目だけが、やけに白い。
「そんな……じゃあ、どうすりゃいいんだ? おれ、殺されるよ!」
竜児が叫ぶと、詩織がせせら笑う。
「命乞いでもしてみたら? わたしの願いは『あの子の願いが叶うこと』なの。あの子がゆるしてくれたら、生きて外へ出られるかもよ?」
竜児は戸口からひきかえしてきて、いきなり女の子たちの前に土下座した。
「おれが悪かった! ゆるしてくれ! ほんとに殺すつもりなんかなかった。はずみだったんだ」
ビシッと大きな音がした。
あまりにいいタイミングだったので、つかのま、家鳴りだと気づかなかった。上下左右、いたるところからビシビシと家鳴りがし、お堂がくずれるのではないかとすら思う。
「うわぁッー! やめてくれ!」
竜児は冷静さを失っている。
そのあと何が起こったのか、ほんとのところ、純夜にはよくわからない。
急に竜児が悲鳴をあげた。まるで何かに迫られているように両手をあげ、首をふりながら、床を這ってあとずさった。
そして、闇夜に飛びだしていったかと思うと、あの小さな祠の背後の崖からとびおりた。
あとを追って走っていた純夜は、それを見とどけ、お堂へと帰っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます