承
そもそもの事の起こり——
それは、今年の夏休みの旅行さきを相談していたとき。
誰かが、じゃあ、座敷わらしを見に行こうと言いだしたことだろうか?
その流れになったのは、竜児のせいだった。
「はぁ。おれ、今年に入ってから、ついてないんだよなぁ。バイトさき、ブラックだなとは思ってたんだけどさ。行ったら、いきなり閉店してんだぜ? 夜逃げだよ。給料未払い! なんか、モチベゼロだわ。なんもやる気出ねぇ」
そんなふうにぼやくので、「じゃあ、運気あげなきゃね。パワースポットめぐりとか」と言ったのは、美野里……?
「パワースポット? そんなの、おれ信じてないし」
「サークルの先輩の実家なんだけど、座敷わらしの出る宿なんだって。座敷わらし見たら将来、出世するって言うよね? 行ってみない?」
そう言った人物の顔が思いだせない。
「ほんとに、そんなんで運気あがんの?」
「らしいよ。それにバイト代、もらいそこねたんだよね? 先輩の実家なら、ちょっと手伝いすればタダで泊めてくれる。食事も出るし」
「タダならいいね!」
とたんに、竜児は乗り気になった。
往復の交通費は純夜たちが貸してやった。
「ちゃんと返せよ」と言ったものの、返ってくるとは思っていなかった。
竜児はかなりのイケメンだ。背も高いし行動力があり、女にモテる。それは本人も自覚していて、うぬぼれやで自己中なところがある。
だが、男友達には頼りになる存在だった。
ケンカに強いし、竜児の下についていれば、学校でイジメられることはなかった。
女の子にとっては、純粋にカッコイイ存在。
竜児にふりまわされることに、純夜たちはなれていた。
そして、夏休み。
純夜たちは全員、東北に旅行するのが初めてだった。ひさしぶりにみんなで集まり、遠野物語が現実になったような非日常の景色のなかへ入っていくことは、それだけで楽しかった。
その宿に来るまでは——
「いらっしゃい。待ってたよ。夏休みはうちみたいな
純夜たちを出迎えてくれたのは、二つ年上の美人。東北の人らしい色白の肌。つややかな黒髪を腰まで伸ばしている。目は大きくて、はかなげ。
着ているものは、ふつうのTシャツとデニムだったが、白い着物なんてまとっていたら、雪女だと勘違いしたかもしれない。
「わたし…………と同じサークルの
優しい微笑を見せる詩織を前に、とたんに竜児は元気づいた。こんな美女を、竜児がほっとくはずがない。それは自然のなりゆきだ。
顔をしかめたのは、円華だっただろうか? それとも、美野里?
なんだか記憶があいまいだ。
宿は想像以上に古風だった。
しかも、あたりは森にかこまれている。
到着したのは午後三時すぎだったが、すでに薄暗い感じがした。
ちょっと寒気がしたことをかくすために、純夜はたずねた。
「満室なのに、おれたちが寝泊まりさせてもらってもよかったんですか? 手伝いと言っても、さほどのことはできないと思いますが」
「あなたたちには離れに泊まってもらうね。離れは管理が悪くて、お客さんは泊められないのよ」
詩織の申しわけなさそうな顔を見て納得した。それなら遠慮する必要はない。
「ところで、この宿って、座敷わらしが見られるらしいですね」と、竜児も積極的に話しかける。
詩織は妙な顔つきをした。
好ましくない話題にふれたかのようだ。
「あれ? 違うんですか? まあ、おれは詩織さんに会えたから、ほかのことはどうでもいいけどね。手伝いだろうと力仕事だろうと、ガンガンしちゃうよ」
