[ネタ]ダメージという概念について

 ダメージ。損害とか、損傷とか。そんな概念な訳だが、これらについて、物語に織り込むならば、どうすることが正しい、というよりは適切なのだろうか?

 少なくとも、私の好き嫌いの話だが、比喩表現ではなく真にそれが存在していて、これの加減算であれこれ織り成すのは、どちらかと言えばネガティブに方面に倒れる。

 別にリアリスト、というわけではない。そんななら空想妄想して筆を執ることなんてしない。読者は算数をしにきたわけでもないのに、どうしてこれらの情報が必要となるか、が問題である。


 例えば、キャラAが、体力1で敵から6のダメージを受けた! という展開が行われたとしよう。

 さて、何が物語として必要になるだろうか?

 体力-5になってキャラAが死亡したこと? 敵が強いこと? キャラAは走馬灯を見るまでもなく意識を失ったこと? いや、最後のは状況によりけりか。

 この場合だと、キャラAが間違いなく窮地であることが端から見ても理解でき、かつ敵がトドメを刺している、という情報が、読者には必要なわけだ。いくら数字で表現しようと、それは数字である必要性は全くないのだ。


 これが金額による損得勘定ならば意味があるか、と言われても、それも不要だろう。例えば、薬草一束を50で購入した。薬草ひとつはあたり10で、一束あたり6枚入っていた。残金は50だ。

 いや、算数の問題かよ。そんな情報、物語には全く要らないだろう。強いてあげるならば、貴重品が三つあって、慎重に使わないといけない、という展開ならば意味がでてくる。

 どこで使うのか、を読者は見ることができるのだ。例えば火炎瓶が三つだけ用意できた。どこと、どこと、どこで使う予定だが、さぁ、どんな障害が出てきてしまうのだろう? と。


 つまりは、算数ができたからどうした、ということである。読者は算数ドリルをしにきたわけでもないのに、これを強いてしまうのは、なんというか、私は読者としても、作者としても遠慮したい。


 さて、あなたの書いている小説、算数ドリルになっていないだろうか? 1と1が合わさり田になったとトンチを効かせても意味はない。

 算数に、感動をもたらす力はない。それが並んでいればいるほど、まるで賢くなったかのように錯覚することもあるだろうが、そんなことはない。

 そもそも、小学校の算数ドリルをやって感動した人がいるならば、是非とも話を聞いてみたいものである。一体、何に感動したのかと。その人ならば、きっと文章問題の羅列も心震えることだろう。

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