詩織はほんのり笑って告げた。
「座敷わらしっていうか、願いごとが叶うお堂はあるよ」
みんなが口々に言う。
「お堂?」
「何それ?」
「座敷わらし、関係なくない?」
詩織は、すっと白い指で薄暗い森のほうを指し示した。
「あの奥に小さなお堂があるの。昔、まだこのあたりが村だったころから。以前は村の人たちが熱心に信仰してたんだって」
周囲の暗いふんいきのせいか、夕立前らしいよどんだ空のせいか、詩織の話には、いやに迫力がある。
純夜たちは息をのんで話の続きを待った。
ふたたび、詩織が口をひらく。
「お百度詣りって知ってる?」
竜児は困ったような目を純夜にむけてきた。
きっと知らないのだ。
かわりに純夜が答えた。
「知ってます。神社に百回お詣りしたら願いが叶うっていう、昔の願掛けの風習でしょ?」
「うん。それが江戸時代ごろには、もっと簡略化されてね。お堂のまわりを願いごとを唱えながら百周したら叶うって変わったの。そういう流行がこの村に入ってきたときには、もっと変化したのね。
お堂を百回まわって座敷わらしが出てきたら、願いを叶えてくれるんだって。どんな願いでも叶うって話よ。けっこう霊験あらたかだったらしい。
最近、ネットで都市伝説だって話題になって、しょっちゅう学生が泊まりに来るんだ。こっちは儲かるから助かるんだけどね」
お堂の大きさにもよるが、百回周囲を歩くくらいなら、できなくはない。どんな願いでも叶うというふれこみには集客力がありそうだ。
「おもしろそう!」
竜児はすでに高揚している。
「そこ、案内してください」と言われて、詩織はほほえんだ。
「いいけど、お堂で願掛けするのは夜じゃないと効果がないんだって」
とたんに女の子は尻ごみした。
「えっ? そうなんだ? 夜かぁ。ちょっと怖い……かな」
「何言ってんだよ。夜だからいいんじゃないか。おれ、今夜、行く。純夜、おまえも来るよな?」
「うん。まあ」
「なんだよ? ビビってんの? 座敷わらしなんて怖くないって!」
あははと笑い声をあげて、竜児が純夜の背中をたたく。
純夜は怖かったわけじゃない。ただ少しだけ不安だったのだ。竜児が調子にのると、ろくなことにならない。以前のときも……。
「でも、お百度詣りって第三者に姿を見られたらいけないんじゃなかったですか? 詩織さん」
「ここでは、そうは言われてないみたい。数人で行ってもかまわないし、願いごとを知られてもいいって、子どものときに、おじいちゃんに聞いたよ」
ずいぶん、ゆるい決まりごとだ。
民間信仰なんて、そんなものかもしれない。
「じゃあ、純夜。今夜な」
「うん」
そんな流れになってしまった。
しかし、このとき、純夜も竜児も詩織の話を本気にしていたわけではない。ただの肝試し感覚だ。
そのあと、純夜たちは寝泊まりする離れにつれられていった。荷物を置くためだ。
さっき詩織が指さした、うっそうとした森のなかへ入っていくことになる。
「離れ、お堂の方角なんだ」と、おびえたのは、美野里だったか?
詩織は安心させるように、ふみかためられた土の道を示した。
「ほら、二股にわかれてるでしょ? お堂はまだ遠く。ずっと奥のほうだから心配ないよ」
「そう……よね。それに座敷わらしは、いい妖怪だよね」
そのとき、詩織がつぶやいたような気がする。
「座敷わらしならね……」と。
だが、問いただす時間はなかった。すぐに離れが見えてきた。母屋からは、かなり距離がある。
いったい、なんのための建物だったのだろうか?
物置のような四角い木造建築だ。物置にしては、ずいぶん不便な場所にあるが……。
なんだか異様な感じがした。
それが、なぜだか、初めはわからなかった。
しばらくして、セミの鳴き声がやんだからだと気づく。
さっきまで、うるさいほど聞こえてきたのに。
やけに静か。
「ここ、物置ですか?」
また少し不安になって、純夜はたずねてみた。
詩織の答えは屈託がない。
「そうよ。ごめんね。こんなところしかなくて。でも、なかの掃除はしてある。布団も運んできてあるから。食事は母屋で、わたしたちといっしょにしましょ。お風呂とトイレもね」
タダで泊めてもらうのだから、いたしかたない。
たしかに広さは充分だし、三人で泊まるには問題なさそうだ。
「荷物だけ置いたら、夕食の仕込みの手伝いしてね。男性陣は
「いいよ。まかせて。まかせて」
竜児が軽口をたたいて、詩織の機嫌をとる。
詩織は雨戸をあけ、純夜たちの荷物をそこに置かせた。
じっくり見ているヒマはなかったが、なかは思っていたよりキレイなようだ。畳はない。木の板がむきだしの床だ。それもフローリングだと思えば悪くない。ここに布団を敷けば、夏だから寒くはないだろう。
それぞれのデイパックやキャリーケースを置いて、純夜たちは母屋へひきかえした。
*
詩織の言葉どおり、母屋は満室だった。
純夜たちは三時間ほど宿の仕事を手伝い、そのあと夕食や風呂をふるまわれた。民宿らしい素朴な郷土料理が、労働のあとの空腹にしみた。
離れに帰ったのは、十二時前だったのではないかと思う。
「詩織さん、人使い荒いんだもんなぁ。美人だから許すけど」と、とにかく竜児はご機嫌だ。
「明日も早いって言ってたよ。早く寝よ?」
円華か美野里が言って、雨戸の前に立った。
「ねえ、ここって玄関ないのかな?」
そう言われてみれば、離れの壁は全面、雨戸でおおわれている。玄関口らしきものがない。
「どこからでもいいんじゃないの? 入れればさ」
竜児がガラリと雨戸をあけて、なかへ入った。
一瞬、湿っぽい匂いが鼻をついた。空もようが悪いせいだろうか? 夕立になりそうだったのに、けっきょく降らなかった。
「思ったより寒くない? 電気は? 電気?」
「暗くて見えないよ。スイッチ、どこだ?」
竜児と女の子の声が暗闇のなかにひびく。
純夜の足は妙に重かった。二人のあとについて、なかへ入ろうとするのに、自分の意思に反して足が動かない。
なんだろうか? この圧迫される感じ……。
しかし、どうにかして戸口に立つと、しばらくして暗闇に目がなれてきた。
闇の濃淡が見わけられるようになる。
広さは六畳間ほど。
家具は何も置いてない。つみあげられた布団が数組みあるだけだ。
そして、奥のほうに神棚があり、その手前は一段、床が高くなっている。なんとなく、祭壇チックだなと純夜は思った。
そのとき、室内にまぶしい光線がさした。
細長い光の束は懐中電灯だ。竜児の手ににぎられている。
「こんなこともあるかと思って、持ってきといたぜ」
やっぱり、頼りにはなる。
こういうところがあるから、ひどいヤツだけど憎めないんだと思う。
曇り空のせいで月明かりも星明かりもない。
濃密な闇をてらすには、いささか貧弱な光ではあったが、おたがいの顔を見わけることくらいはできた。
「布団、敷いて、もう寝よう。あたし、敷いてあげるよ」
美野里が女子力を見せつけたいのか、率先して布団をならべた。二組みの布団をとなりあわせにならべ、一つをやや離したので、ならんでるほうが竜児と純夜だろうと考えたのに違っていた。
枕元に自分の荷物を持っていこうとする純夜に、美野里が釘をさす。
「純夜は、あっちね。そっちは、あたしと竜児だよ」
「え?」
「あたしたち、つきあってるんだぁ。この前から」
「マジで?」
「マジで」
知らなかった。
これじゃ、あの子が浮かばれない。
ぶぜんとする純夜に、竜児は悪びれもせず告げる。
「だって、もう一年も前だろ? おれたちの人生、これからのほうが長いんだぜ。そりゃ、最初はおれだって悲しかったけど。いつまでも泣いてるだけじゃ前に進めないよ。そろそろ新しい恋にむきあうべきかなぁって」
「あっ、そう」
彼女を死なせたのは、おまえだろうと、反論する気も起こらない。まあいい。だからこそ、竜児をここへつれてきたのだ。
詩織が話してくれた都市伝説。ほんとは続きがあるのだ。でも、そのことは、まだ話さない。
純夜は笑った。
「いいんじゃないか。お似合いだよ。それより、どうすんの? お百度詣りしてみる?」
「ああ。するよ」
竜児はのってきた。
「あたしはいいよ。ここで待ってる」
そういう美野里を残し、純夜は竜児とともに外の暗がりへ出ていった。
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